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ichiko | ichikoTV - Part 12 ichikoTV

‘ichiko’ カテゴリーのアーカイブ

2022 年 5 月 14 日 土曜日

タケノコの美味しい季節だ。新鮮なものは刺身で、煮ても焼いても炊きこんでも美味いタケノコ。

昔、この季節になると山ほど山口県からタケノコを送ってきてくれる友人がいた。いつの日か今か今かと新鮮なタケノコを待っていたのだが、ある年に届かなかった・・・そのまま気にせず時間が流れたがもう一人の友人が「全く連絡がつかないのよ」と連絡してきて、いろいろ私に訊ねたが全く消息不明。現代の「独り」というのは、本当に連絡がつかなくなったら、全く前には進まないのだ。行政は「個人情報は教えられません」と一点張り。これこそ全く前進しない。電話だメールだなんだかんだの方法も全く役立つないことを知る。

東京にきた時は必ず、友人のオフィスにより、そこでみんなに料理を振る舞っていたと聞き、もっと遡れば、そう20代から彼は山仲間だった。電話口で焦っている友人の口から「幼稚運の園児にタケノコ堀りとかいろいろ教えているともきいた」という中から私の頭の中に「幼稚園」という彼のイメージとは結びつかない言葉が響いた。

何れにしても事態は尋常ではないのだ・・・

不思議と言えば不思議である。いつも自分が不思議だと思えるのはこんな時。ふっと地図を広げ、そして地域の中にある幼稚園を3つ選んだ。

最初の幼稚園では「知りませんね・・・」と呆気なく。そして次の幼稚園に電話した時だった。本当にこういうことがあるものか!と思った一瞬だった。たまたまか、必然か?電話口に出たのは園長先生で、私の口から「Nさん」と彼の名前を出した途端!「わぁー」という響きと興奮にも似た焦りの声が聞こえた。「今年も園児たちにタケノコ堀りを教えてくれる予定だったんだす!」と。その後はいろいろな経緯と「死」という事実を教えてくれたのだ。しかし現代の「独り」というのは本当に本人がいなくなってしまうと全く手も足もでない。納骨されたのであれば寺か?また、地図を見ながら川筋を見て、「教えて教えて」と思い、何故か北方向にある寺に電話をしてみた。その瞬間だった。また電話口にご住職が出られ、驚き、彼の「~家」の話を始めた。私はひたすらメモをとった。

何かに揺り動かされて、知らされて・・・友人に電話で連絡して事情を伝え、菩提寺を教えた。電話の向こうで彼女はとても驚き・・・そして泣いた。

20代の頃は、夏になるとふた山くらい登り、高山植物の好きな彼は、花たちを写真におさめた。若い時代の私たちは「近くにこんな綺麗な花があるのにぃ~」と言って彼をからかいながら燥いだ。

5月・・・この季節になると〝あの時〟から毎年毎年、夏山に登った時のこと、そして届けられた荷物にある彼の文字を思い出すのだ。5月に届けられたのは「タケノコ」ではなく・・・なんか「筍」だった気がする。

海ゆかば

2022 年 5 月 11 日 水曜日

発表会といえば・・・

先ず、8月に「朗読会」がある。広島と長崎、日本への原子爆弾投下にちなむ話、手紙、短歌などの本格的練習に入った。その中で、『海ゆかば』を歌うシーンがある。この歌は信時潔(1887-1965)が1937年(昭和12年)に作曲した国民歌謡・戦時歌謡ということだ。歌詞は奈良時代の歌人である大伴家持による『万葉集』巻十八「賀陸奥国出金詔書歌」から抜粋されている。

海行かば 水漬く屍

山行かば 草生す屍

大君の辺にこそ死なめ

かへり見はせじ

大君とは天皇のことである。兵士たちはこれを口にしたというが・・・

以前、従軍看護婦をしていた方を取材したことがある。まだ若い若い兵隊さんの看護をしていた。「米粒を集めて集めて粥にして、一匙、その兵隊さんの口に運んだ。そして、亡くなる直前に一言「おかあさん」と言ったの」と聞いた。亡骸を森に運び、そして葬られたと言っていた。多くの記憶。思い出し思い出し、そして、哀しい哀しいといつまでも泣いていらした。

その時のこと・・・どれほどの悲しみと苦しみがあったか・・・ふと思い出す。

あららぁ・・・

2022 年 5 月 1 日 日曜日

気か付いたら既に5月に突入しているではないか・・・本当に何か気ぜわしく、本当に忙しい。時間を刻んでいる感じの怒涛の日が過ぎていった・・・

兵庫県豊岡市但東町

2022 年 4 月 17 日 日曜日

2022年4月16日(土)から17日(日)、兵庫県豊岡市但東町にいた。多分、この日の出来事についてはじっくりと自分の内で考えながら纏めていこうと思っている。ただ、山から下りてきた時、コウノトリが飛来し、森の中へ飛んでいったあの姿は私にとっては本当に幸福なひと時であった。

国境

2022 年 4 月 14 日 木曜日

「国境は燃えている」という映画があったが・・・

どうも私には「国境」の感覚はない。

昔、ヨーロッパを巡る旅をしたことがあったが、その時に何か「国境」をこえているという感覚があった。

今、世界地図を少し方向をかえて見ると、ロシア、中国という国との距離感が違って見える。「えっ?」と思うほどの感覚の違いだ。

そして、日本に住んでいると「宗教観」さえも違うことに改めて気づくのだ。


ちょっと・・・

2022 年 4 月 12 日 火曜日

今週末からちょっと取材で秘境の地へ(笑)本人至って真面目なんですが・・・その為にいつも以上に頑張って鍛えて、体力つけているところです。しかし、乗り継ぎ乗り継ぎ・・・で結構、移動に時間がかかりそうであるが、着実に体力は回復して気がする。一に健康、二に健康であるなとつくづく。

時は止まらない・・・

2022 年 3 月 28 日 月曜日

こういう時代にまさに直面しているんだな・・・と思う日々だ。

今頃何を言っているのか?と言われそうだが・・・

今までのこと、これまでのことは確実に「過去」であるということだ。例えば、人は死んだらどうなるのか?という質問にあれこれいろんな世界を彷徨する人々の意見は様々あり、それを信じて生きる。しかし、人は死んだら「無」になることは変らない。

たからこそ・・・というか、その「過去」に学ぶことの多いことに対して鮮烈に気づかされる。そう!人間か何を考え何をしてね「時」は経ち、そして「今」が「今」ではない事に気づく。「過去」となっていく時間の堆積と残り香のような感情を懐かしむこともいいが、過去から学ぶことのこれまで以上に気づきが多いことを知る。

昔、映画「ひまわり」をみた

2022 年 3 月 19 日 土曜日

随分、昔の話だ。学生時代、友達と映画館へ行き「「ひまわり」をみた。涙を流していた。何故か悲しいと言って共に涙を流していた。

30代になってから40代になってから・・・この映画を改めてみたのだが、心を揺さぶるものが学生時代とは全く異なって、それは自分でも驚くほどだったことを記憶している。

冷戦期にソビエト連邦で初めて撮影された西側諸国の映画「ひまわり」。第2次世界大戦下、ジョバンナ(ソフィア・ローレン)とアントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)は結婚するがその幸せもつかの間、アントニオはソ連戦線へ送られる。終戦後、戻らない夫の行方を追ってジョバンナはソ連へ向かう。漸く、夫の居所を探し当てるのだが、戦場で遭難した彼はソ連の娘に助けられて・・・

戦争によって、ひきさかれた夫婦の悲哀という、それだけのものでない事が判る。マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンという二人の名優。そしてヘンリー・マンシーニの音楽。あの映像と旋律。何よりもエンディングでの地平線にまで及ぶ画面一面のひまわり畑。このひまわり畑はソビエト連邦時代のウクライナの首都キエフから南へ500キロメートルほど行ったヘルソン州で撮影されたものである。

日々

2022 年 3 月 17 日 木曜日

淡々と日常生活をこなしていく

耳に入る数々の情報

全てが把握できない中で

落ち着かないその感情さえも封印して

静かなレジスタンスなのかも知れない

言の葉

2022 年 3 月 9 日 水曜日

アメリカ合衆国の飛行家のチャールズ・オーガスタス・リンドバーグ。1927年に「スピリット・オブ・セントルイス」と名づけた単葉単発単座のプロペラ機でニューヨーク・パリ間を飛び、大西洋単独無着陸飛行に初めて成功。1931年には北太平洋横断飛行にも成功した飛行家として有名である。

その1931年は航空路調査のため、リンドバーグは結婚まもないアン夫人と北太平洋をよこぎって日本を訪れる。千島を飛んでまず根室へきているのだが・・・・

リンドバークの妻のアン・リンドバークが千島列島の海辺の葦の中で救出され、いよいよ別れの時に横浜の埠頭で人々が「さようなら」と甲高く叫ぶこの言葉の意味を知らされて強い感動を覚えるのだ。

私はそのエッセイを読み進め深い感動に包まれた。

「さようならとこの国の人々が別れにさいして口にのぼせる言葉はもともと「そうならねばならぬのなら」という意味だとその時に私は教えられた。「そうならねばならぬのなら」なんという美しいあきらめの表現だろう。西洋の伝統のなかでは多かれ少なかれ神が別れの周辺にいて人々を守っている。英語のグッドバイは「なんじとともにあれ」、フランス語のアデューは「神のみもとで」と、再会を期している。それなのにこの国の人々は別れにのぞんで「そうならねぱならぬのなら」とあきらめの言葉を口にするのだ」と。

コロナ禍での日々を考えた。例えば・・・なんて言い方もおかしいが、叔母の亡くなった時も会えず、「さようなら」さえ言えずだった。

昨晩はふつふつと昔々の想い出をかみしめていた。余りにも仕事で忙しすぎた30代のある時、「電話くらいできるでしょ?」と言った叔母に対してそんなことさえ出来ないほど「今は忙しい」と返した自分のあまりにも幼稚な姿を思い出していた。

言葉は大切にしよう・・・もっと