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ch10.生活 | ichikoTV - Part 32 ichikoTV

‘ch10.生活’ カテゴリーのアーカイブ

台風に慄いた夜

2018 年 10 月 1 日 月曜日

台風24号の凄さ。恐怖を感じたほどだ。深夜から明け方にかけて関東上陸ということで、雨風どころではなかった。暴風雨だった。すると想像もしないいろいろなものが凶器になるかと思うと暴風雨の中を諸々片づけたが・・・

二ユースで言っていることが理解できない。なんでもコンビニのガラスが割れたと・・・。カーテンしめて窓から離れる?この人何言っているの?と思いながらも恐怖との闘いの夜であった。

まあ、次に25号がいやな方向で来ている。太平洋高気圧の出方が一緒だ。昨年は10月23日まで台風襲来があった。デスクの上でどーしたこーしたの自分の恐怖などたかがしれている。自然を相手に仕事をされている方の恐怖は計り知れない。

 

金木犀と銀木犀

2018 年 9 月 28 日 金曜日

ふわ~っと金木犀(キンモクセイ)の香りに包まれた。この香りが好きという人と嫌いという人が結構わかれる。中には「トイレの芳香剤と同じ」という表現をする人もいる。

しかし9月の終わりころから10月にかけての短期間、この香りがすると何故か安心する。

そして実は、なかなか知られていないが銀木犀(ギンモクセイ)という植物も存在する。香りは金木犀ほどでなく、白い花を咲かせる。

10月はそんな楽しみもある。

公衆電話

2018 年 9 月 27 日 木曜日

今どきの子どもたちは「公衆電話」を知らず、そして「かけられない」という番組を見て、なーるほと!そんな時代なんだと思った。まず電話ボックスにどうしたら入れるのか?もまごつき、10円玉を受話器を外さずかけてみている。10円玉がコロンと落ちてきて「かけられなーい」と言っている姿。あああ、こんな時代かと思った。

もう生活の中では身近なものではないのだ・・・と思いつつ、2011年3月11日の東日本大震災の時の駅の様子がうかぶ。街中の人々は必死に公衆電話の前に並び、必死だった光景だ。スマホも何もかも通じなかったあの日。都心の交通は麻痺し、メールも何も無理だった。公衆電話に人々は群がっていた。公衆電話の少なさに嘆きも聞いた。電話番号がスマホに入っている人は番号の検束も出来ず右往左往していた。どうしようもない脆弱さを見た。

そのうち、ツイッターの呟きを信じた人たちが騒ぎ出したのだが、私はどうも信用出来ず何とか、パソコン通信は出来ないものかと。原稿締め切りに間に合ったものの先方だって右往左往しているに違いないと思った。本当に手も足も出ないという時に、手帳にメモしてあって公衆電話を使える人がどんなに優位だったか、目の当たりにした。

公衆電話・・・そしてダイヤル電話、プッシュ電話もあった。端境期というのだろうか、全く知らずその「時代」を生きていくしかないのだと思った。

ふっと・・・スマホもない時代が思い出された。歌謡曲はそんな「時代」を如実に語る。

松山恵子の『お別れ公衆電話』は「♪汽車に乗ろうと 思ったものを駅の喫茶の公衆電話 いつかかけていた」と切ない女ごころを歌い、小山明子の『恋に落ちて』では 公衆電話ではなく自宅の固定電話だろう。「♪ダイヤル回して 手を止めたI’m just a woman Fall in love」と歌う。切ない女心には「公衆電話」は必須アイテムだったのだ。今なお、スマホの中でその女心は現役であると思うが・・・

公衆電話や自宅固定電話ではないが、コミュニケーションツールの一つとして野口五郎の『私鉄沿線』では「♪伝言板に君のこと 僕は書いて帰ります」とある。当時、駅には伝言板というものがあって、そこに「先に行く」「1時間待った」というような短いMESSAGEが書かれたものだ。時折、その内容の面白さに暫く立ち止まって読んでいたこともあった。心情を吐露するものもあった。

しかし、今どきの若者にはこのような世界は「古典文学」なんだろうなと思うと何か笑いがこみ上げてきた。いずれは、スマホを中心として、ラインだなんだかんだも「古典文学」の世界になるのだろうかって。

ただ、〝以心伝心〟は、太古から未来まで永遠かなと思う今日この頃である。

 

食品サンプル

2018 年 9 月 15 日 土曜日

親しくしているアクセサリーショップの店主がディスプレイで使っていたという食品サンプルを「いるぅ?」というので「ハイ」と何とも無邪気に受け取った。ケーキ各種。しかし日本人のワザってスゴイなぁ~とつくづく思う。勿論、食べられないのだが(笑)見ているだけで楽しくなる。

昔々、新宿で取材先に手土産!と慌てていた日があった。「ここにあるじゃないですか!」と店の人に何度か言ったことがある。実は本物と見間違えるほどの団子がずらりと並んでいた。「申し訳ありません。売り切れです」と言われても「ここに・・・」と言い、ふと気づいた。ああ、今思い出しても恥ずかしい一瞬だったなぁ~。

 

災いというもの

2018 年 9 月 2 日 日曜日

この世の中は自分の頑張りだけではどうしようもないものが存在している。そして、人間の頑張りでは太刀打ちできないものもある。天災である。

この夏の酷暑。今まで経験したことのない気温だった。小学校時代の夏休み、確か、毎日の絵日記とともに気温も記したし思う、35度とか36度、まして40度なんて気温は体験したことがない。当時、親は「涼しい朝のうちに勉強しなさい」と言っていた気がする。エアコンがそれほど一般家庭に設置されていない時代、子どもたちは皆、朝のうちに勉強した・・・のだろう。そして夕立というものが来ると、その気温の変化に驚いたものだ。

最近の夏の酷暑、豪雨、竜巻、そんな気象を見ているとやはり何か変化している気がしてならない。

 

さて、歴史学者の磯田道史さん著『天災から日本史を読みなおす – 先人に学ぶ防災』。分かりやすく書かれている。 東日本大震災後に津波常襲地に移住した著者が伝える、災害から命を守る先人の知恵とあり、あとがきで古人の経験・叡智を生かそうと。つまり、所謂、相当な技術革新とともに「古人の知恵」というものが共存している。すべてではなくともつぶさにひとつひとつに気付いていこう。

 

ネット上で記されている内容紹介は

●豊臣政権を揺るがした二度の大地震、一七〇七年の宝永地震が招いた富士山噴火、佐賀藩を「軍事大国」に変えた台風、森繁久彌が遭遇した大津波。史料に残された「災い」の記録をひもとくと、「もう一つの日本史」が見えてくる。富士山の火山灰はどれほど降るのか、土砂崩れを知らせる「臭い」、そして津波から助かるための鉄則とは。

 

【目次】

まえがき――イタリアの歴史哲学者を襲った大地震

第1章 秀吉と二つの地震

1 天正地震と戦国武将

2 伏見地震が終わらせた秀吉の天下

第2章 宝永地震が招いた津波と富士山噴火

1 一七〇七年の富士山噴火に学ぶ

2 「岡本元朝日記」が伝える実態

3 高知種崎で被災した武士の証言

4 全国を襲った宝永津波

5 南海トラフはいつ動くのか

第3章 土砂崩れ・高潮と日本人

1 土砂崩れから逃れるために

2 高潮から逃れる江戸の知恵

第4章 災害が変えた幕末史

1 「軍事大国」佐賀藩を生んだシーボルト台風

2 文政京都地震の教訓

3 忍者で防災

第5章 津波から生きのびる知恵

1 母が生きのびた徳島の津波

2 地震の前兆をとらえよ

第6章 東日本大震災の教訓

1 南三陸町を歩いてわかったこと

2 大船渡小に学ぶ

3 村を救った、ある村長の記

 

 

ことりカフェ

2018 年 8 月 19 日 日曜日

先般、ある人がどうしても「ことりカフェ」に行きたいという。想像もできないが「じゃあ、お茶でも」と行った。

頭の中では、小鳥のにおいが気になっていた。珈琲を飲むお客の回りを飛び回っているのか?など考えていたが・・・

完全に飲食スペースとことり小屋というかショールームのようになったところは隔離されているので全く臭気はない。

しかし、ガラスの向こうで文鳥やらインコやらが飛び回っている。ことり好き!の人々がうっとりとその様子を見ながらお茶を飲んでいる。

私は・・・どうも落ち着かない。小鳥が嫌いなわけではないが落ちつかないのだ。

なんでもフクロウがいるフクロウカフェというのも人気のようだと聞いた。「可愛いの!フクロウが」と言う。

心の中では「どうもねぇ・・・」である。

バードウオッチングは好きであるけれど、一緒のスペースでお茶を飲む気がしない。

心中はワサワサ・・・

 

昔々の話だが・・・

サンシャインシティ(池袋)が出来る時に、当時の社長だった元国鉄総裁の磯崎叡さんが「館内に鳥を飛ばせたらいいかと思うがどうかなぁ?」と相談されたことがある。呆気に取られた。言葉が見つからなかった。小鳥は生物だから糞や臭気、そして何よりもサンシャインは商業スペースである。疑問だらけでだったが「いいんじやないですか?」と何とも無責任な回答をしてしまったことがある。結局は実現しなかったアイデアではあるが、あの時代、突飛もない発想をした磯崎叡さん。ただただ懐かしい。過ぎ去りし日々。今は何か時代のうねりを感じる。

 

 

台風の発生がハイペースすぎる 

2018 年 8 月 16 日 木曜日

8月16日にマリアナ諸島近海で台風19号「ソーリック」が発生。台風は通常1月~8月では平年13個くらいときく。しかし19個とはかなりのハイペースである。

台風は、温度約26度以上の海水から供給される水蒸気をエネルギー源として発達する。日本付近の海面水温を見ると関東付近から南で26度以上となっていて、日本海でも北陸付近から南で台風が発達してもおかしくない温度になっている。四国や九州付近は何と30度くらいもある。のだ。

最近、慣れっこになっているが、気象では「初めて」の事が多すぎる。

 

 

ちょっとバテ気味~

2018 年 8 月 5 日 日曜日

毎日の茹だるような暑さにちょっとバテ気味?じわーっと汗が滲み出でとまらない。

随分と昔々の話ではあるが・・・

小学生の時の宿題だったのか?趣味だったのか?

夏休みは毎朝、早朝に起きて気温、水の温度、土の中の温度を測っていたことがある。35度とか、本当にそんな気温はなかったし、最近の記憶でも30度をちょっとこえたくらいのことだったと思う。

集中力というか、本当にぐったり~ぐったり~である。というのに、ビールがうまい!不思議だ(笑)

日本という国土

2018 年 8 月 2 日 木曜日

西日本の災害の事を思うと、心がいたむ。復旧してそれで終わり!というほど簡単なことでないということ。ここまでくると、本当にひとつの市町村の問題ではなく国としての問題なのである。

家族を失った人々の悼み。こんなことを私なんぞがいえることではないが時間が必要だ。計り知れない時間というものが。

・・・・といろいろ考えても本当に厖大な壁にぶち当たるばかりである。先祖代々からこの地に住んでいるからというのは決して安全が守られていることではないということを知るにも時間はかかる。

日本の味 梅干の力

2018 年 7 月 29 日 日曜日

7月28日はイベント2件を抱えていた。おかしな動きをする台風12号が関東直撃!というのは分かっていた。そんな中、気をもんだ。連続のイベントであるからだ。特に小学生対象の自由研究のためのワークショップ。親子で参加ということなので、これがまた「大人」とはどこか違う緊張があるのだ。親子の必死さというか、真面目さというか。キラキラと目の輝きが違うのだ。

激しく雨降る午前6時からずっと空模様と情報をかき集め、「決行」とした。それは酷い雨降り。とりあえず「風速」の目安も決めておいた。

緊張がずっと続いていた。

あんなこんなが終わり・・・

今日は久しぶりの日曜日。緊張の連続がほっと切れ、倦怠感が襲った。「やらなくちゃ!」というもの山積みであったのだが、いつになく倦怠感から動きも鈍く新聞を真剣に読んだりした。しかし不思議!人のカラダって。

猛暑ではないことがありがたかった。倦怠感の時はぼーっとしながらルーテインの仕事がよい。要はスポーツしたい体力、買い物したい体力、その他諸々の体力がないのだ。

そんなことを考えているうちに日本にはしっかりと根づいている「梅干」というものの存在の大きさに気付く。

あの青梅があの梅干になるまでの工程。日本に根付いた意味が分かるような気がする。

一粒口に・・・

おお!

実に複雑な味わいである。

この複雑さ。

どうしようもない倦怠感から抜け出させてくれる。