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‘ichiko’ カテゴリーのアーカイブ

記憶だけではどうにもならないことがある

2020 年 1 月 13 日 月曜日

昔々・・・かなり昔のこと。ある霊能者のKさんと話している時、話の途中でいきなり語気を荒げて「なんでしないの!女性たちの生き方を纏めないの?」と言い出したことがあった。その瞬間、一体何が起こったかは理解できないまま、呆然と、「そんなこともあるんだなあ」程度の感覚で終わり、帰ったことがある。

 

当時といえば・・・

例えば記者会見にしても一歩進んだフレッシュな情報をもぎりとる仕事が多かった。また各社からの新製品情報にしてもニュースにしてもいわば先端情報を扱っていた。そんな日々の中で、たまたまKさんと仕事とは離れた時間にそんなことを突然言われた。ちんぷんかんぷんであったのだ。

しかし年月とは本当に不思議なものである。昨年、依頼された行政の仕事で、「平成史は男性でなく女性に絞ります」と決定して以来、インタビューの相手は時代の波を精力的に泳いでこられた女性にターゲットとなっっている。単行本一冊書きあげるくらいの勢いの人生の足跡をお持ちの方ばかりであ。たまたま、今回は「平成時代」という30年間に絞るのだが、この30年間のなんと怒涛にみちているか・・・言葉と言葉で積み上げていく作業のど真ん中にいる。

 

しばらく、霊能者のKさんとはもう連絡がとれないでいる。たまたまKさんが住んでいた郊外の駅に立ち寄ったことがあり、その時「確か、このあたりだったかな」と思って探すが、駅そのものの著しい変化。そして街の様子もすっかりと変わってしまっている。時の流れとともにいろいろなものが変化していく。きっと住む人々も全く変わってしまったのだろう。冷静になってみる。自分の頭の中に残像としてあるKさんの家のドア・・・室内の様子・・・そして室内のにおい。

今、何か使命をうけた気持ちでいる。あの「最先端にいる」などと一種のまやかしにも似た魔法にかかっていた時代を完全に過ぎ、今はもっともっと自分の足元を見つめなおし、それまで得た価値観すら変えていかなくてはならない時期になっていることを知る。

ただ・・・記憶だけではどうにもならないことを知る。

意外と混雑

2020 年 1 月 2 日 木曜日

ちょっと買い物に出かけた。

意外と正月の東京が混雑しているではないか。

今年もいろいろなところでいろいろなドラマがあるんだろうなぁ~と思う。

 

2020年1月1日

2020 年 1 月 1 日 水曜日

見上げると抜けるような青空が広がっている。

2020年の新年。

この青空で迎えた。

それは本当に幸せな事だと実感する。

またいろいろある一年なんでしょう!と思いつつお参りを。

本年も宜しくお願い致します!

約2時間だけ

2019 年 12 月 29 日 日曜日

2019年って何だったのだろう?と今さらながら思う。

いわば疾風怒濤。

凄すぎたな・・・と。

システム手帳には2019年と2020年が同時にあって、既に2020年の5月までの予定が組み込まれているではないか。

次の年までは時間が随分とあると思えたが勘違い(笑) 冷静になってみるとそれほど時間はない。

変な言い方だが逃げられない「平成史」の発行も令和3年と決まっている。これはなかなかだ(笑)

しかし、今年の年末は何かが違っている・・・ということで「映画館」に飛び込んだ。2時間だけ、別世界へ!

ぼーっ・・・・

2019 年 12 月 1 日 日曜日

ある意味、自分をなくしていたような時間が過ぎていた。

結構長い時間。

大好きな本もなかなか読み進められず、ゆっくり眠ることもできず、お茶を飲んだり音楽を聴いたりということもなく、ただただ時間が暗雲に吸い込まれるようだった。

 

さて、心を亡くすと書いて「忙」。

他のものに心を奪われる
心がまともに存在しない状態
‘落ちついた心がない’

そういうことらしい。しかし、かっこ悪いよね?スッキリしていない。だいたいそういうのは嫌いだ。

 

亡の下に心と書く「忘」は自分の意思で心を亡くしてしまうことらしい。なんかその方がいいな。ぼーっとしてなくすものはなくしてしまおう!ただ、‘心の中にあったものがなくなる・・・というのは辛いな。

何れにしても「忙しい」「忙しい」といちも言っているのに「こんなに忙しい」とフェイスブックをアップしている人は特に大嫌いに分類される。本当に嫌いだ。自分で「忙しい」と言っていること自体が、やぼったいよ。

 

終わった!

睡眠とって、美味しいお酒でも飲んで、旅でもしよう。

多分「忙」も「忘」も亡くなる筈である。

 

祝賀御列の儀

2019 年 11 月 10 日 日曜日

令和元年11月10日(日)、天皇陛下の即位を披露する「祝賀御列の儀」が午後3時から皇居・宮殿から赤坂御所までの約4・6キロのコースで国の儀式として行われた。

天気もよく、青空の広がる一日であった。

天皇、皇后両陛下はオープンカーに乗られパレードに集まった人々の祝意に笑顔で手を振って応えられていた。一つの時代が始まる。歴史が始まる。

 

顔つき

2019 年 10 月 27 日 日曜日

人間にはいろいろな人がいる。十人十色といってしまうばそれで終わりだろうが、それぞれの個性というか、持ち味が「アハハ、いつも楽しいね~」で終わればいいが、そうでなく只管、自分勝手で他人に迷惑などかけ続ける人もいる。たいがい。こうした人は自分の「個性」に気付いていないというかある意味、課題評価しているところがあるような気がする。

 

今、お笑いタレントさんが税金問題で話題になっている。暮らしと税金って本当にいつも真剣に考えていないとならない問題である。というものの、彼を囲んでの記者会見風景を見ていて、何とも後味の悪さを感じた。そのタレントさんは本格デビューする前のコンテストで初めて見た時に「くすっ!」と笑える才能を感じた。そして思った通りに入賞して今日に至る。出演する番組を多く持っている。しかし、最近見ていると、どうも持ち味というか、何か変容したな・・・そう感じて、要は魅力を感じなくなっていた。何なのかしらん?と思っていたら「そうか・・・」という結果である。

彼は所謂、「イケメン」と言われているタレントさんであったが、そのものの考え方、日々の生活の仕方というか、彼の言う「想像を絶するだらしなさ」というものが今の彼の風貌を作ってしまったのかと感じた。つまり「顔つき」というものだ。

人間って、たとえ美女といわれようと美男子と言われようと人には「顔つき」というものがあって、怖いことにそれは一生続かない。変化してくるのだ。多分・・・彼は典型的だったなと。

勿論、人はトシをとるので、太ったり痩せたり、カラダのラインも崩れたり、若い時代にはなかったシワが食い込んでくる場合もある。しかし、やはり最終的には日々の時間が作っていく「顔つき」というものんだなと思った。

 

大いに反省して、気が遠くなるほどに一時でいいから自分を見つめなおしてみることもいいかなと僭越ながら思った。人は顔のつくりで勝負できるのはある若い時代まで(笑)。それからは「顔つき」にかわっていく。全て自己責任のようなものの反映である、そう私は思っている。

 

人がなかなかできないこと

2019 年 9 月 13 日 金曜日

断捨離アンバサダー・川畑のぶこさんの「断捨離」の話を聞いた。最近、とくにこの「断捨離」についての興味というより、実際に必要だということが分かってきている。しかし、あのバブル時代を体験したからこそ?かも知れないとつくづく思う。一体、あの時代は何だったのかしらん?捨てられない「モノ」がいつまでも鎮座している。

 

「断捨離」とは家の中を見回して。決して整理整頓ということで収納のコツを学ぶということではない・・・らしい。間違いやすいのがここである。収納グッズなど買い込んで「整頓」するのではなく「整理」するということ。まだこのところを勘違いしている人が多いとか。

そんな時に闘わなくてはならないのが人に棲みついた「執着」というもの。だから「断捨離」ということが出来ないのだと川端さん。例えば「これはあの日の記念のもの」とか「大切な忘れられない思い出なの」というもの。つまりは自分にとっての逸品である。。

よくよく考えると、例えば仕事面でもいえる。何故?こんなに沢山の情報を得て、資料を集めこんでしまうのか?と。確かに、がんじがらめになっている自分発見。ペーハーレス時代とはいうものの「こりゃ、どうした?」というほどの書類のたぐい。「いつか役に立つ!」と思っている資料の数々。役立ったか?と言っても「NO」である。もう「断捨離」したほうがいいのかも知れない。

 

川畑のぶこさんの話を聞いているうちに人生って「踏ん切り」みたいな事が大切なんだと思った。「やっているわよ~」と言うわりには多分、、いや、絶対にとどまっている。それは、時としていろいろなことを腐らせていくことだと。「熟成する」ことは、「奇跡」に近いことなのかも知れないな。モノだけではなく人間関係の断捨離もある・・・らしい。しかし、なかなかそうしたことが出来ないのもまた人間である。

いつかやる!ではなく今日やる!ということらしい。これまた踏ん切りである。

光子さん、有難うございました

2019 年 9 月 8 日 日曜日

作曲家の吉岡しげ美さんのお母様の告別式に参列した。

棺の中の光子さんは、とても綺麗だった。

病を乗り越え、そして乗り越えた時、何もかもが削ぎ落された美しさだと思った。

「シャネルなのよ」と指先に塗られた深紅のマニキュアのことをしげ美さんがいった。

バックグラウンドに茨木のり子さんの詩「わたしが一番きれいだったとき」が流れている。光子さんはこの歌に、戦時中の自分の青春を重ねてはいつも涙していたという。

納棺そして出棺。激しい雨が降り出した。

台風は夜半にくる予報というのに。

ふと・・・私の右腕にそっと温もりを感じた。

それは一瞬だったけれど・・・

光子さん、安らかに。

そしてこれまで有難うございました。

 

なんかね・・・思い出してね・・・カツ代さん

2019 年 9 月 4 日 水曜日

料理研究家の小林カツ代さんが「この指とまれ」と社会で活動している女性たちに声をかけて始めた「神楽坂女声合唱団」。今年で結成20年を迎える。ということで記念史の編集をしており、まさに作業は現在進行形である。

ふぅーっとカツ代さんと初めてお会いした日のことを思い出す。あの時代。あくまでもあの時代の風が吹き荒れていた。その時代にあって当時、バリバリ活躍されていた女性評論家の自宅へ呼ばれ、お鍋を囲んだ夜だった。何のお鍋かも忘れたが・・・何がそんなにおかしかったのか?鍋をつつきながら笑い転げた思い出がある。私の左隣りに座ったカツ代さんはもう破裂しそうな笑顔で、「いやねぇ」と言って笑い転げた。一体何だったのか?今、タイムマシンがあったならその時の様子を見にヒヨッと戻りたいくらいである。

 

ああ!本当に長い時間が経った。

いろいろな事がありすぎる程だ。

 

今は女性が社会で仕事をこなすことなど当たり前であるが・・・当時、一旦家庭に入った女性が再び社会へ飛びだす!そんなことは体中の細胞がぶっ飛ぶくらいにすごいことだった。家庭をもたず、社会で仕事をし続けていた女性は実に冷ややかな視線だった。ましてや男性たちは「えっ?なにごと?」と、動揺を必死に隠しながら「おお!女性の時代だ!」と実に大仰な歓迎のボーズをした時代だ。

何とかハラスメントなんてコトバはなかった時代。社会へ飛び出した女性たちは、多分、わけのわからない苦しみも悲しみも怒りにも似た感情があった時代。

 

そんな時代の中、カツ代さんは「わたしね、料理が好きなの~」と言いながら、何の肩書もこだわらず真剣に何かを見つけようとしていた。今ではあったり前のようにある「料理研究家」などという肩書は実に革新であったのだ。

 

カツ代さんが病に倒れる前に一冊の書籍を作った。書店に並ぶ前に「これからラジオでしゃべっちゃうからね~」と電話をかけてきて、慌てたおぼえがある。「まだ、ダメだったらぁ」と言うと「しゃべるから!」と言って電話を切ったカツ代さん。並木道で「あだだだた・・・・」と思い。ぼーっと佇んでいた私。

初夏の風が吹いていた。