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ichiko | ichikoTV - Part 12 ichikoTV

‘ichiko’ カテゴリーのアーカイブ

800年ぶり

2022 年 2 月 22 日 火曜日

2022年2月22日はその日が来るまでワイワイ騒がれていた。なんでも1222年の鎌倉時代から800年ぶりとか。それに2時22分になった時も大騒ぎ!にゃんにゃん騒ぐ人にとって「猫の日」とか。まあ騒げる時に騒いでいるとよいね。

安堵感

2022 年 2 月 15 日 火曜日

このところ、週末の極寒!大雪警報といった予報が少し外れて、おやおやと思っている。AIさんも少しずれる事があるのか?とちょっと安心というか、不安も含んだ安堵感。変な言い方だが。寒さとコロナ。いろんなものが相俟って、不思議な空気感がある。ふーっとね。

なんでもかんでも動画配信への時代

2022 年 2 月 11 日 金曜日

2022年2月11日は「社会貢献活動見本市」の動画収録。本来であればリアルな開催で、人々の交流から新しい発見が続出し、いろいろネットワークが広がった。しかし、3年目のコロナ禍?どうにもこうにもならないという状況ってこういうもんなんだなと思う。

リモート会議だ打ち合わせ、動画収録配信、ネット!ネット!完全に今まで描いた事もない「世界」にどっぷり状況となっている。困ったことだ~なんで言っていられない。トシとったんだなぁ(笑)頑固さに磨きがかかっている今日この頃。思い出せば昔から、先ずは疑う癖があった、「違うだろう」と。いわば天邪鬼。天邪鬼もこの社会で生きていくには、素直に、冷静に、たんたんとこなしていくしかないのだ。

進化の良い点をとにかく見つめて進め!でもどっぷり~ゆったり~が絶対に出来ない天邪鬼は日々、呻いてしまうのだ。笑うしかないけれど!アハハ

午後のインタビュー

2022 年 2 月 1 日 火曜日

昨日は区史編纂の中の人物インタビュー最後の回であった。私は、何故かその方を前に、「ああ!なんということか!」と思ったのが〝最初〟であった。

人間とは実に不思議な生き物で、いろいろな情報を詰め込みすぎていると誤ることがある。その人物に会ったその瞬間に感じ取る、なんというか・・・直観?直感?感覚か?それは物凄いスピードで脳内で処理されて行く自分を感じ取りながら、「本日はお忙しい時間を・・・」と実に月並みな表現でインタビュー開始となった。

インタビューが終わった。

最後・・・取材が終わった後だった。「ああ!何という事だ!もっともっと純粋に人を愛していこう!」と思った。

そう、人生の成功だ失敗だ、なんだかんだ、もろもろの事象に対して、人間というものはいろんな事を言い出す、吐き出す生き物だということ。

昔、父がよくぼつんと言っていたというより呟いていた「妬み、嫉み、恨みはダメだよ」と。トシは大いにとったものの(笑)まだまだ胸はって「長い人生を歩んでまいりました‼なんてといも言えない。口が裂けても言えない中途半端丸出しの人生経験。そんな自分が実に素直に感じた「瞬間」の直感である。こりは確かな事だと思った。

人は人の事をもっと純粋に愛していかないといけない・・・

それは、理屈でも論理でもなんでもなく、ましてや〝他者〟の言い分や感想やら情報なんてばかみたいに全て信じるものではない。

その発露は心の叫びにも似ていた。

おはよう!

2022 年 1 月 14 日 金曜日

いつも利用するバス停の前にカフェがある。待ち時間、ほっと一息いれる。あらら・・・寒い日は外の席に座る人もいないが、やってきたのはヒヨドリさん?しばらくキョロキョロして飛び去った。あ!もうすぐバスが来る!

2022年 初夢

2022 年 1 月 3 日 月曜日

初夢!

一富士二鷹三茄子・・・本当に見た事は一度もないな。

2022年の初夢はすっごくきれいな海の中を泳ぐ夢だった。

スイスーイ

大空を飛ぶ夢はまるで鳥なのだろうが、海の中では一体何だったのだろう。

魚感覚も鯨感覚も何もなく、人間の自分だった(笑)

美しい海藻が揺れて、光がキラキラと注いでいた。少し食べてみると海藻は実に美味しかった。

ん・・・夢診断でも見て見ようかな!

年賀状から見える事と感じる事

2022 年 1 月 3 日 月曜日

毎年の年賀状。宛名が見事に美しいことに感動したのはいつのことだったか?それぞれの人の直筆というものが全く分からなくなった昨今。

会社勤めが終わったのを切欠に「賀状終いをします」というMESSAGEがとても新鮮だった。なんか「墓終いに似た響きがあった。

フェイスブックに年賀状を映しこんだもののなんと多いことか!感心するほどに多い。ビックリした。これもまた時代とその人のモノの考え方なんだなと思った。

「ロスに行きます‼あちらで雑貨店(笑)オープンです」というテレビ局勤務の彼女とは本当に長い付き合いだ。あのバブリーな時代に異常ともいえる企画がどんどん弾けた。死語だろうが「いけいけどんとん」時代のあまりにも懐かしい光景。ロスで店オープンくらいじゃ驚かない(笑)

ある時から来なくなった賀状。人間関係が切れたわけでもないから・・・多分といろいろ想像する。その想像が多分ね・・・と思う。何故か?連絡出来ないでいる。

SNSが当たり前の時代になって、そしてこのコロナウイルスによってこれまでの生活も変化していくことは止めようもない。何が正しい!なんていう事は出来ない。500枚すこしか、年賀状を出していた頃の自分は霧散している(笑)

メールで連絡しよう!と思う人々。寒中見舞い状を出そうと思う人々。いろいろ様々!でも・・・本当に直接会いたい!という衝動のある人々もいる。このリアルな会いたい気持ち。人間って生き物のいいところなんだよね。

2022年の朝 おめでとう

2022 年 1 月 1 日 土曜日

2022年を無事に迎える事が出来た。自分にとって実に「激動」だった2021年。嵐のように雷のように炎のように過ぎた。気づけば2022年へと時が音をたてた。

昨年、年縞が世界で唯一見られるという福井県の水月湖を訪れた時、宿屋で飲んて感動した日本酒「早瀬浦」を正月の為にとっておいた。じっと耐えて(笑)もう!良し!と飲む元旦。

今年は優しくしなやかに生きようと思う。

コロナ禍の〝死〟をみて

2021 年 12 月 29 日 水曜日

コロナウイルスの力をしみじみと感じた一年だった気がした。

叔母の死。同居する息子夫婦も分からないほど眠っているような最期であったという。享年91。昔「人生っていろいろ辛いこともあるけど、5歳で亡くした息子の死ほど辛いことはないと思う」と私に話してくれたことがある。まだ若い自分にとって。その辛さも悲しみさえも判らなかった。親友の妹の突然の死。親友の結婚式の時、まだあどけなく笑う中学生だった姿しか記憶にない。仕事でお世話になった方々の死。まだ、パソコンのメアドはそのまま・・・見つめるだけだ。

その死に対してもこれまでの世界とは変わっていたこのコロナ禍。なんということか!と思ってもそれを認める事しか出来なかった。知人も実の弟の死の報せをうけることが出来ず、怒り、悔いて、怒り、悔いて・・・それで納得していた。「こんなことってあるのか?いくら離れていてもだ。納骨しましたからはないだろう?」と私に言った。

葬儀日程も知らせずにという方が多かった。あとで亡くなったことを聞く事になるとは!あまりにも記憶が鮮明過ぎる方の死を知らされることは辛い感情を超えていた。皆か「コロナだから」とは言うものの、それまでの人間関係が、心の様子が見事に表出した年だったと思った。

地球の歴史から思えば、人間の一生のなんといあっと言う間の事か!その命ある時間の中で何を感じて何に気つくか?これが分かったとだけでも幸福だということだ。

写真のコピー

2021 年 12 月 17 日 金曜日

丁度、叔母が亡くなって1か月ほど経つ。息子夫婦たちと一緒に暮らし、その自宅のベッドで夜明けか・・・それこそ静かに静かに息を引き取ったと叔母。老衰とか。享年91だった。人生100年とは言われる中それは静かに眠るようだったといとこが言った。病室でもなく、家族とともに自宅で・・・コロナ禍であり、病室であっても見舞いも厳禁の今は何か心がガサガサする。今はそんな時だ。良かった、叔母は幸せだと思った。

ひとまわり下のおばから、昔々の写真のコピーが送られてきた。若くして亡くなったいとこの写真もあった。彼女は本が好きで、夏休みには本ばかり読んいた。ピアノもうまく、自分で作曲もしていて、よく私に聞かせてくれた。宝塚にも最初に連れて行ってくれた。ある時、アマチュアバンドの演奏に親に内緒で連れて行ってくれた。その後、私が友達と内緒で演奏をききに行き、それを話した時、「だめじゃないの!」と叱られた。想い出が甦った。懐かしさで胸がいっぱいになった。

若い若い叔母の写真。祖父の育った家の前での写真だ。「人生ってね。いろいろ辛いこともあるけど・・・5歳で亡くなった時ほど辛いことはないと思うのよ」と長男を亡くした話を私に言った叔母の表情が忘れられない。

写真はいろんなことを思い出させてくれる。