K氏のお母様の告別式に参列。
「としまの記憶」をつなぐ会としては語り部としてお話しを動画におさめた。
「記憶の残るあの日あの時」の取材ではインタビューをして記事にまとめた。
棺のなかで静かに眠られていた。
あんなにお元気でいらしたのに・・・と思うと、本当に辛い。
享年87歳。
いろいろお世話になりました。
どうぞ安らかに
K氏のお母様の告別式に参列。
「としまの記憶」をつなぐ会としては語り部としてお話しを動画におさめた。
「記憶の残るあの日あの時」の取材ではインタビューをして記事にまとめた。
棺のなかで静かに眠られていた。
あんなにお元気でいらしたのに・・・と思うと、本当に辛い。
享年87歳。
いろいろお世話になりました。
どうぞ安らかに
ポストに一通の葉書があった。
『今世ではありがとうございました。お先に失礼します。』
えっ?なに??
それは、企画制作パオの代表・光永憲之さんの「死」の報せだった。ご子息からの葉書。代表として、映画プロデューサーとして父として見事な最期でした・・・とあった。晴天の七夕に映画監督だった槙坪さんへ逢いに逝いったとあった。見事な最期という言葉で少し安心したあとに・・・深い悲しみが押し寄せた。
ふっと一週間ほど前か、そろそろ映画が完成したかな?試写会かな?などとふっと思ってスマホの連絡先を検索したがそのまま何もしなかった。
槙坪さんは4度目の命日を迎えたとある。
月日は残酷に過ぎ去っていく。
ひとつひとつの情景が浮かぶ。
初めて会った日のこと。
試写会の日のこと。
今では誰でもが意識していることだが、青少年の性の問題、介護の問題、親の看取り・・・社会問題を丁寧に切り取った作品を手掛けた槙坪さんだった。
リウマチが酷くなった頃、ずいぶんと心配した。
面会謝絶の日々もあった。
しかし、いつも微笑みを絶やさず彼女のそばに付き添っていたのが光永さんだった。
葉書にはお二人の若いころの写真がある。
天国で「あら!」なんて、あの飄々とした表情で槙坪さんは言っているのかも知れないな・・・
企画制作パオ
ル・コルビュジエという名前はかなり前から記憶がある。昔、祖父がレストラン「常盤家」を経営していたが、父が副社長時代に丸の内に建築家・村田豊先生に新しい店舗の設計を頼んだ。その村田豊先生がル・コルビュジエに師事していたという方だった。今では当たり前のように見られるアクリルの照明器具などは昭和30年代には「未来」をイメージしたもののようだった。今思えば、不思議な店内。空間を設計される先生だったという記憶が微かにある。父は村田豊先生が設計した「キャンティー」にもよく連れて行ってくれた。そこを訪れる人々の何か日常を乖離した雰囲気は今でも忘れられないものだ。
何もなくなってしまった今は記憶と思い出の中であるが、脳がしっかりしている間はさの思い出の中に入っていけるわけだ。
朝からとにかく走り回っていた。
暑い!
蒸し暑い!
こんなに汗って出るものか?
そんな中でも冷静に冷静に
一つ片づけると一つ問題が発生しそれを粛々と片づけていく
やはり社会生活でのちょっと縛られた経験は良かったのかもしれないと最近は強く思う
自由気ままもいいけれど
全くそんなことが出来ない自分発見だ
「自由でいいですね~」と言われることに満足しよう
兎に角
粛々と
「上を向いて歩こう」などを手がけた、作詞家・放送作家としてテレビやラジオで幅広く活躍した永六輔さんが7月7日に東京都内の自宅で亡くなったそうである。
享年83歳。
しかし病とは・・・
本当に人間の深部にまで染み込んでくるものなのだと思わされた。
出来れば病気にならずピンピン生きてコロッとあの世に往きたい。
最近70代の方が言うことが差がありすぎる気がする。
本当にばりばりと元気な方が「体力がガタッとおちた。スゴイスピードで・・・」と言う方など様々だが・・・
最近は、何か、暴走せず淡々とと生きていきたいと思うようになった。
某氷川神社へ。
歴史が伝わる何かを感じる。
これは何?
不思議世界があるものだ。
共通の趣味の仲間たちと神楽坂で飲む。その中の一人が今月末に外科手術をひかえている。ただ「術後のリハビリに少し時間がかかりそうだ」という。いつも世界中を飛び回り忙しく仕事をしている人間。入院中の仕事はどーするんだ?どうだこうだと周りは不躾に訊くばかり。「何とかなるんだよ~」と彼は笑った。一人は人間ドックの結果を見せなから「再検査があるんだよ~」と心配顔で言う。そう言いながら、話して笑って呑んで。要は健康が一番大切である!ということで笑いあった。蒸し暑い日本の夏。心静かに、しっかりと、そして少しでも快適に過ごしていこう。心地よい秋風のふくころにまた!ということで笑顔で別れる。
このところ専らの話題が「東京直下地震」のこと。
ちょっと信じられないような予想?論?を聞くと、
いけないいけない・・・と思っていてもやはり顔がくもってしまう。
「その予想される時のイベントは避けなくては」・・・なんて考えもしてしまう。
しかしかね、やはりなんだかんだいっても神のみぞ知る世界なんだろうな。
家具の固定その他もろもろ。
書物もいつも読むか読まないかで整理している。
今、自分で出来る限りの防災をすることしかできないなあ。
あまりモノやコトに拘らずに生きることが大切なのかもしれない。
改めて「唯識論」を読む。
某私鉄沿線で。
次の打ち合わせまでに少しだけ時間があった。
2分の1時間。
小さな駅の駅前にある喫茶店。
大好きなコーヒーを注文する。
奥の席に腰かける。
電車がホームに入ってくるのが見える。
ネットで小林カツ代のキッチンスタジオ便りを確認。
ここには時々、散文を載せていだたいている。
ふっと・・・過去へと遡っていくボタンをおす。
そこにはかっちゃんのメッセージがそのままあった。
日付は2005年6月24日。
ちょこっと宣伝・・・とある。
「マヨネーズってわっはっは」数週間で増刷
そうそう!
あの書籍のタイトルは・・・
あの日、浅草駅の階段をハアハア言ってのぼりながら
「私!思いついたのよ」とかっちゃん。
「ねえ?どう?」と付け加えた。
それに書店に並ぶ前だったな。
「しゃべっちゃうわよ」とラジオでしゃべっちゃってねぇ~
今思えば、あはは。
当時、使っていた小さな携帯電話は今、抽斗の奥にしまってある。
「増刷決定」と知らせたかっちゃんへのメールが残っている筈なのに。
今は、昔々、使っていた古いカタチの携帯電話でしかない。
悲しいとか、辛いとか、懐かしいとか
違うな・・・。
どんな感情なのか?
自分でもわからない。
胸の奥の奥のほうで
ただプチップチッと
ただプチップチッと