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‘ch12.その他’ カテゴリーのアーカイブ

魂の夜明け アメイジング・グレイス

2016 年 9 月 7 日 水曜日

51VcRrOansL__AC_US200_神渡良平さんの「アメイジング・グレイス」を読んでいる。

この歌に込められた人類の黒い歴史。

黒人奴隷貿易船の船長であったジョン・ニュートンが船をおりるまでになった苦悩と後悔。

人としてその尊厳を取り戻した時におのれをも救われたと歌詞に残すのである。

 

著者の神渡さんは働き盛りの38歳の時に脳梗塞で倒れ辛い闘病生活の中で気づく。

人生は一回しかないこと。

どんな人もなすべきことがありこの地上に送られているということ。

人生に起きる出来事に、意味のないものはないということ。

 

深い理解もなく・・・この歌を歌っていた自分を恥じる。

 

障害をもつ人が行なう芸術活動について セミナー

2016 年 9 月 6 日 火曜日

催し物のお知らせです。

 109日(日)、目黒区の東京大学駒場キャンパスで「障害とアートの現在:異なりをともに生きる」と題するシンポジウムが開かれます。

 「障害をもつ人が行なう芸術活動について」美術を専門に研究する大学の教員や、障害の当事者など、様々な人の話を聞き、対話することのできる機会です。ご関心のある方は、是非お越し下さいませ。

詳しくは、下記 

http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/events/2016/10/symposium_on_disability_and_ar/

 

 

やはり猛暑だったのかも知れない・・・今夏

2016 年 9 月 5 日 月曜日

我が家のキュウリ君の収穫には・・・思わず笑った。

結局、収穫は1本だったのだ。葉は「見て~見て~」とばかりに生い茂って、黄色の花が次々に咲いて、もう期待にワクワクしていた。・・・にも関わらず、でぶっとい一本のキュウリでこの夏も終了。

まあ、ゴーヤがあらあらあら~というほどの収穫だったのでこの夏もめでたしめでたしということで・・・

しかしね、やはり今年はすこぶる猛暑だったのだ。ゴーヤだってずいぶんと途中で「あれ~っ」と腐っていったものも多かった。要は、本当に力強いゴーヤが大きく成長したのである。

 

さて、徳島大学の刑部敬史特任教授らが、生物の遺伝子を改変する「ゲノム編集」技術を駆使。なんと人工授粉が要らず栽培が容易なトマトを開発したという二ュースを見てもう感激!受粉なしに真っ赤なトマトが!高齢化している農家にとっても労力を節約できるだろうな。そして数年以内に新品種として実用化したい考えということでこれこそ期待にわくわくである。

ふっと未来の農業について考えてみる。

 

変化

2016 年 9 月 4 日 日曜日

変化・・・嫌いではない。

しかし・・・

昔から街に溶け込んでいた珈琲専門店などがなくなって、失礼な言い方だが気軽な立ち飲み屋などにかわっているのを見ると、ただただ唖然とする。好きだった席も失われた空間でしかない。

 

自宅の近くに鬱蒼とした“ところ”があった。いつからあったのか?近所でも知っている人がないほどに古い、その壊れそうな空き家は雑草に日々、覆われていくだけだった。その空き家が「橙の家」と呼ばれていることは知っていた。その庭には橙の木が象徴のように植えられていた。ある一人の“女性”が住んでいたということは訊いたことがある。

随分前の話だが、街の散策のような文化イベントで古い家を訪ねる企画があり、参加したことがある。一度だけ、その古家に入った。玄関から室内へ。昔は主がいたのだなという形跡はあった。写真などもそのままで・・・ああ!これが主人かと。その人が来ることを待ってお妾さんが日々暮らしていたのか?と想像した。居間?から庭らしき方向を見ると、その橙の木はよく見えた。奥へ行くと小さな台所があり、勝手口へと続く。その横に二畳ほどの女中部屋か?静かな女性たちの声が聞こえるようだった。日々、雑草に覆われる空き家はずっとずっとそのまま、ある景観して鎮座していた・・・

先日のこと。息をのんだ。知らぬ間にその空き家は取り壊され更地になり、その橙の木は無残にも切り倒されようとしていた。

「あっ・・・」そこには何もなくなり・・・ぽつんと更地が残る。3人の作業人が煙草をくゆらせている。何かぽつぽつと話しながらその紫煙は蒸し暑い空気と溶け込んでいった。

 

そしてまた一軒。

少し離れたところにも、昔はパラの季節になると、色とりどりのバラが咲き乱れる屋敷があった。手入れされたパラは誇らしげに咲き、そして時を刻みながら花弁をおとしていったのだ。

ある日・・・主を失った屋敷は取り壊され更地になり、勿論、パラたちも消えていった。そしてそこにはセンスのいいお洒落なワンルームマンションが建てられた。敷地いっぱいに。「ああ、これほど広かったのか」と思うほどにみっちりとその建物が地べたを支配していた。

 

街というには小さい・・・人々の住む、小さな小さなエリアが変貌して、そして昔、そこに何があって誰が生活していたのかなど全く霧散してしまうのだ。記憶の破片が果たして正しいのか?など検証もしないままに、小さな小さな街が変わっていく。

 

 

71回目の終戦記念日

2016 年 8 月 15 日 月曜日

2016年8月15日。

71回目の終戦記念日を迎えた。

政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館で開かれる。

天皇陛下はおことばで、大戦について「深い反省」と平和を祈る気持ちを示される。

安倍晋三首相は戦争を繰り返さない決意を訴える。

 

敗戦

2016 年 8 月 14 日 日曜日

明日は終戦記念日である。

戦後何年何年というものの、考えなくてはならないことが多い。

敗戦日おわりはなしと祖母のこえ

 

何度も読み返す本のひとつに『日米戦争を起こしたのは誰か』(勉誠出版)がある。ルーズベルトの罪状・フーバー大統領回顧録。

 

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夢に出てきた息子

2016 年 8 月 10 日 水曜日

「やっと晃を家に連れて帰ることができる」と両親の絞り出すような声。

熊本地震で唯一、行方不明になっている熊本県阿蘇市の大学生大和晃さんのご遺体の一部が見つかった。

4カ月間、息子を捜し出すと手掛かりを求め、大和さんのご両親は現場に通い続けたのだ。

まだ息子さんとは断定はできていないものの、阿蘇大橋が崩落した渓谷で発見された車はご子息のものであろう。

「息子が夢にでてきたんですよ。どこにいっていた?って聞くとへへへと笑った」と言うと父親は涙をぬぐった。

日々、自分を見つけようとした父親と母親に息子さんも嬉しかったに違いない。

きっと「ありがとう!」という気持ちで父親の夢の中で笑ったのだろう。

ご両親の息子への愛の深さに私も涙が止まらなかった。

 

お気持ち

2016 年 8 月 8 日 月曜日

天皇陛下が2016年8月8日、「生前退位」のご意向を示されたことを受け、政府は天皇陛下「一代限り」の特別立法や法改正を含むあらゆる選択肢を検討。

午後3時に陛下はお気持ちをがのべられた。

 

「時」は生ものである

2016 年 8 月 4 日 木曜日

「としまの記憶」をつなぐ会というNPO活動もしている。今年もまた10月から大正大学の学生との語り部の方々の収録が始まる。既に準備に入っているが、しみじみ「時」は「生もの」であるということが分かる。既に戦争体験者が少なくなっている。静かに時は刻まれていく中で、何かが静かに風化していってしまう。自然に人々の記憶から離れていくことが身に染みている。

偶数月に「としまの記憶通信」という媒体を発行している。会員の皆さまとその他ではあるが、朝日新聞の記者の方から携帯に電話があった。登録していない番号にははじめどうしてもいぶかしげに対応してしまいあとから謝るのではあるが・・・

なんでも、8月末に戦時中の企画をするらしく「国民酒場」について語ってくれる人がいればインタビューしたいとの話だった。

あれこれ・・・頭をくるくる・・・いた!あのひとか?Sさん!と思い当たる。その方は、その国民酒場のことをよく知っていらっしゃった。その他、90過ぎてもしっかりと記憶されていることを語ってくださる。

今年の年末に101歳になられるМ子さんも関東大震災の話、東京大空襲の話をしっかりと記憶されて話してくださる。とにかく愚直にその方々の「記憶」を生ものである「時」の中で記録していくことの大切さに改めて気づく。

 

びっくり

2016 年 8 月 1 日 月曜日

ずっと地下にいたので?全く知らなかったのですが・・・

気象庁は1日午後17時ごろに、東京湾を震源とするマグニチュード9以上の地震が発生したとする誤った緊急地震速報を発表したということなんですね。

東京23区や神奈川、千葉、埼玉の各県で震度7以上、茨城、群馬の両県で震度6強以上の揺れを予測。しかし揺れず。

なんでも千葉県富津市の地震計で「ノイズ」を揺れととらえたらしい。そして落雷による電気信号を大きなノイズと記録した可能性があるらしい。

ふっと・・・地震のことばかり考えているので、最近はちょっとしたことにもびくっとしてしまう。しかしどこで何をしているのか?本当に分からないね。