このところ、いきなり寒くなった。夏場に「えい!もう捨ててしまおうか」と思っていた数々のものが手放せなくなる(笑)
大寒に向かって本当に寒くなっていくようだ・・・今年から来年の大寒1月20日あたりまで極寒らしいですよ。いやいや、毎年2月の寒さは特別だ!
そして、こうした時期に美味しくなるのがなんと「卵」。とにかくトリも栄養を貯えようと餌をいつもより食べるので卵の栄養がパンッ!とあがるそうだ。
このところ、いきなり寒くなった。夏場に「えい!もう捨ててしまおうか」と思っていた数々のものが手放せなくなる(笑)
大寒に向かって本当に寒くなっていくようだ・・・今年から来年の大寒1月20日あたりまで極寒らしいですよ。いやいや、毎年2月の寒さは特別だ!
そして、こうした時期に美味しくなるのがなんと「卵」。とにかくトリも栄養を貯えようと餌をいつもより食べるので卵の栄養がパンッ!とあがるそうだ。
直接の知り合いではないが、友人が伊豆に住んでいる友人という人が撮影したとしうスーパームーンの写真を見せてくれた・・・
ああ!なんと幻想的な・・・感動です。
こうした壮大な風景を見てしまうと巷でゴタゴタもめていることなど一瞬、忘れてしまう!
有難うございます。
心が澄んでいくようです。
まだ継続中である。大相撲の元横綱日馬富士が貴ノ岩に暴行を加えたとされる問題が長引いている。なんでも鳥取県警は日馬富士を傷害容疑で書類送検する際、検察に起訴を求める「厳重処分」の意見を付ける方針を固めたという。貴ノ岩が被害届を出していることや怪我を総合的に判断した結果らしい。
しかし、貴ノ岩がスマホをいじっていたというのは事実のようだ。しかし、注意を受けた後に貴ノ岩は日馬富士の目を見て謝ったという。しかし日馬富士は貴ノ岩が睨みかえした、だから暴行となった?!・・・このあたりの言い分が全く分からない。
こんなこと、理解不能な怒り?毛嫌い?拒否ってよくある。
昔、ある男性が部下の男のことが「気に入らない!」と言う。どうしてかと理由を聞いたところ「瞳のコンタクトレンズが見えるのが気持ち悪い」?と訳の分からないことで、その部下を徹底的に拒否していたことがある。私はコンタクトレンズののった瞳をじっと見たこともないのでそのあたりのことが分からないが、何とも理解不能であった。未だ分からない。
最近では若い人々が会議中の記録はほとんどパソコンであり、打ち合わせ中もスマホをいじり続けている人々が多い。ちょっと前まで、違和感でしようもなかったが、最近は慣れてきた。最近では相手の話などをメモする時にノートに書くというのは意外とないのかも知れないな。会議中にスマホをいじっている事さえ、「フツー」の事になっいてる。
写真だってほとんどデジタルである。ネガだとか、「焼き増しお願い」なんてことはあまりない・・・死語である。過去の話である。そんな世の中を「よちよち」という表現がピッタリなほど、妙にハザマにいる自分を感じる。
一家に一台、パソコンがくる時代も間もなくであろう・・・なんて記事を書いていた時代があった。FAXが導入された時、相手側に書類が到着したかどうかの確認で電話する人が大勢いた時代があった。なかなかつかまらない上司が公衆電話のような大きな携帯電話を持たされ、重役のクルマには電話があった。そんな中でコンパクトな携帯電話を所有した時は妙な優越感があった。しかし、すべて過去の話で、今思えば信じられないことだらけである。笑ってしまうほどだ。
今、山ほどの紙焼き写真を見ながら、デジタル化してしまおうかと考えもするが、果たして、クラウドにあげたとしても、それが未来にどう繋がるのか?このあたりがはっきりとは分からない。
人は必ず「終わり」が来る。その時のIT遺産の処理ほど面倒なことがあるか?と最近は強く思う。
「年賀状はせいぜい100枚くらい、人生の最後は段ボール一つというのも悪くないな・・・」そういった仲間がいた。
思えば裸で生まれて死ぬときも裸だ。
すっきりさっぱり。
そんな終わり方がいいなと思ってしまう今日この頃である。
郷土史研究家の伊藤榮洪先生の大親友だったSさん。高校入学の時から「気が合うなと思ったよ」と、追悼インタビューの時に語ってくださった。
そのSさんが今年の夏、大親友の伊藤先生を追いかけるようにして亡くなってしまった。本当に追いかけて行ったという感じだ。一年も経たないで・・・
私たちは、いつまでも信じられない気持ちを引きずっていた。
生前親しくさせていただいた方々とご自宅にお線香をあげにいった。遺影のSさんは、相変わらずダンディーで屈託のない笑顔だった。
奥様が紅茶をいれてくださり、そして「最期は、え?・・・というほどにあっけなくて。静かに息を引き取りました」と。
あの追悼インタビューの日。「今日は、伊藤の事をなんでも話しちゃうよ~」と笑っていたSさん。
静かに静かに天にめされた。
きっと、栄洪先生とまたワイワイと話しているのではないかって・・・そう思う。
帰り道、桜並木の道にはらはらと落ち葉が舞い散っていた。
「大好きだったんですよ、この道が」と奥様が呟いた。
Sさん!どうぞ安らかに。
今夕は仲間たちが出版記念PARTYをひらいてくれた。多くの人が集まってくれた。会話が弾んで、美味しいワインに酔いしれる。いい仲間たちに囲まれる、そんな幸せ。創作動機についてしっかりと説明致しまして・・・ああ夜は更けて・・・。
暴行問題で日本相撲協会に引退届を出し受理された横綱日馬富士。29日午後2時に九州場所の宿舎がある福岡県太宰府市で記者会見したが、何かすっきりしなかった。「世間を騒がせ、支えてくださった皆さんに迷惑をかけて本当に申し訳ない」など語っているが、礼儀、礼節と繰り返されてもやはり腑に落ちないが・・・やはり引退という結果となった。
作家のTさん、編集者のOさんの二人の先輩女史とちょこっと飲んでいた時のことである。
「えーっ!!インフルエンザの予防接種なんてしているの?」
「風邪薬なんて飲んでいるの?」
・・・と思いっきり馬鹿にされた(笑)
「予防接種なんてしたことない!」という二人。おいおい、原始人か?と思った(失礼!)
なんでも「風邪ひいたかな?」という時は自家製の手作り「はちみつレモン」か「ショウガ湯」を飲んでいるそうな。
「とにかくね、栄養摂って寝ちゃえばいいのよ!」「そうそう!そうよっ!栄養摂って寝る!」と豪語。おそるべし!先輩女史たちである。
そうか・・・大学生の時、生理学の教授が「風邪かなと思ったら、みかん湯飲んで、布団かぶってしまえばいいのです」と言っていたことを思い出した。
そうかそうか・・・という気分になった。風邪薬を4日分飲んでも、それほど変化も見られずだな。自己免疫力が落ちていたのかも知れないな。
栄養とって、「はちみつレモン」か「ショウガ湯」そして「みかん湯」だ!
しかし、「みかん湯」って?
今さらながら不思議になってきた・・・
はるばるアルゼンチンから日本に戻ってきた営団地下鉄(現・東京メトロ)丸ノ内線。あの「赤い電車」500形は1957(昭和32)年から製造されました。当時としてはちょっと奇抜赤い車体と側面のサインカーブが特徴でした。
一部の車両がアルゼンチンのブエノスアイレスで「第二の人生」を送っていましたが・・・なんと昨年の7月に戻っていたということです。その間、車体にかかれた落書きを消すなどいろいろ。そんな動態保存に向けた作業が行われてきました。
なんでも新人の研修に使われるらしいですよ。当時の運転技術そのものがどんな構造になっているのか?勉強ができるんでしょうね。多分、昔の構造そのものが分からないで、生まれた時からコンピュータだけで何もかもが出来てしまう、そんな世界が当たり前の若者たちにとっては「化石」を見るがごとくか?と思ってしまいます。
頑張ってください!
しかし世の中が便利になりました。いや、なりすぎている。時々「なんでぇ?」と不思議がられますが私は時折怖くなってしまうのです。「お風呂、スイッチオン!」とか言って外出先からスマホ一つで、自宅室内を適温にしたりお風呂が沸いたり・・・。
先日、乗ったタクシーの運転手さんがいみじくも言っていた。「私たちの仕事ももうすぐなくなってしまうかな?って思いますよ」と。
確かにね。自動運転で済んでしまえば「えーっ!クルマって人間が運転していたの?」なんて時代がくるかもね。ははは、こりゃスゴイ。
ああ、懐かしい丸ノ内線500形の映像を見ながら、思うことが次々と。確か、あの時、後楽園から新宿までの運賃が50円だったな。そうそう、ピアノのお稽古に青山駅まで乗り継いでいったなぁ・・・ホームの様子だって覚えている。トシがばれてしまうな!
まあいろいろ・・・考えてしまうんです。
夜は表参道へ。
一気にタクシーで通り抜ける。
まだ今日はいいが、週末はかなりの冷え込みらしい。
ああ!イルミネーションがきれい。