サイトトップ

ichiko | ichikoTV - Part 25 ichikoTV

‘ichiko’ カテゴリーのアーカイブ

先輩に感謝! 昭和のひとこま

2018 年 9 月 11 日 火曜日

先輩のジャーナリストKさんから封筒が届いた。開けてみると何か雑誌のコビーのようだ。

なんでも「今、終活をしていて、いろいろ整理していた中からでできた」と言う。

・・・といってもなんともインタビュー記事が1ベージで切れているではないか?「アシスタントに任せていた媒体なので・・・」と一言コメントがあるが、全く記憶にない。しかし写真の風景を見ると新聞社の社内である。編集長時代のものだ。こうして社内で雑誌社のインタビューを受けたのか?しかし、記憶とは実に不思議でなくなると「全くない」のだ。

1989年と書いてある。なるほどね!バブルが終わることも想像もできずにがむしゃらに仕事というか、動いていた時代だね。ただただ若い時代の自分がいる。何か説明しているのだろう。両手でカタチを作っている。よく見ると雑然としたデスクの上は散らかり放題である。片づける間もなく・・・なんだろう。

デジタル化ではない昭和ってこうだったんだよね~とつくづく昔のことを思い出してみる。はて?後方にいるのは?そうか!そうか!とまたまた感動してしまう。

良かった悪かったとかえりみて、いろいろ人は言うけれど、猛烈に仕事をしてきた時代の片鱗を送ってきてくれた先輩に感謝!感謝!である。

戦後73年の「終戦記念日」

2018 年 8 月 15 日 水曜日

戦後73年目の8月15日。

平成最後となる「終戦の日」に天皇陛下は皇后さまとともに日本武道館で開かれた全国戦没者追悼式に出席された。在位中最後の終戦の日のお言葉を述べられた。

私もこれまでに何名かの人々の「終戦記念日」のインタビューを行ってきた。今から5年前か・・・「吉田さん、戦争を語れる人はもう僕たちの時代で終わりだよ」とある語り部の男性がおっしゃった。「これからは語られたことを語っていく時代だね」とその方は付け加えられた。今思い起こしても実に深い言葉である。

時代は刻刻と変化しいてく。

戦争体験者の減少、そして、高齢化で記憶の継承はますます難しい課題である。

今は「玉音放送」を読めない若者も多い。

一体、日本で何があったのか?それさえ伝えられないという事実もある。

追悼の祈り

不戦の誓い

次世代へ繋ぐ、繋いでいくいわば強い使命のようなものを感じる。

終戦記念日・・・それは日本の歴史である。

原爆忌

2018 年 8 月 9 日 木曜日

蝉が鳴いている。

毎年暑い夏はやってくる。

夏を迎える度に、私は魂が騒ぐ。とくに「としまの記憶」をつなぐ会というNPOへを立ちあげて、語り部のおひとりおひとりから、かけがえのない記憶をインタビュー、動画収録という作業をしてからは、自分の知らない過去の当時の光景、人々の様子、そして空気を想像しつづけている。だから思いがより強くなってきている。

今年もまた1945年8月6日には広島市、同9日には長崎市に原子爆弾が投下されて。73年という時間が過ぎた。広島では十余万人、長崎では7万人を超す死者が出て、被爆者たちは今もなお苦しんでいるのだ。忘れてはいけないのだ。

戦後71年が過ぎた時、初めてアメリカの現職大統領オバマが被爆地、広島の地を踏んだ。広島平和記念公園、アーチ型の慰霊碑の先に原爆ドームが見える。それは被爆の悲惨さを目の当たりに伝えるものである。

しかし、 慰霊碑から原爆ドームが見えるのは、偶然の産物ではない・・・ことをご存知だろうか?。

そこにはある日本の建築家の強い強い意志が込められている。彼は取り壊しが検討されていた原爆ドームを今なお私たちに「決して忘れてはいけない!」というシンボリックなものと位置付けたのだ。その人は建築界のノーベル賞と称される、プリツカー賞を日本人で初めて受賞した世界的な建築家だ丹下健三だ。まだ、被爆の恐れが・・・と言われていた時。丹下は被爆地にたち、「悲惨な戦争を想起させるものは復興にそぐわない」「役に立たない」とさんざん批判を受けながら、慰霊する空間を作り上げた。そのことも私たちは忘れてはいけないことだと思っている。過去は人が忘れるということとは違って決して消えない。

 

記憶喪失?

2018 年 7 月 21 日 土曜日

多分・・・であるが・・・初めてのことではないかな?と、暑さ逃れたところで考えた。

21日の夕方、いきなりのトラブルだった。某新聞に掲載された転記ミスの処理に追われていたところ友人Aさんから「Fちゃんと近くの喫茶店でお茶しています」とメールが入っていた。

「なんのこっちゃ?」と。もう追われていたのである!その後、痺れをきらして彼女からの「どうしたの?」「どこにいるの?」電話が入った。それでも「なんのこっっちゃ?」が続くばかり。

「芝居」のことを聞いてもよく分からないままで雑踏にいた。「今日、芝居に行くって言ったでしょ?」と。どうも芝居に行くといったようだ?

ついにボケたか?・・・と静かに自分を疑う。

ただただ呆然!

皆には迷惑をかけた夜であった。

しつこいメモ魔の手帳にも何も書かれていない。一体どうしたのだろう?と思っても始まらない。兎に角、23日からの一週間は多種多様な方々とあらゆる事象を想定して生き抜く(笑)ことだ。

みんな・・・ごめんなさい!

 

神様!お願い!

2018 年 7 月 19 日 木曜日

来週からイベント続き。

ご高齢の方々の対象ものがあり、そんな点で兎に角、気温のことが気になつている。

天気予報を見て、声が出ない!

「えっ?!」である。

東京のところに「35度」とあった。

少し遅れて7月23日のところ「37度」とあった。

微熱か?

どうしよう・・・といってもどうしようもないな。

昨夜の超冷房中でのセミナーでどうも体調がすぐれない。

つよーい冷房にあたったようだ。

その後に混雑した駅から駅を汗流して(笑)回った。

これがまた夏バテか?

まあ、静かに静かに冷静に7月過ごしたい・・・。

神様!お願い!

仲間の死

2018 年 6 月 13 日 水曜日

6月11日に新聞社時代の同僚の訃報にせっした。連絡してきた人のショートメールの文字を何度か読み、力がストンと抜けて行くのを感じた。不思議なほど、するるるるる・・・・と力が抜けて行った。

彼は、私と同い年である。時々酒を飲めば好きな歌も、学生時代の事も、いろんな時代背景が共感でき話した。

そんな中で20代、30代・・・とずっと過ごしてきたのだ。

昨夏は昔お世話になった上司の墓参りに鎌倉にも行き、皆で鎌倉を散歩して、ひとしきり思い出を話した。

 

日本がバブル景気に浮かれる前も、浮かれた時も、そして崩壊した時も・・・彼は淡々と仕事をこなしていたのだろう。私が独立した後も、会えば淡々としていた男であり、仲間だった。

聞けば5月末に検査入院をしたらしい。

多分、体調が悪くてもぎりぎりまで押し黙っていたのだろう。

そんな時間、癌が命を奪っていった。

15日が通夜である。

きっと・・・雨が降るのだろうなぁ。

まだ6月だ。

誕生日前に天国へ旅立った友よ。

今は、冥福を祈ります。

 

 

ミラクル続き

2018 年 6 月 7 日 木曜日

このところ不気味なほど(笑)ミラクル続きである。

たまたま、某会議の後、二次会となった。昔話をしていた方の小学校の同級生という人が、どうもビジネスの会議の席で一度お目にかかったことがあったようだった。彼は、ミュージシャンの友人が自慢げに話していたのだ。

文字ヅラから見ると、それほど大したミラクルでもないが、どうも、そのミュージシャンの方にお目にかかったのは約10年ほど前の話。まっ!まさか?と思って携帯の連絡先を調べると「あった!」ではないか!。小学校の同級生へ電話をしたところ何と、私のことを覚えていてくれたのだ。

 

その方とはあるビジネスの集まりでお目にかかったのだが、たまたま隣りの席に座っていた。「なんかつまらないですねぇ・・・」と私が呟いたのだが・・・「本当につまらないですね」と二人で会場を抜け出した。そして、なんと銀座へ向かい、いきつけのBARへ。ひとしきりスコッチを呑みながら音楽談議とあいなった。

 

「そんなことがあったんですよ。ハハハ」と言うと、もう二次会場は大盛り上がり。オジサンたちの頭の中はもう、オヒレハヒレを付け始めている。そんな光景を見ているだけで面白い。

それにしても人の記憶とは!すごい。驚きである。

 

いよいよ紫陽花の美しい季節

2018 年 5 月 30 日 水曜日

朝から打ち合わせだ、会議の連続でありまして・・・

夕方、漸く外に出ると、街は傘の花!花!天気予報通りの雨です。

いよいよ紫陽花の美しい季節がやってきましたね。梅雨入りも間近です。

丸出し

2018 年 5 月 27 日 日曜日

先般、ある会合のあとの懇親会で、酒を呑みながら気軽にしゃべる時間があった。その席で、ある方が言うには、それぞれの「人の気質」は年とっていくとどんどん丸出しになっていくものだ・・・そういいながら、両手を大きく広げていた。70代の大先輩でもあるその方はカッカッカッ!と実に豪快に笑った。

私も常々、人ってそんなものだなぁ?と漠然思っていたので「やはり、そうか!」と確信したわけである。

まるで、ラッキョウのかわが一枚一枚取れていくように・・・という比喩があったりで「そうすると最後は何にもなくなりますねぇ?」と言うと、再び大笑いとなったわけである。

例えば、小学校の時など、「嫌な奴だ!」と思っていたその人物の嫌なところがますます加齢とともに露呈していくという。あらまあ~~ら!と笑いがとまらないほどに嫌なところが丸出しになるとはね!実に辛いものだと思うな。

自分も実に嫌味なことをいうところがあるので、今後はなるべく気をつけて生きて行かねばと思ったわけである。

 

しかし・・・以下はボヤキであるが・・・

集合時間を「絶対に守らない」という人間がいる。不思議なほどに守らない人のアタマの認のTIME感覚とはどうなっているのか?といつも思う。集合時間の「前」に来るタイプと必ず「遅れてくる」タイプ。これまた一生なおらないのだろうなぁ・・・。

 

 

よみがえる ハサミとペーパーナイフ

2018 年 4 月 28 日 土曜日

断捨離!断捨離!とはいうものの、生活の中で見まわしてみると「捨てられないもの」があることに気付く。勿論、「モノ」は捨ててしまえばそれで焼却、そして忘却ということになるものだが・・・

気が付くと使わなくても傍にあるものが「ある」。今は亡き父親がいつも使っていたクラフト鋏とベーパーナイフ。ペン立てにいれてはあるが、切れ味の悪いハサミとナイフ。実はどうにもならない。視界に入る度、自分が小学校低学年の時に見た光景が頭の中を占める。いわば父のお気に入りのモノ。父にとってそれらは身近なモノだった。書簡の封はササッと、そしてハサミも滑らかに、そしてすべるようにキラキラと輝いていた、そんなイメージが占める。

「どうしたものか・・・」と時折、考えていた。「よし!」と心でパチンという決定打が。

そうしたものを研いでくれるところ?「ねぇ、すごく古いハサミとペーパーナイフを研いでくれる人って?」と聞いても多分分からないことも多いだろう。探しぬいた。あれこれ条件を絞り込む。だからこそ、そんな点でネットの素晴らしさを感じる。

昨日、宮城県にある店のご主人から修理が終わったというメールをもらった。「クラフト鋏は大きな刃欠けがありました」という文言を見て、専門家が見れば「大きな刃欠け?そんなものがあったのか!」とそのメッセージに感心してしまった。

急いでいるわけではなかった。確かに時間はかかったものの、キメ細かな専門家の手による修理が終わり、もうすぐ自分の手元に届く。何かときめく。

あの「日常」でありながらも、幼い自分の目に映っていた憧憬ともいえる暮らしのひとこまがよみがえる気がしてきた。いずれは捨てられてしまうものかも知れないが、「捨てないで良かった」と、心の中でほっ・・・という音、息遣いが聞こえたようだった。