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ch12.その他 | ichikoTV - Part 4 ichikoTV

‘ch12.その他’ カテゴリーのアーカイブ

アクリル板の向こう

2021 年 8 月 17 日 火曜日

はっきり言って、まだ慣れない。

レストランでの食事の時、相手との境にあるアクリル板。

気にしなきゃいいと言われればそれまでだが、打ち合わせの時の原稿やmemoも遠回しにしていかないとならず。

それより、まるで金魚鉢に入ったような気持ちで見る相手の顔や仕草、慣れとは怖いものだ・・・といずれ言ってしまうのだろう。

暑さのせいで・・・(笑)

2021 年 7 月 31 日 土曜日

東京より暑い地域はあるのだが、兎に角、暑い!猛暑というのだろう。海外で生活していた人間が、「湿度が絶えらせないよね、日本は」とよくいう。40度超えしても湿度がないと過ごせるというが・・・やはり自分は酷暑には弱いことが分かる。8月そして9月の残暑か・・・10月の日焼けで一度酷い目にあったことがある(笑)

そんな中、甲府から巨峰が届いた。暑さの中、すくすく育ったのだろう。土と水と太陽と・・・そして温かい人の手で。一粒一粒に愛情と恵を感じる。こうして美味しいものが食べられる幸せを本当に幸福だと思わないといけないと。

小学生の頃にふっと、地球の食糧難の事を考えたことがあった。周囲の友人たちは笑った!笑った!そんな事があるわけないと言ったな。一緒に「そうだよねぇ」と笑ったものの、もう何十年も経つがいつも私は地球は永遠でない、そんな気がしてならないのだ。自分だけが良ければよい!そんなものも一人の人生などよくて100年。でも、その連鎖は続く限り続く。延々と・・・自由に快適に生き続けたいと全ての人が思うが、それには多様性がありすぎるし、人は理解する事をおのずと避ける生き物になってしまったのかなと。

防災グッズ・・・良く考えずに言われた通りのものを購入する人が最近は滑稽である。もっと少し、もうちょい、自分のアタマで考えようよ。別段、ネガティブでもなんでもないがあまりにも考えない人間が多いね。

唐突であるけれど「健全」でいる為に

2021 年 7 月 7 日 水曜日

唐突だが、人間って結局は「健康」であることが一番。勿論、心と身体の健康であるが、やはり「健全なる精神は健全なる身体に宿る」という、祈りをかなりこめた言葉があるが、常々感じる。例えば、身体の「痛み」が強ければ、先ずそれを取り去ることが先決である。凡人はそれほど強く無い・・・と思う。痛みが取れれば笑顔も生まれる。健全なる身体ということもまた難しい。一朝一夕に出来上がるものでなく、日々の積み重ねである。

普通~当然~と思っていることって、時に全く当然でない事が判る。判って次。の行動が決められるのもやはり健全な身体と精神力。

混沌

2021 年 4 月 18 日 日曜日

コロナウイルスが変異してまた変異しているらしい。大阪の感染状況が凄すぎる。東京も増大している。「自粛につかれた」と言いながら、自分は感染しないと思って?外出してしまう人の多いことよ。昨年、感染したある方が生き方を見直して出身地である大阪にうつったことを思い出した。心配でもある。

コロナという見えない敵に対しての恐怖・・・至って元気だったという方が急逝したという話を聞いた。教えてくれた人は、ただただ不思議で唖然としたという。

マスク、消毒、手洗いとルーティン。ワクチンしかない!のだがいつになるのか全く不明。オリンピックに対しても・・・

こんなに混沌とした日々は!

火星

2021 年 2 月 20 日 土曜日

 生まれて生きている間に、すざまじぃ社会の変化を見てきたような気がする。米航空宇宙局(NASA)ず2月19日に火星着陸を遂げた探査車「パーサビアランス」から新たに送られてきた画像を公開したが、なんか不思議な感覚になる。NASAが記者会見で最初に共有した画像は、大気圏突入から降下、着陸に至るフェーズでパーサビアランスが火星地表に接近する様子を捉え、以前のミッションでは不可能だったことを可能にした。

昔々、母親が小さな私に「これが火星人とかふざけて?描いた絵があった。本当だと思った。ただトマトを常食にしていると言った時に?で「こりゃ違うな」と思ったことを思い出した。

地球以外の生命体を私は信じている。
夢見ていたんだろう?と言われるが、一回だけ、千葉県でUFOらしき物体をしっかりと見ている。昼間の出来事だった。とてもとても不可思議な動きにくぎ付けになっていた。

いつの日か・・・きっと・・・

ハマコー 

2020 年 10 月 23 日 金曜日

寝ている時に見る夢は本当に不思議である。予想だにしない人々がとんでもないことをしてくる。何故、夢に出て来たのかも分からない。

 

昨日の明け方。亡き浜田幸一さんが「おい、新刊がでたんだよっ」と結構なボリュームあげて図書館内を歩いていく。私は必死に「ここ図書館なんで、ちょっと」と注意しているがどこ吹く風で歩き回っている。ああ、困ったものだと思っている・・・そんな夢。

昔々、新聞社勤務時代に某大学でサマーカレッジ企画で講師にきていだたいたことがある。何故?浜田さんを講師に選んだのかも今は忘れている。

木更津出身の浜田幸一さんは「おふくろの作る鉄砲巻が一番好きだ」と言っていた。いわゆるかんぴょう巻だ。〝鉄砲〟という言葉が今も頭の奥に残っている。多分、会場の参加者に対して無邪気に鉄砲を撃つマネでもしたのだろうと思う。打ち合わせから始まって、当日のあの豪快な感じが今も記憶に残っている。だからと言って、なんで?今ごろ?夢に?と思うが・・・

夢は不思議!

寒い・・・ああ!ぼーっとしていたいよ

2020 年 10 月 10 日 土曜日

いきなりの寒さ・・・そして台風に大雨。10月10日というと秋晴れ!のイメージが強すぎるため、どうも別の星にでもいる感覚である。ああ!ぬくぬくとぼーっとしていたい!

晴天を予定していれば、「旅にでも行きたいっすね」と言う気分だが、朝からなんやかんやと予定が入っている。しかし朝一からの取材が相手が「体調不良で・・・」ということで突然の延期。「リスケお願いします」とはいうものの、ちょっとちょっと、締め切りが迫っている。心かワサワサする。形容しがたいワサワサ感。

そうだよね、この寒さでは体調は崩すだろうとは思うが、どうもいろいろな感情が交錯する。

昔話ばかり言っていてもと言われそうだが、昔は多少の熱でも体調不調でもこなさなければならないシーンばかりであった。いわば鬼!地獄の時間だ。なんだったのか?とあの昭和時代って何だったの?と今更ながら思う。当時、社長は冗談が占めていると思うが「血反吐はくほどやれ」と言っていたな。今だったら、訴えられるよ。

しかし令和はね、平和に安全に行こう。コロナウイルスの脅威は収まっていないし、やはり人はベストコンディションでなければよいものが生み出せないしね?

 

昼から夕方まで理事会が続く。決めないといけないことが山盛りだ。私にとって秋晴れの気持ちいいイメージの10月10日、心わさわさわさわさ終わってしまった!

MESSAGE

2020 年 10 月 8 日 木曜日

日々、忙殺されているとつい気が付かない事が多いのだが、ふっとあ「場面」になると「おやおや」という状態になる。このコロナウイルスの出現でそれらが如実に露呈していていろいろ気づかなかったMESSAGEを与えてくれる。

対話ができにくい今、「リモート」が当たり前になってきているが、例えば、大学の授業で過去の歴史や文化について調べたり聞いたりすることがあるとき、若い講師であれば「リモート」はごくごく当たり前であるが、高齢の方々にとってははっきり言ってリモートと言われても身近なことではない。

打ち合わせに生身の人間が現れない?!ということに大いなる違和感を感じられるのである。その違和感が不安に拍車をかける。それをこれまでの経験をフル稼働してコーディネートしていかなくてはならない。それが社会生活の中でじわじわとパソコンだ携帯電話だが入ってきた世代の人々かも知れない。

 

自分の事を思い出すと・・・

携帯電話など高嶺の花もいいところだった。一般会社員には「内線」というものがあった。代表電話にかかると電話交換手が内線番号に繋いでくれる。その個人へスポットでなんど役職についていた人だ。会社の重役たちは専用の車に自動車電話があり、それで会話をしていた。

パソコンもいずれは一人に一台か?など言われていた時代もあった。今では誰もが手にしているスマートフォンという世界でなんでもかんでも可能である。

そして、キャッシュレスに伴って現れた印鑑不要論。行方についてもいろいろな気持ちが交錯する。初めて「実印」というものを作って、印鑑証明までの道のり。その実印の保管など緊張は未だにある。それほど実印で事業を失敗してしまった人々もみているからか。

私の友人の翻訳者は携帯を持っていない。「家での仕事がほとんどだから必要ない」と彼女は言う。家の固定電話で、そしてパソコンメールでことはたりてしまうからだと。

たまたまだ!携帯もパソコンも、また人によって必要なのでファックスも保持しているだけだ。あまり好きではないリモートであってもその場にいけないセミナーなどのオンラインはどんなにか助かっているか!

しかし、そんな中で、このところ直筆の手紙に感動している。昔では当たり前だったと思うが、その人の文字や文章の流れに見える個性に感動するばかりである。

 

夢は・・・テレパシーか?(笑)

でも既にあるものだとは思っているけれど。

 

時間

2020 年 10 月 7 日 水曜日

ある方がご主人の持病で病院に行ったところ、夫婦でPCR検査をして、結果、コロナの陽性反応が出たという。即刻、ご主人は入院で奥様は某ホテルへ行くこととなった。奥様のほうは至って元気。ただただ驚愕。いわゆる無症状での二週間のホテル生活が始まったという。他人への感染防止はもっともであるが、元気そのもののいきなりの二週間生活はやはりきつい。陰性の結果が出て、漸く退院した。人生観が変わったかな?・・・ようだと。順調だった仕事もある部分は整理し、人に任せたという。「いいところ、あと10年は楽しまなくっちゃ駄目よ」という言葉が響いた。

10年と軽く言うが、考えて見ると3650日か・・・と。これまでそれほど意識していなかったが、彼女のこの言葉の重みがずっしりと日々感じる。

「人生100年時代をどう生きるか?」という言葉のマジックに踊らされている気持ちにもなった。100年など、いろいろ考えれば難解そのもの」という現実にぶち当たる。「今30歳の人が85歳まで20075日」と、まあ、計算すればすぐわかる数字でも、何とも言えない気持ちになった。1年365日。「分かっているけどねぇ」と言っていろいろ先延ばししている人を前に「それはやっぱり考えたほうがいいかもよ」と言った。その数字が頭にこびりついていたからだ。しかし、よくよく考えれば、その人それぞれの「時間」というのもあるから他人がとやかく言うこともなかろう・・・そう思い、この日はひとまず「思考停止」とした。時間はみな、同じように与えられているけれど、使い方は本当に強制はできないものだね。

さて・・・

2020 年 9 月 11 日 金曜日

敢えて大きな声では言いませんが・・・100年に一度の新型コロナウイルスショックは、「なければ見る事の出来なかった」人の一面というか多分分からなかった一面をみせてくれます。裏というとあまりいい感じではありませんが、意外や気づかなかった部分だと思います。

新聞社を退職して暫くは所謂「異業種交流会」というのが流行っていたのか、兎に角「名刺100枚はお持ちください」と言われ、こんなにも名刺を配りまくらないとならないのか?と思っていました。今、あのようなイベントは全くないですね?あるのかな?ものすごい量の名刺をいつもも持っていき、パーティー巡りしていましたが・・・そこで知り合った人々はもう一人も記憶にないし、あったとしても名前も出てこない。一体、何だったのだろう?と思います。愛のひとかけらでもあれば多分心の底で思い出すのだと思いますが。

 

・・・というのを思い出したのは、昨夜、仕事関係者が「吉田さん、●●さんってどういう方でしょうか?」と聞いてきたのでざっくり回答。本当にうわべだけの回答。そして「なぜ?」と理由を聞いたところ、私の大っ嫌いなFBで何百人もの人脈をお持ちなのでと言う。ははーん!です。要はあの時代の交流会での名刺の数と似ているなあと思いました。メルマガもバンバン届くし、パーティーの誘いもバンバンくる。バブル時代の残り香のようでした。

 

人間関係ってこの100年に一度と言われるコロナショックでだいぶ見えてきたように感じます。それに例えば・・・時を騒がせた政治家の名前も政策も忘却しそうなことがある。

もくもくと・・・

刻々と変化する時代を冷静に生きなくては。