洒落ではありませんが、ツキが良ければ2015年4月4日の皆既月食が!なんと皆既食ばかりでなく部分食の始めから終わりまでを、日本全国で見ることができるそうです。皆既食の継続時間は約12分間。全国どこでも!
部分食の始め
4日19時15.4分
皆既食の始め
4日20時54.2分
食の最大(食分 *)
4日21時00.2分(1.005)
皆既食の終わり
4日21時06.4分
部分食の終わり
4日22時45.1分
洒落ではありませんが、ツキが良ければ2015年4月4日の皆既月食が!なんと皆既食ばかりでなく部分食の始めから終わりまでを、日本全国で見ることができるそうです。皆既食の継続時間は約12分間。全国どこでも!
部分食の始め
4日19時15.4分
皆既食の始め
4日20時54.2分
食の最大(食分 *)
4日21時00.2分(1.005)
皆既食の終わり
4日21時06.4分
部分食の終わり
4日22時45.1分
先般、「アレクサンドリンカ ―エジプトへ行ったスロヴェニア女性たち―」ALEKSANDRINKE (THE ALEXANDRIANS) を鑑賞した。監督・メトード・ペヴェツ。
アレクサンドリンカとは、乳母や女中としてエジプトに雇われていったスロヴェニア女性のことで、19世紀後半から20世紀前半にかけて、乳母や女中としてエジプトに仕事に行った女性たちをさして言う。このドキュメンタリーはその当事者やその子孫たちへのインタビューを中心に構成されている。スロヴェニアやエジプトなど6カ国で2年をかけて撮影されたものである。チャンスに恵まれ裕福な生活を送ることができたものと、できなかったもの。貧しいスロヴェニアに残された人たちの姿。経済の格差と愛情のすれ違いとでもいうのだろうか。そのあまりにも鮮烈な印象である。
アレクサンドリンカ・・・深く知らない事実である。
今、朗読で山本周五郎原作の「三十振袖」を読んでいるが、何ともなかなか・・・難しい。なんでも1971年と1993年に、日曜劇場枠でにドラマ化された作品らしい。私はみたことがないのだが主演が佐久間良子さんとか。評では「微妙に揺れる女心を見事に演じた」ともあるが、原作を読み進めていると、どうも主人公のお幸は佐久間良子さんのイメージではないなと思える。まあ、ドラマ作りでの配役というのはそれなりの理論はあるのだろうが・・・
しかし、時代小説とは、原作はやはり越えられないものなのだろうな・・・とつくづく。しかし「三十振袖四十島田」とはね。勉強になります!
3月24日に発生したフランス南部での独ジャーマンウイングス機墜落事故。ニュースを聞いた時に一瞬、テロか?と思ってしまったが・・・雪に覆われた悪天候の山岳地帯。ニュースで元機長の話など聞いていると、あくまでも想像しか出来ないのだが、少しでも早く原因を解明しないとという気持ちだ。
渋谷の東急プラザが3月22日に大規模再開発に伴い完全閉館したニュースを聞きながら、不思議な甘酸っぱい想いが胸をかすめた。そうか・・・49年の歴史かと。地上18階建てのビルが建設に向けてスタートを切ったそうではあるが・・・。
今であれば「青山」「表参道」「恵比寿」「中目黒」といったところだろうがが、大学時代、ちょっとお洒落に酒を呑んだ記憶といえば渋谷か。今、話題のニッカの店があった記憶があるが、かなり曖昧。ただ、学生の時はとんでもない時以外は銀座、赤坂などには行かず、新宿、高田馬場、そして中央沿線がメーンだったな。中央沿線の中野、高円寺、吉祥寺の店にサントリーのだるまを店に預け、そしてなかなか行けぬまま、どれほど期間が過ぎて流してしまったことか。それも青春の一ページであるが。
そんな、いろいろなエリアの中に「渋谷」があって、確か、東急プラザは特にお洒落な社交場であった気がする。サントリーでなくニッカを飲んだ。
閉館前に東急プラザの前に行っても、それほどのトキメキはなかったが。
不思議なものである。
しかし、ビルはどんどん高く。空にますます近くなる。
渋谷という街も変貌していくのだね。
会見や身近なところではプレゼンや各セミナーでの話し方。本当に「うまいな!」という方以外は口癖のようなもので引っかかる事が多い。
先般も実にテーマは素晴らしいものの、プレゼンの間、「えーっ」「えーっ」が多すぎて、途中で、それが急に気になり始めた。どうも魚の小骨が咽喉に引っかかったようになってしまった。いけない!いけない!と思いながらも、説明の間に挟まれる「えーっ」「えーっ」が何度あったことか・・・。この「えーっ」さえなければと思ういながら・・・。結局、そのプレゼンが終わったあと、妙な感覚に陥ってしまった。「えーっ」か・・・いや、自分が耳にフィルターでもかけて、聞かないようにすればいいだけ。それとも?といろいろ考えた。
気になる口癖は出来る限りとったほうが良いだろうな。自分も含めて。別段、滑らかにすらすらでなくてもいいのだ。よく「えーっ」のかわりに「はい」と言ってしまえ良いのですという方がいる。しかし、「はい」。これも耳障りとなるだろうな。一呼吸すればいいのだと思う。しかし、人に上手く説明、上手なしゃべりとは実に難しいものだ。
「としまの記憶」をつなぐ会でいろいろ語り部の方々にインタビューして原稿を書くことが多い。そうした中で「あれっ?」と一瞬戸惑う事がある。今や、ネットで調べれば何とかなるのかも知れないが、どうも疑い部会自分はネットの情報というものを100%信じていない。出展すらめちゃくちゃになっていることが多い。責任のしょざいもよく分からないことが多い。玉石混交というか、本当に不明展が多い。といって、さっさと図書館へ行けば?ということになるが、超スピードでこなさなくてはならない時、たよりになるのが教科書。専ら、山川出版の「日本史」のお世話になっているというわけである。それでも「はて、ここは?」というシーンがある。おぼろげな記憶、それまたしかたないことなのだが、出来る限りは正確に・・・とつとめている
時々ふっと考える。不思議だなぁ~何か人生の方程式ってものがあるのかな?と。
今年になっていやに「再会」が増えている。どっと電話やメールが来たりと。過去に仕事をしてきたものの、一旦、そのプロジェクトなどの仕事を離れて、数年間、連絡し合う事もしていない。しかし「いやあ、いち子さん元気?」とくる。「相変わらずゴルフ三昧?」と言うと「そうそう、ははは」と相手も笑っている。そして、仕事の話になんの躊躇いもなく進む。
また、あまりにも久しぶりで「わわわっ!どうしているの?」「あれからさあ~」となる。まあ、元気に生きていればそれで良し!と思う。声とは不思議なもので、離れていた時間がギュっと縮まるのだ。
今日、某セミナーでいろいろな企業の方のプレゼン等を聞きながら、「ああ!多分、今日のテーマが大きく飛躍するのでは?」そんな予感がした。そしてその時にまたいろいろな人々に声掛けをするのだろうってね。
しかし、最近は不思議が多すぎる。よく考えれば人生の愉しみの一つかも知れないな。きっと神様だけが知っている世界なのだろうなって・・・
高層ビルやマンションが建てられる時、妙に憧れた時代があった。ガラス張りの窓から街を見下ろして・・・そんなことに漠然と憧れた時もあったが、ニュースで高層マンションの高い階から火が出たなどというものを見ると、眩暈がするほど怖くなる。最近は全く高層に興味がなくなってしまった。何なのだろうなあ~今、憧れは平屋。ゆっくりと平屋で暮らしたいなって思う。