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ichiko | ichikoTV - Part 34 ichikoTV

‘ichiko’ カテゴリーのアーカイブ

ん・・・

2016 年 7 月 14 日 木曜日

朝からとにかく走り回っていた。

暑い!

蒸し暑い!

こんなに汗って出るものか?

そんな中でも冷静に冷静に

一つ片づけると一つ問題が発生しそれを粛々と片づけていく

やはり社会生活でのちょっと縛られた経験は良かったのかもしれないと最近は強く思う

自由気ままもいいけれど

全くそんなことが出来ない自分発見だ

「自由でいいですね~」と言われることに満足しよう

兎に角

粛々と

 

淡々と・・・

2016 年 7 月 12 日 火曜日

「上を向いて歩こう」などを手がけた、作詞家・放送作家としてテレビやラジオで幅広く活躍した永六輔さんが7月7日に東京都内の自宅で亡くなったそうである。

享年83歳。

しかし病とは・・・

本当に人間の深部にまで染み込んでくるものなのだと思わされた。

出来れば病気にならずピンピン生きてコロッとあの世に往きたい。

最近70代の方が言うことが差がありすぎる気がする。

本当にばりばりと元気な方が「体力がガタッとおちた。スゴイスピードで・・・」と言う方など様々だが・・・

最近は、何か、暴走せず淡々とと生きていきたいと思うようになった。

パワー?

2016 年 6 月 18 日 土曜日

某氷川神社へ。

歴史が伝わる何かを感じる。

これは何?

不思議世界があるものだ。

2016 年 6 月 17 日 金曜日

共通の趣味の仲間たちと神楽坂で飲む。その中の一人が今月末に外科手術をひかえている。ただ「術後のリハビリに少し時間がかかりそうだ」という。いつも世界中を飛び回り忙しく仕事をしている人間。入院中の仕事はどーするんだ?どうだこうだと周りは不躾に訊くばかり。「何とかなるんだよ~」と彼は笑った。一人は人間ドックの結果を見せなから「再検査があるんだよ~」と心配顔で言う。そう言いながら、話して笑って呑んで。要は健康が一番大切である!ということで笑いあった。蒸し暑い日本の夏。心静かに、しっかりと、そして少しでも快適に過ごしていこう。心地よい秋風のふくころにまた!ということで笑顔で別れる。

固執するということ

2016 年 6 月 11 日 土曜日

このところ専らの話題が「東京直下地震」のこと。

ちょっと信じられないような予想?論?を聞くと、

いけないいけない・・・と思っていてもやはり顔がくもってしまう。

「その予想される時のイベントは避けなくては」・・・なんて考えもしてしまう。

しかしかね、やはりなんだかんだいっても神のみぞ知る世界なんだろうな。

家具の固定その他もろもろ。

書物もいつも読むか読まないかで整理している。

今、自分で出来る限りの防災をすることしかできないなあ。

あまりモノやコトに拘らずに生きることが大切なのかもしれない。

改めて「唯識論」を読む。

 

 

 

アジサイ

2016 年 6 月 9 日 木曜日

“ダンスパーティー”という名前のアジサイだった・・・

二年ほど経過した。

あの、何ともいえないほど、すがすがしい水色が消えた!そうみずいろ!

増やした土と肥料が原因か・・・

アジサイとは不思議である。

しかし今年は見事に美しく咲き誇っている。

あの日

2016 年 5 月 24 日 火曜日

某私鉄沿線で。

次の打ち合わせまでに少しだけ時間があった。

2分の1時間。

小さな駅の駅前にある喫茶店。

大好きなコーヒーを注文する。

奥の席に腰かける。

電車がホームに入ってくるのが見える。

ネットで小林カツ代のキッチンスタジオ便りを確認。

ここには時々、散文を載せていだたいている。

ふっと・・・過去へと遡っていくボタンをおす。

そこにはかっちゃんのメッセージがそのままあった。

日付は2005年6月24日。

ちょこっと宣伝・・・とある。

「マヨネーズってわっはっは」数週間で増刷

そうそう!

あの書籍のタイトルは・・・

あの日、浅草駅の階段をハアハア言ってのぼりながら

「私!思いついたのよ」とかっちゃん。

「ねえ?どう?」と付け加えた。

それに書店に並ぶ前だったな。

「しゃべっちゃうわよ」とラジオでしゃべっちゃってねぇ~

今思えば、あはは。

当時、使っていた小さな携帯電話は今、抽斗の奥にしまってある。

「増刷決定」と知らせたかっちゃんへのメールが残っている筈なのに。

今は、昔々、使っていた古いカタチの携帯電話でしかない。

悲しいとか、辛いとか、懐かしいとか

違うな・・・。

どんな感情なのか?

自分でもわからない。

胸の奥の奥のほうで

ただプチップチッと

ただプチップチッと

におい

2016 年 5 月 23 日 月曜日

最近、ふっと思った。

趣味だ、NPO活動などいろいろなグループがあるが、どうもその人々の「におい」が似ている。

「におい」の正体が一体なんであるかがわからないのだが・・・要はタイプが似ている。

特に感じるのは女性のタイプ。

時々、そのグループの女性の名前を「あれ?」と勘違いすることがある。

それほど「におい」が似ている。

 

それは、料理に似ている。

例えば、野菜の煮物があるとする。

イモ、ニンジン、ネギを煮物にしたとする。

イモはほくほく、ネギもとろーりと甘くなり・・・

そこにもぎたての生のトマトが入っていると「あれ?」ということになる。

焼きたてのあつあつビッツアに、カツオのたたきがのったとしたら多分「あれ?」となる。

グループの「におい」とはそんなものだ。

ははん!

恋人とか夫婦ってなんか似てくるものがあるよなぁ~。

仲良し家族もそう。

それが「におい」なのだろう。

 

蓋のない壺

2016 年 4 月 23 日 土曜日

そろそろ植木鉢の花を整えなくてはならないな・・・そう思いながらぼんやりとベランダの園芸棚を見ていた。雨が降る前にやってしまおう・・・と。ふと、懐かしい壺が目に入る。昔々、祖母が砂糖入れに使っていた壺である。“断捨離”といっても捨てられないものがある。この他愛もない壺もその一つ。蓋はどこかへ行ってしまったものの、壺は小さな植木のボットカバーに使ていたこともある。暫く、何の手入れもしていなかったので薄汚れてしまっていた。手にとってゴシゴシと洗う。そして壺の底を初めて意識してみると「Made in Japan」とあった。「はぁ・・・日本製なんだ」と。明治生まれの祖母が料理をしている時、いつもこの壺には真っ白な砂糖があった。その砂糖の白さが眩しかった。昔からつかっていたものなんだろうな。今、見ればただの蓋のない壺。でも思い出があまりにもたくさん詰まっていることに気が付いた。

ある日の風景

2016 年 4 月 22 日 金曜日

新人教育・・・

「そんなこと当たり前だろ?」と思っていると大変なことになる。

そんなことが分かっていない、それを分からない。。

ホウレンソウ

ほうれん草ではない。

「報告・連絡・相談」

「そんなの、もう、死語ですよ~」と嗤う人もいる。

いや?嗤っている場合じゃないよ。

たとえ死語でも「基本」。

それができないと、相手に迷惑をかけることもある。

特に、日本人の美徳。

「相手」の立場を慮って行動、思考する。。

「人の嫌がることはしてはならない」

「相手の立場にたって考えてみよう」

いろんなことがあって

新人も成長する。

誰もが最初は「新人」。

成長した「新人」はまた「新人」に出会う。

そんな繰り返し。

それが人生か・・・

ある日のこと。

「今、電話いい?」

日本語って曖昧でも通じてしまうねぇ。

「いいけど・・・」と気にかけながら・・・

 

長電話少し焦げたる鰆かな