仕事で本当に難しい案件が入ってくることがある。それはだいたい「いきなり」である。とくに相手の健康状態の事由であるとすると何ともいえず。それはその相手の健康問題解決が何よりも一番で優先しなくてはならないから。
本当に悩むとほぼ一晩眠れずに考えをめぐらす。自分の事というより、それにかかわる様々な事に対して。最善策を考えるのだ。
夜がしらじらあけるころ・・・また「神様の試練かな」と思った。
仕事で本当に難しい案件が入ってくることがある。それはだいたい「いきなり」である。とくに相手の健康状態の事由であるとすると何ともいえず。それはその相手の健康問題解決が何よりも一番で優先しなくてはならないから。
本当に悩むとほぼ一晩眠れずに考えをめぐらす。自分の事というより、それにかかわる様々な事に対して。最善策を考えるのだ。
夜がしらじらあけるころ・・・また「神様の試練かな」と思った。
とにかくいろんなことが便利になっている。新刊でも「果たしてあるかな?」という本も大概、ネット通販で完了。時折、書店にいる時間の至福な事よ。図書館とはまた違った何とも不思議な感覚。
動画整理しながら過去の撮影時にお世話になった方々への連絡をする。もう忘れられているか?とちょっと緊張して電話すると皆さん、覚えていてくださり本当に当時の話に戻って、いろんなことをしゃべってしまう。これも不思議な感覚である。
今日も10年ほど前に撮影した方に電話してみると、すんなり思いだしてくださる。ふっと・・・話しながら頭の中にダイヤグラムが浮かんだ・・・タテがみちのり、ヨコが時間。不思議と過去がすぐそこにある!という感覚があって嬉しくなった。自分の時間軸というのだろうか?しっかりと見えた気がした。
更に現在、良かったことはデジタル化できているということ。本当にそれがこれほどまでに救いになっているとは!
2022年6月21日。夏至。紫外線が最も強い。
梅雨寒が続いたかと思っていたら、いきなりの蒸し暑さ。この湿気は・・・どうも苦手である。いろいろな事が押し寄せていて(笑)それも漸く、一段したかと思ったものの、やはり次から次へと押し寄せる。黙々と前進するしかないなと思いつつ。
一昨日か午後3時過ぎに石川県の珠洲市で震度6弱の揺れを観測する地震があった。揺れはずっと続いているらしい。ふっと松代群発地震を思い出した。確か、5年間ほど続いたと思う。自然現象だといえばそれまでだが、どうも何かが変化している感じがしてならない。
陰陽五行学の伊勢瑞祥先生のブログに「夏至の翌日は、子年生まれ、または12月生まれの人は注意」と書いてあった。なんでもこの日に喧嘩をしたら「そんなつもりじゃなかったんです・・・」と意外や大事になったり、ちょっとしたミス、ケガが大きくなったりするらしい。そして嫌な事。「地震か大火事がなけりゃいいけどね・・・」という一言が実に嫌な響きを持っていた。
なんかこのところ、周りの人たちの体調があまりにもよくないし・・・今日は20度きって梅雨寒だ。というのに明日は夏日?らしい。こんな寒暖差続けば確かに体調がよくなるわけないよね?
久しぶりに昔勤務していた新聞社の仲間たちと会った。いろんな話にはながさく。その中で妙に心にズシンッときた言葉があった。その人が昔から尊敬する上司が言っていた言葉。「70代になったらとにかく、会いたい人間にあっておけよ」と。
その上司の方を私もさんざんお世話になった。外資系の広告代理店にながく仕事されていた方で、リタイアされた後は、自然に囲まれて、野菜を作ったりして、時折、昔のお仲間たちが泊りがけで遊びに行っていたという。
ある日その人が「喉に違和感があって・・・」と言った。そして検査した結果、癌と分かり、手術されたという。その後、その人の携帯から彼に電話があったが、電話口は奥様だったという。その方は亡くなったわけではなく・・・どうもいろいろな事が判らなくなっているようだと。そして彼は、言葉を詰まらせ・・・「もう・・いい」と言った。
「会いたい人間に会っておけよ」
私はまだ70代にはなっていないが、その言葉の重さが実に心にズシンときた。ビジネスとかじゃなくて?それに最近は「賀状じまいします」という連絡を何人もいただいた。何も連絡しなげば・・・そうその人との記憶や思い出で終わるのだ。会いたい人と言われても・・・という言葉がら、思い出した。まだ20代のアタマの中空っぽな時代。もう、亡くなられているが上司がふっと言った言葉。余りにも秘密めいて、とても聞いてはいけないようなことだった。
「自分の生涯が終わる前に、好きな人と1年だけ暮らしたい」
「会いたい人に会っておけよ」という言葉の重さほどはないのかも知れないが、同じような事を言った人が3人いた事も思い出した。男の我儘、男の勝手、男の浪漫?と言ってしまえば、ハイそれまでよではあるが、人生ちょいとすこーし長く生きてくると、そんな言葉の意味合いがしみじみと分かるようになってきた。
会いたい人か・・・この選択って結構、真剣勝負だな・・・と思った。
五月晴れって言葉があったなぁ・・・と思いながら空を見上げるが・・・このところ何とも高層マンションの建設ラッシュ?気が付くとのんびりしていた光景がなくなり、そこには30階を遥かに超すマンションが建っている。超高齢社会で少子化が激しく進む。今後、どんな社会になっているのか?ふっと考えると変な不安が過る。
キャンピングカーで楽しく全国まわっているという30代の夫婦がニュースで流れていた。確かに楽しそうだ。愛犬2匹とともにもう120日ほど日本をまわっていると言っている。
相変わらずのウクライナとロシア。各テレビ局で政治家だ軍事評論家だなんだかんだと話す。やはり着地、解決はどこにあるのか?曖昧なまま・・・曖昧なまま・・・誰も語らないというより語れないでいる。
2022年の5月の長いことよ・・・少し疲れがたまってきたよ。どーしたんだろう?この長さ。6月の誕生月にはまたひとつトシとるな。
このところ、「この戦争は長期戦となる」と武器の話が飛び交う。「もしや事故ではなく事件では?」と骨が発見された親御さんの気持ちも考えずにいろいろ物言う人々。「美味しいスイーツ店がまたお目見え」ああ、そうですか程度。それに数千万円があっという間に消えた?というある地方。大きな金額がいきなり振り込まれたら、驚いて連絡する、普通の人間なら。それなのに?「ネットカジノ」とか言う言葉も初めて聞いた。スマホでなんでもかんでもやってのけてしまう世の中。余りにもごっちゃな情報が氾濫している現代。
今日の昼に、ある人が「日本は平和だからね~」というと、「日本は平和なんかじゃないっ!」とある軍国少女だった80代の女性が語気を荒げた。その場の空気は「・・・」であり他の人は何も語らない。皆の「平和に関する考えが全部違っているからだ。
そうそう・・・そうなのだ。世の中が余りにも不思議すぎて、時折、星新一のショートショートを読んでいるというか?感じている気がすることがある。まさか!が多すぎるし、いろんなことに無関心というか、実に変だ・・・と思う。
ネットなどしているととんでもないものにぶち当たって、ふっと自分が10代くらいの時の記憶が蘇る。この数か月のこと。ある一つの商店街の通りを何度も何度も歩いていると、「ここは昔、母親と歩いた!」と思うのだ。背丈も今よりは小さかったし、体力もなかった・・・そんなことを考えながら歩いていると「もしや・・・この横に入っていった?」とふと逆行することがある。もうとんでもない時間が経ってしまっているから、それこそとんでもない奇跡でも起こらない限りは今、密かに心の奥で探しているその人の情報を得られることなんてない・・・筈であるが・・・やはり、星新一の世界観だなぁ、今宵も。まあ、いいか。
タケノコの美味しい季節だ。新鮮なものは刺身で、煮ても焼いても炊きこんでも美味いタケノコ。
昔、この季節になると山ほど山口県からタケノコを送ってきてくれる友人がいた。いつの日か今か今かと新鮮なタケノコを待っていたのだが、ある年に届かなかった・・・そのまま気にせず時間が流れたがもう一人の友人が「全く連絡がつかないのよ」と連絡してきて、いろいろ私に訊ねたが全く消息不明。現代の「独り」というのは、本当に連絡がつかなくなったら、全く前には進まないのだ。行政は「個人情報は教えられません」と一点張り。これこそ全く前進しない。電話だメールだなんだかんだの方法も全く役立つないことを知る。
東京にきた時は必ず、友人のオフィスにより、そこでみんなに料理を振る舞っていたと聞き、もっと遡れば、そう20代から彼は山仲間だった。電話口で焦っている友人の口から「幼稚運の園児にタケノコ堀りとかいろいろ教えているともきいた」という中から私の頭の中に「幼稚園」という彼のイメージとは結びつかない言葉が響いた。
何れにしても事態は尋常ではないのだ・・・
不思議と言えば不思議である。いつも自分が不思議だと思えるのはこんな時。ふっと地図を広げ、そして地域の中にある幼稚園を3つ選んだ。
最初の幼稚園では「知りませんね・・・」と呆気なく。そして次の幼稚園に電話した時だった。本当にこういうことがあるものか!と思った一瞬だった。たまたまか、必然か?電話口に出たのは園長先生で、私の口から「Nさん」と彼の名前を出した途端!「わぁー」という響きと興奮にも似た焦りの声が聞こえた。「今年も園児たちにタケノコ堀りを教えてくれる予定だったんだす!」と。その後はいろいろな経緯と「死」という事実を教えてくれたのだ。しかし現代の「独り」というのは本当に本人がいなくなってしまうと全く手も足もでない。納骨されたのであれば寺か?また、地図を見ながら川筋を見て、「教えて教えて」と思い、何故か北方向にある寺に電話をしてみた。その瞬間だった。また電話口にご住職が出られ、驚き、彼の「~家」の話を始めた。私はひたすらメモをとった。
何かに揺り動かされて、知らされて・・・友人に電話で連絡して事情を伝え、菩提寺を教えた。電話の向こうで彼女はとても驚き・・・そして泣いた。
20代の頃は、夏になるとふた山くらい登り、高山植物の好きな彼は、花たちを写真におさめた。若い時代の私たちは「近くにこんな綺麗な花があるのにぃ~」と言って彼をからかいながら燥いだ。
5月・・・この季節になると〝あの時〟から毎年毎年、夏山に登った時のこと、そして届けられた荷物にある彼の文字を思い出すのだ。5月に届けられたのは「タケノコ」ではなく・・・なんか「筍」だった気がする。
発表会といえば・・・
先ず、8月に「朗読会」がある。広島と長崎、日本への原子爆弾投下にちなむ話、手紙、短歌などの本格的練習に入った。その中で、『海ゆかば』を歌うシーンがある。この歌は信時潔(1887-1965)が1937年(昭和12年)に作曲した国民歌謡・戦時歌謡ということだ。歌詞は奈良時代の歌人である大伴家持による『万葉集』巻十八「賀陸奥国出金詔書歌」から抜粋されている。
海行かば 水漬く屍
山行かば 草生す屍
大君の辺にこそ死なめ
かへり見はせじ
大君とは天皇のことである。兵士たちはこれを口にしたというが・・・
以前、従軍看護婦をしていた方を取材したことがある。まだ若い若い兵隊さんの看護をしていた。「米粒を集めて集めて粥にして、一匙、その兵隊さんの口に運んだ。そして、亡くなる直前に一言「おかあさん」と言ったの」と聞いた。亡骸を森に運び、そして葬られたと言っていた。多くの記憶。思い出し思い出し、そして、哀しい哀しいといつまでも泣いていらした。
その時のこと・・・どれほどの悲しみと苦しみがあったか・・・ふと思い出す。