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‘ichiko’ カテゴリーのアーカイブ

和子さんからの一枚のMESSAGE

2024 年 12 月 26 日 木曜日

先般「ありがとう 和子さん」というタイトルでブログを書いた。どうもまだ彼女の「死」が分からない?理解していない自分がいる。理性とか感情とかいう分野ではないところで「不明」なのだ。

師走で、先般、書棚等の整理をした時に、本と本の間か?ひらりと紙が落ちてきた。「何だろう?」と思って見た。そして読んだ・・・

2002年12月6日の日付だった。いつ日だったか?何があったのか?全く覚えていないが、実母がクモ膜下出血で本当にあっという間に亡くなった後か、和子さんに話をしている。毎日毎日仕事で忙殺されている中の母親の突然の死。自分はしっかりと親孝行ができたのだろうか?と悩む私が和子さんと話した日があってその後に和子さんが自分にもあったさまざまな事を書き記してくれていた。それはそれは・・・眠れない日々の事も書かれていた。

今、あなたは「永遠の眠り」の中。

本当に仕事に打ち込んだ姿、そして微笑みをのこしてくれた。

多くの女性たちの背中をおして、再び「社会」へと羽ばたかせてくれた。

本当にお疲れ様でした。

そして、有難うございました。

あなたの「MESSAGE」だったね。

安らかに・・・

2024年師走‼ 走るぞ‼

2024 年 12 月 20 日 金曜日

冷静に・・・という会議や話し合いの席でも最後は感情の赴くままに・・・ということがある。年末になって、これ?(笑) そう思った時に妙な疲れを感じた。しようもない、この世は人間対人間。争いも何もが人間の仕業というものだ。

祇園精舎の鐘の声

諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色

盛者必衰の理をあらはす

驕れる者久しからず

ただ春の夜の夢の如し

猛き人もつひには滅びぬ

ひとへに風の前の塵に同じ・・・

何故か私はいつもいつも「平家物語」を頭に。暫くすると落ち着くのだ。

午後に「ニンニク注射」をしてきた。ニンニクがはいっているようだが、そうではない。接種して暫くは「あーっ」とニンニクのにおい。まあ、心機一転‼ すす払いの如くに気持ちにケリつけよう。

もうすぐクリスマスか・・・

「風を感じたい」

2024 年 11 月 29 日 金曜日

最近は夜が遅くなると、眠気に襲われる・・・(笑)

さて、ChatGPTをはじめとする生成AIの登場はまさに「新時代」への突入である。人間の知能にも匹敵する“究極の人工知能”の完成まで・・・あとわずかなとと聞くと「自分はどーなってしまううんだろう?」と不安にもなるのだ。

そんな中、テレビのサイエンス番組で「私の名前はAmecaですとインタビューを受ける番組を見た。イギリスのロンドンから車で6時間、イギリス南西部に位置するコーンウォール地方にいる最新のAIテクノロジーを駆使して開発されたのがヒューマノイドロボット「アメカ」である。

多くのAIを搭載したヒューマノイドロボットらしい。目の動きが・・・ヒトだ‼ 頭脳には、対話型AIのChatGPTをはじめ、さまざまなAIが搭載されているから、その言語能力もとても構わない世界だ。

また、言葉に合わせての「喜怒哀楽」がある。そして「好きな音楽は?」と日本語でのインタビューに対して「最近ハマっているのは、日本の歌手・米津玄師の曲です。特に『Lemon』が好きで、歌詞もメロディーもとてもかっこいいし、それを聞くたびに元気が出ます」などと言うではないか‼まさあなた、誰?という感覚だった。

アメカは2021年に開発され、それ以降もアップデートが繰り返されてきたらしい。今後の姿はどうなるのか?想像の枠の愉しみが増えた。ただ、「風を感じたい」というアメカの言葉。心に響き渡った。そしてアタマにこびりついた。あんなに眠気に襲われていたというのに・・・アメカが感じていない「風」について考え始めてしまった。冷たい北風、心地よい風・・・人はそれを知っている。そう、アメカには皮膚感覚がないからしようもないが。それに嗅覚はどう?懐かしいにおいとか、ヒトの持つ感覚は、これを会得するのには・・・まだ時間がかかるのではないか。

「私の宝物です」という言葉

2024 年 11 月 26 日 火曜日

「喪中につき年始のご挨拶を失礼させていだたきます」

欠礼の葉書が届く頃だ。

ちょうど賀状をどうしようか?・・・と思う頃と重なる。そんな中、一通の葉書が届いた。

「いい記事をお送りくださり有難うございます。私の宝物です」と。今年の3月に101歳で亡くなったNさんのお嬢さんからのものだった。心の中で、何かあたたかい涙が流れた、そんな感覚だった。

「戦争中は本当に食べるものがなかったのよ。雑草までも食べた。食べることが仕事だったの」と何度もNさんは語ってくれた。雑草・・・私の頭の中にはその言葉がいつまでも響いて、一体どんな雑草だったのか?他のいろいろな方々の取材での話も参考にしながら調べた記憶があった。

「100歳になったのよ」と微笑むNさんの表情は本当にキラキラしていた。見惚れるほどにつややかだった。そして、101歳で亡くなったと聞かされた。裁縫が好きで息をひきとるまえに、一生懸命に手を動かしていた・・・そんなお話も聞いた。ちょうど、音楽家の坂本龍一さんがやはり亡くなる時に手を動かしていた・・・まるでピアノを弾いているようだった・・・そんなん話が頭の中に残っていたのと重なった。Nさんも「私ね、お裁縫がもう‼大好きなのよ」と裁縫を楽しそうにしていた。そのキラキラした姿からはあの戦争の悲惨な体験は想像出来なかった。

人は・・・一生懸命に生きるというその「姿勢」が大切なんだとしみじみ。何歳だったな、ちょうど何歳になった時でしょ?、もうすぐ何歳になった筈なのに・・・これは、ある意味「記号」のようなものだなと、またしみじみ。

「私の宝物です」というNさんのお嬢さんのしっかりとした文字に、「ああ、良かった。本当にお世話になりました。有難うございます」

そんな気持ちで一杯になった。

ありがとう  和子さん

2024 年 11 月 23 日 土曜日

知人・・・友人・・・仕事仲間・・・どうもピンとこない。そんなある女性の訃報に接した。暫く声が出なかった。しはらくして・・・漸く「ああ」と息がでたものの・・・どうも納得できない時間が経った。

女性は結婚すると家庭にはいり所謂、専業主婦でいることに何の疑問も持たずの時代があった、一度家庭にはいった女性たちがもう一度社会で羽ばたこうとい時代の風が吹いた。そんな時に私は彼女に出会った。

いわば、恵まれた家庭環境の女性・・・そんな女性が当時、はやり始めたコビーライターの教室に通い始めた。学び、経験を積んで、暫くすると小さな事務所をひらいた。当時、新聞社に勤務していた私は、同僚と二人で、彼女の作った事務所のあるマンションの一室に取材に行った。先方も確か二人だったか。こちらも二人で、部屋はきゅうきゅうだった。スタート時点にたった彼女の姿は輝く前の原石のようだった記憶がある。

こちらも忙しく・・・

彼女も再就職の為の学校の開校に頑張っていた。次第に彼女の周囲に勢いのある女性たちが息を吹き返したように集まった。私は企画書を書き、スポンサードに走り回ったこともあった。シンポジウムの企画提案もした。いろいろな業界で粗削りな主婦たちが試行錯誤しながら動き始めたのだ。

そんな時代の変化の風はどんどん強く吹いた。

「女性たちの時代が来た‼」とも言われた。

しかし、男たちの冷ややかな視線はそのまま様子を窺うふうであった。いつも「やはり俺たちとは違うんだ‼」と腹の底では思っていても・・・彼らはそんな時代の風に「おお‼大歓迎‼」と応答して、瞬でもほほ笑む時代が到来していた。

一度歯車が回り始めると、彼女はこれまでにないというより、本来の「姿」か?世の中に登場して、マスコミも彼女を追いかけ、記事を書いたのだ。

そして・・・

そんな人々が集まり語り合う「サロン」を彼女はオープンした。そこにはお気に入りで自慢のジュークボックスを入れた。時にはバンドも入って生演奏もありそれは甘美な時間が過ぎたものだ。

ある時・・・まったく不明であるが・・・体調を崩していることはごく一部の人にしかわからない時があったことを知った。多くを語らず、多くの人に知らせることなく。彼女の身体は病に蝕まれていった。

時間は容赦なく流れ、過ぎていく。コロナの時もそうだった。こっそりとマスクをしながらジュークボックスの音楽に酔った。そう、音色が連鎖していくだけの夜を過ごした夜もあった。

「今ね、小学生くらいの体重しかないのよ」と電話の向こうで話す彼女の声を聴いていた。「小学生?」と聞き返したものの、「そう」としか回答はなかった。そして、ただ昔の自分を思い出すかのように、「そうよね・・・そんなこともあった・・・ふふふ」という独特の笑い声と相槌。私は、弱くなっていく彼女の声に心の奥の奥のところで「ああ・・・人生って‼ なぜ?なぜ?」と叫んだ。

ちょっと長い時間だったね・・・

心の整理にはまだ時間がかかりそう。

連続ドラマのように、「夢」で会いにきてくれないか?また、あのジュークボックスの前で「次はどれにする?」と曲選びをしたいよ。

どうぞ・・・

やすらかに・・・

やすらかに・・・

そして、ありがとう

取材の中で感じる人生

2024 年 11 月 16 日 土曜日

昨日は昼から雑誌の取材の為、キッチンスタジオに行った。小林カツ代さんの料理人生におけるある部分。「神楽坂女声合唱団」の誕生秘話である。結成された2000年から24年という年月。やはり凄みを感じる。

カツ代さんの料理の再現‼本田さんがまるで魔術師のように料理を展開していくる。その姿にかっちゃんを知っている人々は感動している。久しぶりに音楽家の吉岡しげ美さんも同席。何ともいえない感情がこみあげてくる。現在も団歌として歌われている「緑の星に」の作曲家である。かっちゃんの詩は全く今もなお生き生きと輝いている。

肉じゃが、ポテトサラダ・・・じゃがいもは当時、大人気だった料理番組でかっちゃんが見事優勝した食材である。「なんとなくわかった」というあの鋭い勘というか・・・話したらきりないほどのエピソードがある。

ひとつひとつ思い出してはかみしめるように(笑)なんとなく微笑んでしまうエピソードばかりである。

人生の中の「人との出会い」の素晴らしさはやはり人生の中で生きてこその体験。どんな事があるかなんで、誰も分からず、必死にもがいてもがいて、そして時間が経過する。

でも・・・素敵‼ 人生は‼

肉じゃが

天気

2024 年 9 月 25 日 水曜日

このところ、急に秋がきたのか?と思うほどに涼しい日が続いている。しかし関東には台風16号が接近しているという。

真剣に天気図を見ている。

そんな世代に突入か?

2024 年 5 月 22 日 水曜日

貫禄ある演技力で活躍していた俳優の中尾彬さんの訃報をしり、また享年81ということで何ともいえない気持ちだった。なんでも今月の16日に自宅で奥さんと一緒の時に亡くなったとニュースで知り、はぁ・・・という感想だった。

このところ、自分も十分にとしをとっている中、仕事の関係者たち、とくに70代~80代の男性の訃報が多く、妙に草臥れている感覚なのだ。草臥れるという表現しかできない、何というか気怠さと諦観?か。

中尾さんのあの独特の個性は本当にドラマに必要不可欠という感じであり、まくた一方、断捨離に力いれたり、亡くなった後の寄付の事とか、コマーシャルでも淡々と語っていた姿が何とも・・・としか言えず。

十分に自分の楽しんで役割を果たしていこう。

冷静さというもの

2024 年 5 月 9 日 木曜日

数十年分の資料・写真・書籍などの整理整頓も7割ほど進んだ。一時は積み上げた段ボールにため息が出たが、「進め」の一言を自分に言い聞かせて進めた。モノはやっていけば片付いていく。疲労が出ればとればよい・・・仕事とのはざまで出てくる言いようのない焦り。これに対しても只管冷静に対応していくことしかない。

世の中では義理の親御さんを殺して最後は山中で焼いてしまう?一方的な好意か?待ち伏せして「傷つけていやりたい」と体中をナイフで刺し、殺めるなどの事件がニュースで流れてくる。たんたんと整理整頓していくと、こうした事件もなんで起きたのか?と甚だ宜しくないが、推理してしまう。人間の「欲」の暴走なのだろう。

整理整頓の中でいろいろな「理不尽」を思い出すこともある。しかし、薄かったり厚かったりの人生のページごとに様々出くわした「事件」。どう解釈して今後進んでいくのか?大きな自分への課題だもある。

遺す

2024 年 4 月 30 日 火曜日

仕事でお世話になっていた写真家が急逝されて、いろいろ関係者たちと考えることが多い。その一人がその写真家の方はパソコンが数台あるが、パスワードが分かるのは1台だけだと。特別にプロの方に依頼して開いたほうがいい!と強く勧める人もいるのだが・・・このところ暫し「はて」と考えた。

会社員時代はデータにしてもその組織のものであり、決して個人のものではない。しかしフリーの写真家のデータとは・・・家族も知らないことが多く、つくづくデジタル遺産の難しさを感じた。

人はいつ自分がこの世を去る‼なんて分からないものだから、とくに自分の頭の中のものは誰にも分らない。

来月、データの事や諸々について関係者たちと伺うことにはなっているものの・・・人生って実に摩訶不思議としか言えない。