植物といえば・・・椿の花というのは実に静かな花である。散りぎわの潔さは椿をこえるものはないのではないか?と思う。それはあまりにも物静かである。だから毎日が出会いであり、別れでもある。
紅椿ぼとりぽとりと声も無く
植物といえば・・・椿の花というのは実に静かな花である。散りぎわの潔さは椿をこえるものはないのではないか?と思う。それはあまりにも物静かである。だから毎日が出会いであり、別れでもある。
紅椿ぼとりぽとりと声も無く
飛び込んできたニュースに驚く。歌舞伎俳優の坂東三津五郎さんの訃報。21日にすい臓がんのため亡くなったということだ。享年59歳。12年に亡くなった幼馴染の勘三郎さんのことを思い出す。なんということだと思った。芝居はもとより舞踊は格別であった。聞くところによればお酒も煙草もたち、しっかりとリハビリをされて体調回復していたというのに。なんということかと。ただただ残念である。
2月は逃げ月というけれど・・・どう頑張っても今年は28日までしかない。それに今月28日は土曜日ときたもんだ!!この日は朝からイベント。それにしてもいろいろな締切日が迫りくる。あああ!何もかもが気忙しい。31日ある月との3日間のこの違い。なんと!これほどにも3日間とは心に余裕ができるものか?カラダが震えるほどに気忙しい日々・・・だけれど冷静に過ごそうね~♪♪
先般、戦争中に従軍看護婦をしていたHさんにインタビューをした。原稿を纏めながら、人は「その時代」を選んで生まれてくるわけではなく、様々な出来事に理不尽にぶつかっていくとは一体何なのだろう?と考えていた。いくら書いても書いても、やはりその苦しみ哀しみ辛さなどは単にノーテンキな私の言葉の上でのものでしかない。それでも脳みそが汗をかくぐらいに呻吟して呻吟してまた呻吟・・・まとめた。あれこれあれこれ途方もなく考えることも勿論必要なのだろうが、兎に角、愚直にそれぞれの方々の過ごし、生きた時代を書いて書いて、そして呻きながらも書いていくことなのだろう。
米投資ファンドのベインキャピタルが、全国で温泉旅館などを運営する大江戸温泉ホールディングス500億円で買収するとのことだ。なんでも訪日外国人の増加に伴って温泉旅館の需要増が期待できると判断したという背景があるらしい。大江戸温泉が出来た時の当時のことをつらつらと思い出して見た。
豊島区の雑司が谷が日本ユネスコ未来遺産に登録された。その認証伝達式が豊島公会堂で開催された。会場内き立ち見が出るほど。豊島区民他の方々の応援と喜びが伝わってくる。
https://www.city.toshima.lg.jp/kanko/034401.html
気象庁によると2月6日午前10時25分ごろに、四国地方で地震があり、徳島県南部で震度5強を観測したそうです。「津波の心配はない」というけれど、徳島ということが今心配です。要はマグニチュードの問題ですが・・・
以前より、江戸城再建のことでお世話になった作家の黒田涼さん。新著がなんと東京23区内にも数多くの軍用地があったことを紹介する本『大軍都・東京を歩く』であるが、本日はその黒田さんのセミナーに参加。副題が「忘れられた戦争の跡を歩く」・・・というものではあるが、参加者の方々のお顔ぶれをみると、何とも皆様物静かなインテリという感じの紳士が多く、決してセミナー中、大口あけてダハハハなど馬鹿笑いなどしてはならないと肝に銘じた。
何といっても興味深いのが「陸軍境界石」。戦前の日本にあった陸軍は全国に駐屯地などの用地を持っていたわけではあるが、その敷地境界には、境界を明らかにするための石の柱があり、側面には「陸軍用地」だの「陸軍省所轄地」だのと書かれていた。それが今でも全国の旧軍用地に残っていて、23区内でも多数残っているのである。ご存じでしたか?23区内だけで数十本残っているようです。まだこの石をなんとよぶのか?不明ということですが・・・
築地の産院で首に臍のおを巻き付け仮死産で生まれ、お湯とお水に交互につけられ、医師にバンバンと叩かれ漸く「おぎゃー」と泣いたそうである。小さく生まれ(今では?)幼少時代に育ったのが麹町。永田町幼稚園に通った。国立劇場が出来る前は進駐軍のパレス?とよばれ、その小高い丘が私の遊び場立った・・・シュロの樹が印象深い。そんな記憶がある。もうこうなったら・・・とはいうものの暫く時間はかかるだろうがも少し調べてみたくなった。とにかく千代田区は分かりやすい。
まあ、焦らず一歩一歩ということで。
黒田さん、いつも歩いて歩いて得た情報と知識。いろいろ有難うございます!
今朝、知り合いの方が亡くなったとメールが入った。享年102歳。ご長寿であった。先日、ちょっと体調を崩されたかで入院された。元気でトイレもご自分で行き、テレビでは好きな番組もあって、とても100歳をこえた方とは思えぬほどのお元気であったという。しかし、入院先で何と、オムツをさせられ、「トイレに行きたい」というと病院側からは「オムツにして下さい」と言われ、それに対して怒ると「暴れる」という表現をされたという。どんなお気持ちであったかと思うと辛くなった。先週末に退院して今朝の出来事である。なんでも「もう生きたくない」と言われたと聞き、胸の奥がちくっといたんだ。入院する前日までの心身、そして退院後の心身。とくに、どんなお気持ちでこの日々を過ごされたのか?そう思うときりきりと痛んだ。
どう生きて、どう死んでいくか?最近は本当によく考えるようになった。ますます勉強が足りないことに気付き、少し慌てたりもしている。
このところ日本マクドナルドの商品への異物混入の報告が全国で相次いでいる。なんでもハンバーガーに差し歯のようなものが入っ ていたとか、針のようなものに触れて唇を怪我したとかぞくぞくとニュースになっている。具体的にはあらわせないが、おせち料理に髪があったとかマクドナルドだけではなくいろいろ耳には入ってくる。しかしマクドナルドの報道は少し加熱しすぎというほどにほぼ毎日、耳に入る。
飲食関連の業種は、安心・安全というキーワードが一番なのだろう。美味しいとかなんとか星いくつとか隠れ家グルメというのはやはり次の問題なのだ。
ふと、昔々のことを思いだした。仕事先で、よく通ったカジュアルレストラン。明るい店内でお店のスタッフさんもなかなか好感が持てるところだったが、確か、グラタンかドリアを食べ終わったあとに皿に何かを発見した。「なんだろう?」と思ってみたが、虫でもなければなんだかさっぱり分からない。店側に言うと「ちょっと調べてきますね」と店のスタッフさんが調理場へ戻って行った。暫くするとこちらのテーブルに戻り、笑顔で一言いった。
「お客様、タワシでした。」
「え?何ですって?」
「ハイ!お鍋を洗うタワシです」と。
タワシのことは知っているよ。
せめて会計の時には・・・心の中で思ったものの。
「有難うございましたぁ~」と笑顔がかえってきた。
それっきりである。
それからは二度と来店はしない・・・。
それから間もなくしてその店が閉店した。
そのレストランのあったところにはファストフードやいろいろな店舗が入っているが、未だに、その前を通ると「タワシでした」という笑顔を思い出す。