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ichiko | ichikoTV - Part 32 ichikoTV

‘ichiko’ カテゴリーのアーカイブ

嗚呼!十二月

2016 年 12 月 18 日 日曜日

気が付けば瞬く間に時は過ぎ・・・とでもいえそうな。

と言っても、そんなカッコイイものでもなく。

ただ、忙殺されていただけである。

 

「記憶の遺産」事業の一つであるWEBの制作も始まった。

細かなカテゴリー分類も始まった。

まあ起点は十分というところだろう。

あとは体力!か。

伊藤榮洪先生の映像チェックもいよいよというところ。

 

今日、朝からまたWEBの委員会へ。

そして夕方からは22日にいよいよ本番を迎える神楽坂女声合唱団のディナーショーにそなえての特訓練習である。

またまた気がついた!

手付かずの原稿が残っているではないか。

いや、敢えて手をつけず、逃げていたな!

そろそろ腰をあげて仕上げねばならない。

師走である。

 

 

えっ?除夜の鐘がなくなるって?

2016 年 12 月 8 日 木曜日

除夜の鐘がなくなるかも知れない・・・とニュースで聞いてびっくりした。

年越しに欠かせない除夜の鐘じゃあないですか?しかしこの除夜の鐘がうるさいと苦情がきているため、除夜の鐘をやめてしまあ寺が増えているそうですよ。
園児の声がうるさい、花火の音がうるさい、盆踊りの音楽がうるさい・・・

まあ、いろいろ聞きました。

風鈴の音さえ、嫌な人は嫌だと言います。

この「嫌」感覚は、もう誰も入り込めない世界ですなぁ。

何か・・・怖くなってきました。

鳥の囀りも、蝉のなきごえも、何もかもが「うるさい」のでしょう。

 

心地よいちくちく程度がいい

2016 年 12 月 5 日 月曜日

よく、年齢をかさねていくと「かどが取れてまるくなる」と言うが、これは間違っているなとつくづく思う今日この頃。

人間って、芯に核みたいのがあって、トゲがその核から無数に飛び出している。

そして角張っていく途中で「角がある」。

次第にそれも取れるといったん丸くなったように感じるけだけ。

まあ、人生いろいろあって、経験、体験で摩耗する。

ということで、もともとあるトゲが改めて「こんにちは!」と出る。

出方によってはしもないな!となる。

古人は「三つ子の魂百まで」といったがまさにその通り!

トゲが出てきても、心地良い、ちくちく程度でやめておくのがいいね。

 

もう?

2016 年 11 月 2 日 水曜日

imagesTO19ZKI2巷でハロウィーンだと賑やかだったと思ったら・・・

もう街角の花屋さんにはポインセチア、そしてクリスマスリースが並んでいる。

いやはや・・・

ため息・・・

実は、クリスマスどころではなく

少し前からおせち料理の予約販売の記事を何本か書いているうちに、もう自分の中では完全に正月が来てしまっていたのだ。

おなかがいっぱい状態。

おせちにまじるようにクリスマスケーキの予約販売であった。

これがこのところ毎年毎年ルーテインワークのように入ってくる。

しかし最近のおせちやケーキって「高級」といっても目玉が飛び出るような金額のものがある。頭の中ではHOMEPARTYなどひらいている。

そしてしばらくすると・・・

「福袋」である!

さてさて、自分への福袋をちょっと想像してみた。

どっさりと・・・何がほしいか?って考えていると心が浮き立ってきた。

やはり・・・「時間」がほしいな。

なーんにも予定の入っていない一日でいい。

ある演出家の先生が言い放ったな。

「編集の仕事なんかすねからだよ~っ」と。

本当に追われる仕事である。

小さなことが気になる性格というか、これは完全に後天的な職業病だな。

つめればつめるほどに細かくなっていく。

なーんにも予定のない一日を袋に詰めよう♪

これは贅沢極まりない「福袋」である。

秋じゃ!

2016 年 10 月 26 日 水曜日

毎月、ある意味、ルーティンで俳句をつくっている?のだが、好評だった句をちょいと発表(^^♪

軒下の風と戯る唐辛子

「唐辛子も戯れるのですね~」「風と戯れながら辛くなるのかもしれません」「唐辛子の赤だけが鮮やかに浮き立つ」「秋の一コマを切り取ったような光景が眼に浮かびます」など久しぶりに講評も多く嬉しかった。

 

 

伊藤栄洪先生 安らかに

2016 年 10 月 22 日 土曜日

午前九時半からの伊藤栄洪先生の告別式へ。

高野区長の弔辞。

皆、深い悲しみの中・・・。

棺の中の伊藤先生に声かけてみる。

逞しく仕事をされた。

先生街の歩きも一味ちがった。。

池袋西口の「おもろ」では山之口貘の話でもちきりだった。

浅草散策も楽しかった。

 

しかし・・毎週、月曜日の朝の訪問。

豊島区の区史編纂の話。

 

さてと・・・

元気な伊藤先生の姿が思い出されると

人間のアタマの中ってどうなっているんだろう?って

自分でも不思議な気持ちになる。

 

伊藤先生

安らかに・・・

ありがとうございました。

おみおくり

2016 年 10 月 21 日 金曜日

郷土史研究家・伊藤栄洪先生のお通夜に参列のため南池袋斎場へ。

奥さまにご挨拶すると、目に涙をためながら「まだまだ足りなかったのではと・・・」と

107日の大正大学の学生たちとのインタビュー撮影のことをとても気にして仰っる。

本当に十分すぎるほどの撮影だったので

「本当に貴重な先生のメッセージをお聞きいたしました。有難うございます」というと安心されたような表情になられた。

1010日には全体力振り絞って「豊島新聞」への原稿をお書きになり、その後、医師の判断で、胸水がたまっていくことを避けるためにチューブなどが外されたそうだ。

それからは何もお話しすることもなく痛がることもなく静かに静かに過ごし、17日に亡くなられた。

 

インタビューの時、お話しの最後のあたりで

「本当によく仕事をした・・・」と何度が繰り返されていた。

いつも伊藤先生の「根こそぎ情報をとれ」という言葉を思いだした。

その人生を、じっとふりかえるような、独り言とも聞こえる言葉が昨夜は脳裏をよぎった。

 

22日は告別式。

おみおくりである。

 

伊藤栄洪先生 有難うございました! 

2016 年 10 月 17 日 月曜日

郷土史研究家の伊藤栄洪先生が永眠された。

2016年10月17日午後7時。

 

10月7日に大正大学表現学部4年生とともにインタビューをした。

体調の関係から「10分くらいで」と言われたが、先生は40分強のインタビューに答えて下さった。

力を力を振り絞ってというほど。

毎週、月曜日の朝は豊島区広報課のAさんとともにお訪ねしていた。

「先生、次回は・・・10月10日はお休みだからも今度は17日に」とお別れしたばかりであった。

あまりにも・・・あまりにも・・・

伊藤先生からは多くのことを学んだ。

膨大な量だった。

少し・・・茫然自失である。

先生のことは永遠に忘るまじ・・・・

有難うございました。

 

 

記憶

2016 年 10 月 12 日 水曜日

このところ急に肌寒くなっている。

秋だな・・・。

気温が10度台になるとやはり、気分が変化してくる。おかしな話だけど。

毎年、この時期になると「記憶の遺産」」の収録が始まるのだが、この作業ほど毎年毎年の違いを感じるものはない。

そう、人々の記憶とは気付くと遠くへいってしまうからである。

しようもないねぇ。

記憶は遠くなっていくものだろうから・・・とは思いながら、「はて?自分の記憶はどうなのか?」と考える。

これが!結構、鮮明になっていくものがある。

多分、若い時代には一瞬でも消えていたのかも知れない。

若いその時代に必死で立ち向かわないとならないものがあったからか。

それらがまるで発掘されていくように鮮明になってくる。

多分、これってトシとって、当時は分からなかった「事象のウラ」がよめるようになってきたからかも知れないな。

人間って不思議!

そして・・・

いずれはもっともっとトシとると「お忘れなさい・・・」という時期が来るのかも知れないな。

 

じん・・・として

2016 年 10 月 1 日 土曜日

たまたま入った珈琲店。

「すごい荷物ですね・・・」とその店の主人らしい人が微笑む。

「ええ」と言い腰かける。

妙に落ち着いた店。

挽きたての香りに包まれる。

そこにあったある雑誌をパラリと捲る・・・

「青蛾」の話が書いてあった。

そう、新宿にあった茶房。

当時の三越の裏の路地を少し入って左側にあった。

木造和風の喫茶店が放つ異彩。。

青蛾とは眉墨で描いた青く美しい眉のことを言う。

美人の異称である。

そう、何もかもが「在りし日」の記憶。

胸の奥の奥が何故か深くじんとした。

懐かしい、そんな時空を超えたような感覚。

暫く開けずにいた本に挟まれていた恋文を見つけたような、そんな感覚。