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‘ch12.その他’ カテゴリーのアーカイブ

代々木ゼミナール 何と7割以上を閉鎖

2014 年 8 月 25 日 月曜日

大手予備校の代々木ゼミナールが全国にある校舎のうち7割以上を閉鎖する方針を決めたというニュースでかなり驚いたのだが、ふーっと高校時代の事を思い出して、「そうかぁ・・・」と。

高校三年の物理の授業の時、先生が授業に入る前、代々木ゼミナールの話をし始めた。当時、代ゼミのかなりえらい方?と話した時に将来の少子化に備えての話だったと思うが、18歳の私にとって、将来、子どもの数が減っていくなど想像も出来なかった。まさに「ええ?何?それ」という感じで聞いていた記憶がある。話し終わると、ドップラー効果の授業に入っていった。まさに、不思議な記憶。だが、とんでも無い昔から、予備校経営者とは将来にむけ、いろいろ考えていたと思うとやはりすごい!と。しかし、志望校選択の参考にしてきた模試や大学入試センター試験の分析も来年から実施しないとなると・・・本当に世の中とは移りゆくものだと思う。

 

イルカがしゃべった!

2014 年 8 月 18 日 月曜日

イルカが言葉をしゃべった?!こういうニュースって好きですね。

しゃべったというイルカは千葉県鴨川市の鴨川シーワールドで飼育されているシロイルカのナックさん。推定29歳。飼育員が「ピヨピヨ」と声をかけると、上手に「ピヨピヨ」と返し、他に「ほう?」「ハハハ……」もまねてみせたうです。なんでもイルカは、口ではなく、頭の上にある小さな呼吸孔(鼻)から鳴き声を出したとか。本当に胸がワクワクいる、良いニュースですね!

 

この夏だからこそ 考えてみる

2014 年 8 月 13 日 水曜日

夏のイベント情報をご紹介。

しょうけい館 

      [夏の企画展] 義肢に血が通うまで -戦傷病者の社会復帰と労苦-

 

  恩賞制度の一環として戦傷病者に対して各種の人工補装具が支給されていました。  明治10(1877)年の西南戦争でオランダ製の義肢を支給したのが始まりです。  明治27~8(1894~95)年の日清戦争では、昭憲皇后の「敵味方の区別なく人工手  足を」との御沙汰があり、以来「御賜の義肢」として制度化されたのです。明治37  ~8(1904~05)年の日露戦争後、廃兵院や失明軍人のための盲学校などが設立さ れ、社会復帰の施策が拡充されます。  昭和期には、それまでの審美的な「装飾義肢」に加えて実用的な「作業用義肢」の  開発と職業訓練が本格化します。日常生活、各種の職業、用途別に作業用義肢が製  作され、各人の適正と、義肢の特性を踏まえて様々な職業が選択出来ました。  慣れない義肢による職業訓練と社会復帰後の毎日は、あたかも義肢に少しずつ血を 通わせて、体の一部にしていく日々だったのです。

  本企画展では、しょうけい館が所蔵する写真、史料、実物を交えて義肢の歴史をたどり、作業用義肢を装着して第二の人生を歩まれた戦傷病者の労苦を偲びます。

 【会期】9月15日(月)まで

【会場】しょうけい館1階

  休館日:毎週月曜日(祝日は開館)

  開館時間:10:00~17:30(入館は17:00まで)

  【入場料】無料

 

  【証言映像 (シアターにて上映)】

  「厳しい訓練も今となれば」  「小学校を出て先生に」

  「片手のハンデを乗り越えて」「働くために義手を」

  「片腕で取った自動車免許」  「人間の尊厳の回復に尽くした生涯」

 

  【関連イベント:学芸員による展示解説】毎回14:00より30分程度  申込不要

8月17日(日)、8月31日(日)、9月14日(日)

   詳細はこちら

 http://www.shokeikan.go.jp/kikaku/kikaku.html

 

 しょうけい館 ホームページ

 http://www.shokeikan.go.jp/

 

 

  昭和館

     [第51回資料公開コーナー] 焼けあとからたちあがる人びと

 

  昭和20年(1945)8月15日、約3年8ヵ月続いた太平洋戦争が終わりました。  終戦で人びとの毎日の空襲への不安はなくなりましたが、日本の都市の大部分は焼  け野原となり、多くの人が住むところや家族、財産をなくし、くらしも大変苦しく  なっていました。  しかし彼らはたくましくたちあがりました。焼けあとに集まり、生きていくために  ヤミ市がならび、少しずつではありますが、がれきを片付け、家を建て、新しい生 活をはじめました。今回は、焼けあとで人びとが新たに生活を始めた頃の光景を紹介します。9月7日(日)まで昭和館1階ロビー。

 詳細はこちら

 http://www.showakan.go.jp/floor/1f/shiryo/index.html

 昭和館 ホームページ

http://www.showakan.go.jp/

 

 

エボラ出血熱

2014 年 8 月 10 日 日曜日

エボラ出血熱の感染が西アフリカで拡大している。致死率の高さに恐怖を感じる。国際協力機構でもギニア、リベリア、シエラレオネに派遣している日本人スタッフを近隣国に一時国外退避させるということだ。現地で保健医療や農業支援に携わっている専門家たちではあるが安全確保を最優先ということだ。

 

気づかぬ変化

2014 年 8 月 8 日 金曜日

子ども時代の夏休みを思い出してみる。林間学校での植物採集が楽しかった。山道で見知らぬ草花に出会い、植物博士に訊ねると、ぽんぽんとこたえがかえってくる。未だに忘れぬ夏の草花が多い。

さて、静岡県が、富士山に従来生息していなかった外来植物の本格的な調査を始めた。これまでは、駐車場周辺に外来種が集中していることが確認されたそうだが。こうした環境の少しずつの変化が気づかぬうちに進んでいる。

 

困ったものだ・・・

2014 年 8 月 4 日 月曜日

歌手の桂銀淑詐欺罪で在宅起訴というニュースを見て、また何故?と残念に思った。約2億ウォンの高級車・ポルシェ・パナメーラのリース契約を業者と結び、何と契約直後に車を担保に借金したらしい。再起を願って、新曲にも挑戦するところだったというのに、本当に人の人生とは分からない。歌に罪などないけれど、桂銀淑さんの歌は私のカラオケ十八番。だからこそ~あああ~なんです。

ミスト

2014 年 7 月 30 日 水曜日

午後から六本木ヒルズへ。少し見上げるとミストが。何とも!この猛暑を忘れさせてくれる優しさだ。数年前はまだまだ導入されていなかったが、やはり「これはいいね!というものは必ず「定位置」を見つけるものだ。この、暑さだからこそ!また冷えたビールがうまいね。

衝撃

2014 年 7 月 29 日 火曜日

余りにも衝撃が強く、すっと考えている。7月27日に発覚した長崎県佐世保市の同級生殺害事件。逮捕された女子生徒が「すべて私がやりました」と認める一方で、反省や悔悟の言葉は出ていないというニュースを見て、何か胸の中の黒いもやもやしてものが消えない。ただ「なぜ?」という疑問のみが残る。余りにも、衝撃的な事件。確か、佐世保市では10年前にも小学生が同級生にカッターナイフで傷つけ、失血死させた事件があった。佐世保市では命の大切さを子どもたちにも一生懸命に教えてきたという。なんでもスポーツも得意な女子生徒だったという。しかし「人を殺して見たかった」と“理由”を言うその少女の心。この世に生をうけてまだ15年という年月の中で何がどうなってしまったのか?と思うと、ただただ苦しい気持ちになる。そして友人に殺められてしまった女子生徒のご冥福を祈る。

 

相手を間違えて・・・とほほ

2014 年 7 月 28 日 月曜日

本当に今日は、やややっ!ということをしでかした。漢字は違うのだが同姓同名の方に朝から、間違いメールを出し続けていた。「僕、~さんに会ったことがありましたっけ?」という返信に「私の席の後ろにいた眼鏡をかけたショートヘアの方ですよ!」と、またまた返信した私。「それ、いつだったかなぁ?」という返信に、さすが!内心、ふざけているのか?からかわれているのか?と思った途端・・・・ヒエーッ!と冷や汗が!完全に相手を間違えたことに気付いたのが夕方だった。まさに「あちゃーっ!」である。先方にお詫びのメールを出したところ、「誰にでも勘違いはありますよ~」と優しいお言葉。助かりました。猛暑で汗ダラダラの上に今日は冷や汗・・・。健康に悪いなぁ。心して・・・冷静に過ごさなくてはね!

自然を侮ってはならない

2014 年 7 月 27 日 日曜日

毎年、夏になると川遊び、海での水難事故がおこる。「ない」年はないともいえる。川辺でバーベキューをしていたところ、子どもが流されて、両親が川へ飛び込んでそのまま・・・とか、ニュースを聞くたびに本当に辛くなる。川にしても海にしてもそして山にしても、自然とは静かな顔をして実に怖いものである。十分いすぎるほどの準備と注意が必要なのである。山でおきる低体温症も、最近のゲリラ豪雨でぬれた体を急に冷房のきいた部屋に入ったり、風にあたったりするとかなり危険であるということをしっておくべきだ。

昔、素潜り名人の方が海で危うく溺れそうになって、必死で陸に戻った話を聞いた事がある。それはそれは想像を絶するほどの「生」と「死」のすれすれの壁を越えた出来事だった。本当に怖い話も聞いた。

十分すぎるほどの準備と注意。自然を侮ってはいけないという事。