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‘ichiko’ カテゴリーのアーカイブ

「猫の首に鈴を付けるのは誰なんだ?」

2018 年 11 月 8 日 木曜日

「猫の首に鈴を付けるのは誰なんだ?」「影武者はいないのか?」・・・昔、サラリーマン時代から、だいたいこういう時は「吉田、お前やれ!」ということが多かった。今思うと「はぁ?」である。

「度胸いいからな」「潔良いよな」とよく言われ。しかし、どうもそのちぐはぐ感におかしいと若い時代は思わなかった。若さとはそういうあれこれをも払拭して「飛び込む」というすごい力があるものなのかも知れないな。

しかし、人は加齢していくと、いろいろな知識というか人生の澱のような知恵がついてくる。だから今は「あだだだ・・・」という感覚である。

そう、年とっても、この「猫の首に鈴を付けるのは誰なんだ?」のお役目がやってきた。もう度胸も愛嬌もない。だから、ただただ能面のように冷静に対応していくしかないと思うと一番弱い「胃」が痛むのだ。

まあ、鈴付けも永遠に続くことでない。そう考えて、さっさと能面で向かっていこう・・・と思う。

 

ああ!Suica・・・

2018 年 10 月 27 日 土曜日

先般、ボッーとテレビ番組を見ていたら「宝くじに当たった人」ということでデータ紹介があった。ある人の「トイレの夢を見て宝くじを買った」とあった。ちょうど、このところ私もトイレの夢ばかり見ていたので「よつしゃ!」ウホッホと気持ちは高まっいたのだが・・・

その日、やたらとあっちこっちへ回ることが多く、バッグをいつものバッグではなく、とても軽いものにした。バスケースからSuicaを抜き取り、スマホのケースにさくっと差し込んだ。回るところが多かったので駅でたんまりチャージした。そして、ちょっとエキナカで買い物していざ改札を入ろうとしたら・・・「ない!」。慌てて、店舗に戻っていろいろ聞いてまわったがやはり「ない!」。

すぐさま、みどりの窓口でそのSuicaの紛失届け出をして、使用禁止の手続きをした。翌日、カードの内容の調査の結果を聞きに行ったところ「あ~残高ゼロになっていますねぇ~」と言われた。「えぇぇぇぇ!」であった。まさかの素早さ!要は使われてしまったのだ。SuicaはコンビニでもファミレスでもタクシーもカードのSuicaという名前の如くスイスイ使える。

性善説の私が大揺れした・・・あああ!と思って遅い。パスケースにしっかりと入れなかった自分がいけないのだと反省したものの、「はて、どんな人が拾ったのか?「ゴミ箱に捨てられたら、まあ、出では来ないでしょうねぇ」と駅員の人が言った。願わくば、変なところにSuicaカードを捨てないでぇ~捨てるならゴミ箱に」と願った。

「きっと厄落とし~厄落とし~」と思った。そして、ワサワサしていないでもっと落ち着いた生活をしないといけないと猛省。

しかし、たんまりチャージした直後に紛失!駅の売店から改札口手前。そのゾーンは余りにも狭い。

宝くじの夢はいずこ・・・

夕化粧

2018 年 9 月 23 日 日曜日

このところ休みがなく・・・

心がザワザワするほどの忙しさだった。

ほっとした日曜日。

時間の感覚がよみがえった。

ふっと、近くの家の花壇にあるオシロイバナが目に入る。

鮮やかな赤色。

お寺の鐘のような黒い種子をつぶすと、白粉のような白い粉が出てくる。子ども時代、よくそれを頬につけて遊んだものだ。

オシロイバナは別名「夕化粧」。

その名の通り夕方から開花する。

名づけ親は江戸時代の博物学者、貝原益軒。

虫たちは夕方頃からその色や香りで引きつけられてしまう。

兎に角、繁殖力が強いオシロイバナは夕方から妖しく香りを放つのだ。

自然に気をとられていると、溜まった疲れがほぐれていく。

 

『方丈記』から考える 天災に備える気持ち

2018 年 9 月 12 日 水曜日

人間とは忘れる動物である・・・

だから生きて行けるのかも知れない。

何もかもを記憶していたら発狂してしまうかも知れない。

 

さて、鴨長明『方丈記』。青春時代はここに書かれている「無常観」というものに知りもしないというのに憧れていた。10代特有の感受性というか、厭世観とか無常観とか。何か儚いものに只管、憧れる気持ち。既に遠く・・・最近はガッツがッツと逞しくなってしまった!

 

さて、『方丈記』に戻るが、現代にも通じるものがある。

例えば元暦2年(1185年)7月に都を襲った大地震について書き記されている。

「塵灰たちのぼりて、盛りなる煙のごとし。地の動き、家の破るる音、雷に異ならず。家の内にをれば忽にひしげなんとす。走り出づれば、地割れ裂く。羽なければ、空をも飛ぶべからず。竜ならばや雲にも乗らむ」

 

つまり塵や灰が立ち上って、盛んなる煙のようである。地の動き、家の壊れる音はまるで雷の音と変わらない。家の中にいればすぐにつぶされそうになる。走り出れば、地面が割れ裂ける。羽が無いので空を飛ぶこともできない。竜であれば雲にも乗れよう。しかし人間はどうにもならない・・・である。

しかし!

「すなはちは人みなあぢきなき事を述べて、いささか心の濁りもうすらぐと見えしかど、月日かさなり、年経にし後は、ことばにかけて言ひ出づる人だになし」

地震があった直後は「ああ人の世ははかないもの」などと、神妙なことを言っていたのに、少し月日が重なり時間がたつと地震のことなどけろっと忘れてしまい、言葉に出す者もいなくなるのだ。記憶も風化していくのだろう。つまり、今も昔も人間はそう変わらない。デジタルが浸透していてもエネルギーが供給されなければ、それは「過去」の人々と同じ環境に近づく。しかし、忘れてはいけないのだ、天災はいつでも起こるという事を。あふまの片隅にでいい。そして、災害に遭った地域、そして人々のことを忘れてはならない。特に政府は肝に銘じてほしいと思っている。

いつも「防災グッズ背負っています」と若い女性がテレビに出でいた。水を2リットルプラスα。重いだろうに。だからか?「でも一週間が限度!」と明るく笑った。

そう!一番大切なものは「命」である。健康な肉体とへこたれない精神力。これを持ちたい。

 

 

時代?

2018 年 9 月 12 日 水曜日

FBつまりフェイスブックがこれほどまでに浸透する前のこと。「絶対に吉田さんに向いていますよ」と言われ、一旦始めたことがあった。それが原因とは分からないが・・・あるお誘いのイベントのURLから、どうもウイルス感染した。それも他愛もないウイルスだった。その為にPC修理をして、費用と時間も無駄にしたことがあった。

その後、やはり進取の気性の人というか・・・いろいろ教えてくれた人がいた。「なんでその人の行動をいちいち知りたいのか?」と実に不思議な気分になったことがある。彼にとっては何でもかんでもある女性の行動を知っていることが誇りだったのかも知れない。しかし一種、ストーカーのにおいさえしてしまった。

どうもというか、全く合わないことが分かった。「向いていますよ」と言った人を疑いたくもなる(笑)

また、インスタ映えとか言っている人々の行動も全く分からないし、<私にとっては>なんでいちいち報告してるの? はたまた、バッカじゃないか?という日常の瑣末的なことまで、いちいち書き込んでいる人の神経が全く分からない。

そして、最近、何よりも分からないのがメールに「返信」しない人々の心理である。機会があったら一度心理学の専門家に聞いてみたい。スルーしてしまう人の心理が全く分からない。内容としてはどーでもよくなく、「業務」の一端である。あらましが分かったらせめて「了解しました」または「検討します」。そして「いついつまでに~」と言った期間限定の要素たっぷりの案件である。それをいつまでもスルーしていることが分からない。何故か?最近、実にこういう類が多い。何なのだろうか?と思う。

時代が何か変化してしまったのだろうか・・・浦島太郎状態!(笑)

 

先輩に感謝! 昭和のひとこま

2018 年 9 月 11 日 火曜日

先輩のジャーナリストKさんから封筒が届いた。開けてみると何か雑誌のコビーのようだ。

なんでも「今、終活をしていて、いろいろ整理していた中からでできた」と言う。

・・・といってもなんともインタビュー記事が1ベージで切れているではないか?「アシスタントに任せていた媒体なので・・・」と一言コメントがあるが、全く記憶にない。しかし写真の風景を見ると新聞社の社内である。編集長時代のものだ。こうして社内で雑誌社のインタビューを受けたのか?しかし、記憶とは実に不思議でなくなると「全くない」のだ。

1989年と書いてある。なるほどね!バブルが終わることも想像もできずにがむしゃらに仕事というか、動いていた時代だね。ただただ若い時代の自分がいる。何か説明しているのだろう。両手でカタチを作っている。よく見ると雑然としたデスクの上は散らかり放題である。片づける間もなく・・・なんだろう。

デジタル化ではない昭和ってこうだったんだよね~とつくづく昔のことを思い出してみる。はて?後方にいるのは?そうか!そうか!とまたまた感動してしまう。

良かった悪かったとかえりみて、いろいろ人は言うけれど、猛烈に仕事をしてきた時代の片鱗を送ってきてくれた先輩に感謝!感謝!である。

戦後73年の「終戦記念日」

2018 年 8 月 15 日 水曜日

戦後73年目の8月15日。

平成最後となる「終戦の日」に天皇陛下は皇后さまとともに日本武道館で開かれた全国戦没者追悼式に出席された。在位中最後の終戦の日のお言葉を述べられた。

私もこれまでに何名かの人々の「終戦記念日」のインタビューを行ってきた。今から5年前か・・・「吉田さん、戦争を語れる人はもう僕たちの時代で終わりだよ」とある語り部の男性がおっしゃった。「これからは語られたことを語っていく時代だね」とその方は付け加えられた。今思い起こしても実に深い言葉である。

時代は刻刻と変化しいてく。

戦争体験者の減少、そして、高齢化で記憶の継承はますます難しい課題である。

今は「玉音放送」を読めない若者も多い。

一体、日本で何があったのか?それさえ伝えられないという事実もある。

追悼の祈り

不戦の誓い

次世代へ繋ぐ、繋いでいくいわば強い使命のようなものを感じる。

終戦記念日・・・それは日本の歴史である。

原爆忌

2018 年 8 月 9 日 木曜日

蝉が鳴いている。

毎年暑い夏はやってくる。

夏を迎える度に、私は魂が騒ぐ。とくに「としまの記憶」をつなぐ会というNPOへを立ちあげて、語り部のおひとりおひとりから、かけがえのない記憶をインタビュー、動画収録という作業をしてからは、自分の知らない過去の当時の光景、人々の様子、そして空気を想像しつづけている。だから思いがより強くなってきている。

今年もまた1945年8月6日には広島市、同9日には長崎市に原子爆弾が投下されて。73年という時間が過ぎた。広島では十余万人、長崎では7万人を超す死者が出て、被爆者たちは今もなお苦しんでいるのだ。忘れてはいけないのだ。

戦後71年が過ぎた時、初めてアメリカの現職大統領オバマが被爆地、広島の地を踏んだ。広島平和記念公園、アーチ型の慰霊碑の先に原爆ドームが見える。それは被爆の悲惨さを目の当たりに伝えるものである。

しかし、 慰霊碑から原爆ドームが見えるのは、偶然の産物ではない・・・ことをご存知だろうか?。

そこにはある日本の建築家の強い強い意志が込められている。彼は取り壊しが検討されていた原爆ドームを今なお私たちに「決して忘れてはいけない!」というシンボリックなものと位置付けたのだ。その人は建築界のノーベル賞と称される、プリツカー賞を日本人で初めて受賞した世界的な建築家だ丹下健三だ。まだ、被爆の恐れが・・・と言われていた時。丹下は被爆地にたち、「悲惨な戦争を想起させるものは復興にそぐわない」「役に立たない」とさんざん批判を受けながら、慰霊する空間を作り上げた。そのことも私たちは忘れてはいけないことだと思っている。過去は人が忘れるということとは違って決して消えない。

 

記憶喪失?

2018 年 7 月 21 日 土曜日

多分・・・であるが・・・初めてのことではないかな?と、暑さ逃れたところで考えた。

21日の夕方、いきなりのトラブルだった。某新聞に掲載された転記ミスの処理に追われていたところ友人Aさんから「Fちゃんと近くの喫茶店でお茶しています」とメールが入っていた。

「なんのこっちゃ?」と。もう追われていたのである!その後、痺れをきらして彼女からの「どうしたの?」「どこにいるの?」電話が入った。それでも「なんのこっっちゃ?」が続くばかり。

「芝居」のことを聞いてもよく分からないままで雑踏にいた。「今日、芝居に行くって言ったでしょ?」と。どうも芝居に行くといったようだ?

ついにボケたか?・・・と静かに自分を疑う。

ただただ呆然!

皆には迷惑をかけた夜であった。

しつこいメモ魔の手帳にも何も書かれていない。一体どうしたのだろう?と思っても始まらない。兎に角、23日からの一週間は多種多様な方々とあらゆる事象を想定して生き抜く(笑)ことだ。

みんな・・・ごめんなさい!

 

神様!お願い!

2018 年 7 月 19 日 木曜日

来週からイベント続き。

ご高齢の方々の対象ものがあり、そんな点で兎に角、気温のことが気になつている。

天気予報を見て、声が出ない!

「えっ?!」である。

東京のところに「35度」とあった。

少し遅れて7月23日のところ「37度」とあった。

微熱か?

どうしよう・・・といってもどうしようもないな。

昨夜の超冷房中でのセミナーでどうも体調がすぐれない。

つよーい冷房にあたったようだ。

その後に混雑した駅から駅を汗流して(笑)回った。

これがまた夏バテか?

まあ、静かに静かに冷静に7月過ごしたい・・・。

神様!お願い!