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‘ichiko’ カテゴリーのアーカイブ

人がなかなかできないこと

2019 年 9 月 13 日 金曜日

断捨離アンバサダー・川畑のぶこさんの「断捨離」の話を聞いた。最近、とくにこの「断捨離」についての興味というより、実際に必要だということが分かってきている。しかし、あのバブル時代を体験したからこそ?かも知れないとつくづく思う。一体、あの時代は何だったのかしらん?捨てられない「モノ」がいつまでも鎮座している。

 

「断捨離」とは家の中を見回して。決して整理整頓ということで収納のコツを学ぶということではない・・・らしい。間違いやすいのがここである。収納グッズなど買い込んで「整頓」するのではなく「整理」するということ。まだこのところを勘違いしている人が多いとか。

そんな時に闘わなくてはならないのが人に棲みついた「執着」というもの。だから「断捨離」ということが出来ないのだと川端さん。例えば「これはあの日の記念のもの」とか「大切な忘れられない思い出なの」というもの。つまりは自分にとっての逸品である。。

よくよく考えると、例えば仕事面でもいえる。何故?こんなに沢山の情報を得て、資料を集めこんでしまうのか?と。確かに、がんじがらめになっている自分発見。ペーハーレス時代とはいうものの「こりゃ、どうした?」というほどの書類のたぐい。「いつか役に立つ!」と思っている資料の数々。役立ったか?と言っても「NO」である。もう「断捨離」したほうがいいのかも知れない。

 

川畑のぶこさんの話を聞いているうちに人生って「踏ん切り」みたいな事が大切なんだと思った。「やっているわよ~」と言うわりには多分、、いや、絶対にとどまっている。それは、時としていろいろなことを腐らせていくことだと。「熟成する」ことは、「奇跡」に近いことなのかも知れないな。モノだけではなく人間関係の断捨離もある・・・らしい。しかし、なかなかそうしたことが出来ないのもまた人間である。

いつかやる!ではなく今日やる!ということらしい。これまた踏ん切りである。

光子さん、有難うございました

2019 年 9 月 8 日 日曜日

作曲家の吉岡しげ美さんのお母様の告別式に参列した。

棺の中の光子さんは、とても綺麗だった。

病を乗り越え、そして乗り越えた時、何もかもが削ぎ落された美しさだと思った。

「シャネルなのよ」と指先に塗られた深紅のマニキュアのことをしげ美さんがいった。

バックグラウンドに茨木のり子さんの詩「わたしが一番きれいだったとき」が流れている。光子さんはこの歌に、戦時中の自分の青春を重ねてはいつも涙していたという。

納棺そして出棺。激しい雨が降り出した。

台風は夜半にくる予報というのに。

ふと・・・私の右腕にそっと温もりを感じた。

それは一瞬だったけれど・・・

光子さん、安らかに。

そしてこれまで有難うございました。

 

なんかね・・・思い出してね・・・カツ代さん

2019 年 9 月 4 日 水曜日

料理研究家の小林カツ代さんが「この指とまれ」と社会で活動している女性たちに声をかけて始めた「神楽坂女声合唱団」。今年で結成20年を迎える。ということで記念史の編集をしており、まさに作業は現在進行形である。

ふぅーっとカツ代さんと初めてお会いした日のことを思い出す。あの時代。あくまでもあの時代の風が吹き荒れていた。その時代にあって当時、バリバリ活躍されていた女性評論家の自宅へ呼ばれ、お鍋を囲んだ夜だった。何のお鍋かも忘れたが・・・何がそんなにおかしかったのか?鍋をつつきながら笑い転げた思い出がある。私の左隣りに座ったカツ代さんはもう破裂しそうな笑顔で、「いやねぇ」と言って笑い転げた。一体何だったのか?今、タイムマシンがあったならその時の様子を見にヒヨッと戻りたいくらいである。

 

ああ!本当に長い時間が経った。

いろいろな事がありすぎる程だ。

 

今は女性が社会で仕事をこなすことなど当たり前であるが・・・当時、一旦家庭に入った女性が再び社会へ飛びだす!そんなことは体中の細胞がぶっ飛ぶくらいにすごいことだった。家庭をもたず、社会で仕事をし続けていた女性は実に冷ややかな視線だった。ましてや男性たちは「えっ?なにごと?」と、動揺を必死に隠しながら「おお!女性の時代だ!」と実に大仰な歓迎のボーズをした時代だ。

何とかハラスメントなんてコトバはなかった時代。社会へ飛び出した女性たちは、多分、わけのわからない苦しみも悲しみも怒りにも似た感情があった時代。

 

そんな時代の中、カツ代さんは「わたしね、料理が好きなの~」と言いながら、何の肩書もこだわらず真剣に何かを見つけようとしていた。今ではあったり前のようにある「料理研究家」などという肩書は実に革新であったのだ。

 

カツ代さんが病に倒れる前に一冊の書籍を作った。書店に並ぶ前に「これからラジオでしゃべっちゃうからね~」と電話をかけてきて、慌てたおぼえがある。「まだ、ダメだったらぁ」と言うと「しゃべるから!」と言って電話を切ったカツ代さん。並木道で「あだだだた・・・・」と思い。ぼーっと佇んでいた私。

初夏の風が吹いていた。

 

 

 

YOKOHAМA

2019 年 9 月 3 日 火曜日

朝一番で横浜へ。

蒸し暑さはどこも同じ。

ざっー!と雨が降りそうだ。

 

何年前だったのか?

イベントで横浜には日参していた時があったな。

ガイドブック取材の時はやはり毎日通った。

そうそう、ロケでよく使われる埠頭のBARで呑んだ夜の事も。

夜更けの海に心も奪われた。

 

そうそう、今はカジノ問題でゆれているな。

時代が街をつくる。

いろいろ思い出も多い、いや多すぎる。

そんな横浜。

忙中閑あり

2019 年 9 月 2 日 月曜日

「忙しい!忙しい!」という人がなんと多いことか。

本当に口開けば「忙しい」という人々。何かとならないの?と思っている。

彼らは決して「暇だから」などとは言わない人々。自分が誰よりも忙しいと思っている。

しかしあまり口に出しすぎているとみっともないよ・・・と思う。

私も時々「ああ!忙殺」と言ってしまうが本当に心までなくしてしまっている状態ということだ。これって最悪です。

会話にはもっと余裕をもった方がいい。「手伝うよ」と言っても決して恥ずかしいことではない。

寧ろ忙しい人ほど仕事は速いのだ。

昔からいう「忙中閑あり」。

実にいい響きだ。

悪夢は嫌よ~

2019 年 8 月 29 日 木曜日

夜中に大地震の夢を見た。タテに2~3回ほど大きく揺れて、あとは横揺れときたもんだ!私はものすごい勢いで踏ん張って冷蔵庫を支えている・・・はて?本当に地震か?夢か?で迷っているうちに沈み込むように寝てしまったらしい。

早朝、必死で地震情報を探したが何もない・・・やはり夢か!と思い、今度は「夢診断」の本を開いた。どうも地震の夢なんかいいわけがないよと不安。診断は2項目書いてある。「地震」で家屋が倒壊したり下敷きになったりしている夢はやはり悪夢だ。事業倒産だ、訴訟問題だと書いてある。嫌ねぇ。そりゃそうだな。よくは分からないが・・・踏ん張って踏ん張って揺れを実に冷静に観察している自分。しかしなんで冷蔵庫なんだ?疑問は山盛りであるが、そうか、そうかと納得する。

妙に忙殺されているこの頃・・・少しゆったりとお茶でも飲む時間が必要なのかも知れないな。

いろいろ大変ね・・・

2019 年 8 月 27 日 火曜日

前に「感情も老化するらしい・・・」と書いたのだが、そこに、「昔の失敗をひきずる」ということもあった。

しばし意味が分からなくて、いろいろ考えていたが、要は「ひきずるタイプ」ということだ。例えば「昔の恋人が忘れられない」といった恋愛にも、「あいつが出で来なければあの業績は俺のモノだった」とかかな?とまたも安直に考えた。

そして、いつまでもひきずっている方はいることに気付いた。時間が経つと本当に忘れてしまう事をひきずっていつまでもずーっと言い続けている方はいる。対応は難しい。苦手なタイプだ。

実は「ああ、これか」とも思ったことがある。昔の肩書とか会社名をいつまでもひきずっている方もいる。

ひきずるか、ひきずらないかって、脳にある前頭葉の部分の問題だって。つまり「切り替えができない」タイプらしい。

切り替えはうまくやっていきたいと思います・・・なんで小学生の作文のようなことではなく、確かにひきずってもいいけれど、切り替え上手に「記憶」の一部としてひきずることが出来ればかなり人生生きやすくもなるのかなと思う。

 

夏の終わり

2019 年 8 月 24 日 土曜日

暑いといいながらも静かに秋風を感じる・・・

ああ、夏の終わり。

昔、海辺の街で育った友人の一人が「海の家がしめられる頃になると、ああ!夏の終わりかさびしさでいっぱいになる」と言っていたことを思い出した。

夏の終わりを感じるものは人それぞれ。

海の近くで、山に囲まれて・・・

育ったところで人々の想いも違う。

本当に人それぞれ。

夏の終わりか・・・

夜に線香花火をした。

小さい頃の夏休みと言えば花火はいつもしていた気がするが、大人になると花火大会には行っても、手持ちで花火はなかなかしないな。

手にしたのは日本で作られた線香花火。シュワーッと燃えて、いきなりポターン!と固まって地面に落ちることはない。

バチバチバチバチ

一夜を鮮やかに彩ってくれた。

久しぶりの鼓動

2019 年 8 月 9 日 金曜日

時として、予想もしないことが起こる。

仕事の依頼の場合は「そうか・・・これまでり実績に対して相手側が期待されているのかも知れない」と思う事はあるが・・・

決して「仕事」ではないところで「いきなり」ということがある。これには驚いて、胸の奥の奥で不可思議な鼓動となる。

 

例えばである!

ものすごーく可愛い美少女が街で声かけられてということは実に客観的な話である。好き嫌いなタイプはあるにしてもだ。

 

また、ものすごーく大金持ちがなんだかんだと投資話などでアプローチされる事。これも何となく客観性がある。貧乏であれば投資話など多分こないよね。

 

しかしねぇ・・・

いきなりねぇ・・・

これを読む人は「何を書いているの?」「暑さでいかれた?」と思うだろうが・・・

今一つの不安や機体や表現できない感情を持ったまま゛てはあるが、来週の展開で、一つの幕が開かれそうだ。

 

あの日あの時

2019 年 7 月 13 日 土曜日

最近、書籍の購入は殆どがネットで注文してしまう。かなり古い時代のものでも意外と簡単に入手する事が出来る。

そんな中、先般、時間が少しあって書店内をぐるぐるまわり、ふと、新書コーナーのところへ来て「はっ!」と立ち止まった。「時の流れ」が耳元でザザザーッと聞こえた、そんな気がした。

 

あれは、高校1年か、2年生の時か・・・。そこが学校の図書館か、または家の近くの図書館だったか、それさえも記憶にないが、そのタイトルに強く惹かれ、読み進め、そしてずんずんと引き込まれたいった本があった。当時、新進気鋭と言われていた作家のものだった。昔は個人情報の管理も実に甘く、本の最後の著者略歴のところに自宅住所が書いてあったのだ。確かに昔からせっかち気質は変わらない。即効でその書籍の感想文を送った。何を書いたのか全て忘却している。しかし、数日して、その著者から葉書が来た。いきなり女子高生からの手紙。多分、当時はさぞ、驚いたと思う。

 

暫くして、秋になって某大学で講演会が開かれるから来ませんか?と通知をもらい、意気込んで出かけた。広い教室だった。後方の席に座ったが・・・目があった。講演会終了後、関係者たちに囲まれる中を振り切って、振り切って、走り抜ける。正門を出て、駅に向かって歩き始めた。何の言葉もかけずに歩いた。

不思議なことに・・・しばらくして「空腹である」ということに気付いたのか、駅前の吸い込まれるように喫茶店に入った。地下一階にあった喫茶店。店名さえ忘れている。ただ、背中を見ていた記憶。書棚があって水槽があって・・・という記憶は間違いかも知れない。何を話したかも忘れてしまっているものの、読んだら良いと勧められた書籍と作家名は覚えている。・・・あれが青春のひとコマなんだろうなと、今になって思う。思い出そうとすると何ともいえない不思議な感情がこみ上げてくる。

 

書店で、その作家の「老い」について書かれた書籍のタイトルに、暫し、時がコツコツと音をたてた。刻む音である。コツコツと、そう、思い出した。一気に書き上げた古い時計屋の話を送ったことを。どうしたのだろう?もう、なくなってしまっているかも知れないと。そして、敢えて問い合わせもしない。それほどに時間が経ってしまった。記憶の片隅に残像のようにある「青春」なのだと思う。

書店にて・・・いきなり思い出した「あの日あの時」。

・・・そんな日。