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ichiko | ichikoTV - Part 8 ichikoTV

‘ichiko’ カテゴリーのアーカイブ

夢に出てきた 友

2023 年 1 月 15 日 日曜日

少し前の事である。夢の中に昔の新聞社時代の知り合いが出てきた。彼は小高い丘の上に立っていた。丘の上は細かい草に覆われ小花が愛らしい。彼は、本当に嬉しそうに嬉しそうに笑っている・・・何を言うわけでもなくただ笑っていた。そんな夢だった。古墳への大きな夢があり本を書きたい・・・そんな願いも空しく退職後に病気で亡くなってしまった。今、思えば若すぎる死だったと思う。

中堅社員研修で知り合ったから、「研究」というタイトルで仲間たちと楽しい集いは何度もあって、その度、よく八重洲口の居酒屋で飲み、語ったものだった。読書家の彼は本当に本をよく読み、紹介してくれた。黒い鞄には「この本、面白いよ」とぎっしり本が詰まっていたな。

そんな集まりも無くなった時に連絡がつかない、つかない・・・そうこうしているうちに・・・「点」と「点」が繋がって、なんと!彼の死を知ったのだ。残された原稿を見つかった時か、仲間たちと纏めて遺稿集を出そうということになりまとめあげた。そして彼の奥さんや兄弟、研究者たちと八重洲の居酒屋で偲ぶ会をした日もあった。

彼が亡くなった後もいろいろ話もあって奥さんとは交流があったのだが・・・

「現在使われておりません」というMESSAGEを携帯電話から聞いた時は可成り焦った。郵便局でも調べてもらったが「現在、その住所には住んでおられませんね」という返事を郵便局からもらった時は「ああ、これで終わりというものか・・・夢の話も出来ないのか」等と思った。愕然とした。よくテレビドラマであるようにいろんなことを探り当てることは出来ないままである。自分はこんなにも非力なのか!?と思う。

最近は哀しみの片鱗を何か分かるようになってきた。言い方がうまくできないのだが、3年近くのコロナ生活を通じ、その間に友人が重い病気になっていたこと、また「うまく歩けないんだ」と言っていた方の本当に突然の訃報などに接すると本当に世の中にずーっと在った「哀しみ」の片鱗がいろんなところに突き刺さっていくのが分かる。

リモートで飲み会だ打ち合わせなどが頻繁に行われている昨今。殆ど表情もかえずに淡々と対応しているつもりだが、トシを重ねていくということが辛いものかが分かってくる。冷静になればなるほど自分の非力さもしみじみと分かるのだ。

願わくば・・・何かが風にのってでも来てほしい。

2023年初夢

2023 年 1 月 2 日 月曜日

1日の夜に見る夢が初夢であれば・・・何とも不思議極まる夢を見た。近代都市化?キラキラと煌く都市と隔てて、まるで遺跡のような都市がある。その間を繫ぐ塀のようなものがあり、私は誰かとその塀に座ってみている。隣の男性は誰なんだろう?と思いながら実に軽快にその塀を飛んでまわって都市を見比べているのだ。そしてまた腰掛けると、隣の男性が「原子力が無くてはならないんですよ。やはり原子力が必要なんです、都市には」というのである。遺跡のような都市と煌くような未来都市を交互に見つめながら「はて」と私は考えこんでいるとその男性はまるで羽の生えた何か?のように宙に消えた。

あぁぁぁ・・・これが2023年の初夢ですかぃ?

人との付き合い

2022 年 12 月 27 日 火曜日

最近は「墓じまい」をする人が増えていると聞く。また身近では「年賀状じまい」を申し出らけれる方が多い。年賀状くらいのお付き合いの方であると元気でいらにっしゃるのか!と分かるだけでも嬉しいものだが、どうもこのコロナという感染症を乗り越えている中で人と人との付き合い方が変化しているのようだ。何とも・・・来年の事を言えば鬼が笑うのであろうが、新年会の計画などが進むと嬉しい限りで思わず微笑んでしまう。

銀杏の葉っぱ

2022 年 12 月 23 日 金曜日

朝の会議でデスクにノートをだそうとトートバッグをあけた。あらら・・・黄色い銀杏のは葉っぱが一枚でてきた。どこではいったのだろう?銀杏の樹のしたを出来る限り早歩きして・・・北風がふぃーっと吹き抜けていったあの時だろうか?なんか気持ちがほっこりした。年末の慌ただしい気持ちが一瞬溶けた。

90歳と10歳の出合 師走の想い

2022 年 12 月 7 日 水曜日

今週のはじめに「90歳 VS 10歳」のインタビュー撮影取材が終わった。これから、いよいよ編集の構成に入らないとならないが・・・

ふとカレンダーを見て、改めてこの1年の速さを知る。しかし、2022年は、ずっと行きたかった世界にひとつと言われる年縞がそのまま保存されている福井県の「水月湖」を訪ねたので何とも自分では充実している。「静謐」という言葉がびったりの湖そのものに地球そのものを感じたからだ。

さて、話はもどって10歳。小学4年生たちの「今後10年後の未来」とは?語ってもらった。緑豊かで戦争のない世界観は誰もが言う。しかし、そこにはお年寄りも赤ちゃんも障がいを持つ方もいろいろいる世界。いろんな人々が暮らす世界。その人たちの為に生きる‼という言葉の数々には取材側として聞いているうちに、瞳がうるんだ。

「20代、30代と世代別に分類して無駄のない社会をつくるべき」と考える社会学者もいる中で、要はどんな「理不尽」さえも真向から向かっていく!いけるという子どもたちの心のベクトルに私は感動し続けていた。

すごい・・・すごいよ。取材の帰り道、何とも言えぬ日々のストレスさえ消えていったのだ。

またまた話は戻り・・・地球環境に興味や関心のある方々には「水月瑚」を是非訪れてほしいと思う。地球そのものをえんえんとたたえている湖。確かに、過疎化は進んでいるのかも知れない。水月瑚の周囲の梅林も美しかった。

とにかく机上の論理でなく、自分の足で歩き、頭で考えて、人々と話して、人間の息遣いをみをもって知っていってほしいと思う。

90歳の大先輩たちの体験と10歳の考える夢。すごいよ!

私も、少しは思慮できる年齢になってきているのだから「自分」の意見をしっかりもたないとならないよね?。

10年後を想いドキュメントを撮る 

2022 年 11 月 19 日 土曜日

9あるきっかけから90歳VS10歳のドキュメンタリー撮影を開始している。つまり今90歳の方々があと10年で100歳、そして10歳はなんと!はちたとなる。そんなコンセプトで今、小学校をまわっているわけである。90歳と言えば昭和6年、7年生まれ。戦前、戦中、そして戦後の暮らしや想いについて子どもたちに語る。10歳にとってその話のへ殆どが多分理解出来ない世界ではあるが、その真摯な表情に強く感銘してしまう。テーマは遊び、食、学びとざっくり分けてはいるが、人々の暮らしはせんじつめていけば実に途方もなく拡大していくワールドである。

子どもたちの心を揺さぶっているのは・・・やはりニュースで流れるウクライナ問題なのだ。

平和てありたい!と、10歳の口から出てくる言葉。2022年、衣食たりて・・・ではあるものの皆、自分だけの力ではどうすることも出来ない平和である世界。

「酉の市」に繰り出そう

2022 年 11 月 15 日 火曜日

毎年、昔、勤務していた新聞社の同僚、先輩諸氏と「酉の市」にくりだす。実は1年に1回・・・この出合は実に妙である。勿論、当時、上司だった人は鬼籍にはいっているし大概、仕事だ!なんだかんだと最近は全員集合とはならない。よし!と6人が集合した。

写真は新宿の花園神社、おやおや‼幹事が一日間違えて・・・前日だというのに・・・歩けないほどの混雑ぶり。目が回った。

昔話に夜はふけていく。久しぶりに涙がでるほど笑って!笑って!笑い続けた夜。

442年ぶりの皆既月食との出会い

2022 年 11 月 8 日 火曜日

いろんなことがあっても・・・

自然は素晴らしいと思う瞬間!

2022年11月8日の夜は、月全体が徐々に地球の影に覆われる皆既月食が日本の全国各地で観測された。

東京近辺から西にかけては、月が地球の影に完全に覆われる「皆既食」中になんと月の後方に天王星が入る天王星食も見られた。

この皆既食と惑星食が同時に見られるのは日本では442年ぶりとの事!442年ぶりって?と思うと心底ワクワクした。珍しい天体ショーを見ながらなんとも幸福な夜を過ごせた。

気が付くと夕方に・・・

2022 年 11 月 7 日 月曜日

今日2022年11月7日という日・・・きっと何かで分析したらいろいろ分かるのかもしれないれど・・・何ともびっくりするほど時間が速く流れた日だった。楽しくて!早く過ぎちゃったね~というのもあるかも知れないけど、今日は早朝から解決しないとならないことが山盛りで、トンネルをぐいぐい進むような感じ?そのうちに先般のイベントでたまたま、参加者の方の行動が誤解されてか?クレームが入ってきた。問い合わせ、解決策へ、また問い合わせして、解決へ。

たんたんたんたん・・・とこなしていてふと時計を見た時、「?」と。あらら、時計が狂った!と思った。朝だったのに・・・既に夕方になっていたのだ・・・きつねにつままれた?そんな感じだった。お茶一杯も飲まずの一日が終わろうとしている。こんな何もかもが一度にとどーっと押し寄せる日ってあるんだ・・・あぁぁ・・・

西荻窪

2022 年 10 月 22 日 土曜日

昼過ぎから気の置けない友人たちと「西荻窪」巡り?

この楽しさといったら・・・格別なのだ!

心身ともが何か解き放たれた感いっぱいになる。

西荻窪という街はレストラン、カフェにしてもブティックにしても、ひとつひとつが、実に個性いっぱいのお店が多い。拘りのある精肉店、パン屋さん、そして目玉が飛び出るくらい新鮮な野菜を安く売る八百屋さん。

それに・・・生き方みたいものに自信たっぷりの主人がいて常連客の心をぐっと掴んでいるようなそんな店が多い。なんといっても佇まいがいいのだ。そんな感じである。新しい街にはないにおいがある。ふっと外国の街を歩いている感があるのだ。脈々と流れる歴史も含有しているからかも知れないな。

・・・ということで長~い時間のたえまないおしゃべり。

そう「解き放たれた」感で夜も更けた。