午前九時半からの伊藤栄洪先生の告別式へ。
高野区長の弔辞。
皆、深い悲しみの中・・・。
棺の中の伊藤先生に声かけてみる。
逞しく仕事をされた。
先生街の歩きも一味ちがった。。
池袋西口の「おもろ」では山之口貘の話でもちきりだった。
浅草散策も楽しかった。
しかし・・毎週、月曜日の朝の訪問。
豊島区の区史編纂の話。
さてと・・・
元気な伊藤先生の姿が思い出されると
人間のアタマの中ってどうなっているんだろう?って
自分でも不思議な気持ちになる。
伊藤先生
安らかに・・・
ありがとうございました。
午前九時半からの伊藤栄洪先生の告別式へ。
高野区長の弔辞。
皆、深い悲しみの中・・・。
棺の中の伊藤先生に声かけてみる。
逞しく仕事をされた。
先生街の歩きも一味ちがった。。
池袋西口の「おもろ」では山之口貘の話でもちきりだった。
浅草散策も楽しかった。
しかし・・毎週、月曜日の朝の訪問。
豊島区の区史編纂の話。
さてと・・・
元気な伊藤先生の姿が思い出されると
人間のアタマの中ってどうなっているんだろう?って
自分でも不思議な気持ちになる。
伊藤先生
安らかに・・・
ありがとうございました。
郷土史研究家・伊藤栄洪先生のお通夜に参列のため南池袋斎場へ。
奥さまにご挨拶すると、目に涙をためながら「まだまだ足りなかったのではと・・・」と
10月7日の大正大学の学生たちとのインタビュー撮影のことをとても気にして仰っる。
本当に十分すぎるほどの撮影だったので
「本当に貴重な先生のメッセージをお聞きいたしました。有難うございます」というと安心されたような表情になられた。
10月10日には全体力振り絞って「豊島新聞」への原稿をお書きになり、その後、医師の判断で、胸水がたまっていくことを避けるためにチューブなどが外されたそうだ。
それからは何もお話しすることもなく痛がることもなく静かに静かに過ごし、17日に亡くなられた。
インタビューの時、お話しの最後のあたりで
「本当によく仕事をした・・・」と何度が繰り返されていた。
いつも伊藤先生の「根こそぎ情報をとれ」という言葉を思いだした。
その人生を、じっとふりかえるような、独り言とも聞こえる言葉が昨夜は脳裏をよぎった。
22日は告別式。
おみおくりである。
郷土史研究家の伊藤栄洪先生が永眠された。
2016年10月17日午後7時。
10月7日に大正大学表現学部4年生とともにインタビューをした。
体調の関係から「10分くらいで」と言われたが、先生は40分強のインタビューに答えて下さった。
力を力を振り絞ってというほど。
毎週、月曜日の朝は豊島区広報課のAさんとともにお訪ねしていた。
「先生、次回は・・・10月10日はお休みだからも今度は17日に」とお別れしたばかりであった。
あまりにも・・・あまりにも・・・
伊藤先生からは多くのことを学んだ。
膨大な量だった。
少し・・・茫然自失である。
先生のことは永遠に忘るまじ・・・・
有難うございました。
このところ急に肌寒くなっている。
秋だな・・・。
気温が10度台になるとやはり、気分が変化してくる。おかしな話だけど。
毎年、この時期になると「記憶の遺産」」の収録が始まるのだが、この作業ほど毎年毎年の違いを感じるものはない。
そう、人々の記憶とは気付くと遠くへいってしまうからである。
しようもないねぇ。
記憶は遠くなっていくものだろうから・・・とは思いながら、「はて?自分の記憶はどうなのか?」と考える。
これが!結構、鮮明になっていくものがある。
多分、若い時代には一瞬でも消えていたのかも知れない。
若いその時代に必死で立ち向かわないとならないものがあったからか。
それらがまるで発掘されていくように鮮明になってくる。
多分、これってトシとって、当時は分からなかった「事象のウラ」がよめるようになってきたからかも知れないな。
人間って不思議!
そして・・・
いずれはもっともっとトシとると「お忘れなさい・・・」という時期が来るのかも知れないな。
たまたま入った珈琲店。
「すごい荷物ですね・・・」とその店の主人らしい人が微笑む。
「ええ」と言い腰かける。
妙に落ち着いた店。
挽きたての香りに包まれる。
そこにあったある雑誌をパラリと捲る・・・
「青蛾」の話が書いてあった。
そう、新宿にあった茶房。
当時の三越の裏の路地を少し入って左側にあった。
木造和風の喫茶店が放つ異彩。。
青蛾とは眉墨で描いた青く美しい眉のことを言う。
美人の異称である。
そう、何もかもが「在りし日」の記憶。
胸の奥の奥が何故か深くじんとした。
懐かしい、そんな時空を超えたような感覚。
暫く開けずにいた本に挟まれていた恋文を見つけたような、そんな感覚。
9月はじめから、異様に興奮するほど忙殺される日々が続いた。
徹夜続きならまだいいのかも知れない。
連日連夜というわけではないが、2時間ちょっとということでへんな睡眠不足が続いた。
冷静になれば(笑)
若くはなく、こんな生活をしていると本当に大変である。
寝入りばなの・・・
まだ脳はしっかり覚醒しているつもり・・なのに・・・
なんと地獄にいるような餓鬼がビューンと飛んできて
むんずと腕をつかんでくるのだ。
かなり強い力で、上腕部をもぎ取るくらい。
やややっ!まずい!まずい!まずい!と思いながら。
あまりの怖さにくじをきることさえ忘れている・・・
お経を・・・
嗚呼!なのである。
いやはや、人間にとって睡眠不足とはこれほどに怖いものかと痛感。
要は睡眠と水分が絶必であることが分かる。
泥のように眠る・・・
何事もなかったようにすべては解消されるのである。
人間とは睡眠と水分が大切である。
思えば昔~昔~
一人の意地っ張り女がいました(^^♪
大学卒業後の進路で、大学院にいく友人も多かったが、私は兎に角、社会という海に飛び込みたかった。
目の前にうかぶその海はキラキラと輝いていた。どんな波が押し寄せてもどこまでも泳いでいける自信があった。
今、考えると、あまりにも未熟で一言「バカ者」といってやりたいほどの自信があった。
実は「編集」は絶対にやりたくない分野だった。
「しゃべりたい!」という単純なものしかなかった。
それは、今、思えば、世間知らずとはいうものの、あまりにも知らなすぎるバカ者である。
「しゃべり」の世界に入れなかったバカ者はバカなりに、新聞社に入るが、余りにも想像とはかけ離れた「現実」という海に放り出される。
あっぷあっぷするしかない。
自信に満ちて書いた原稿はいきなり「ボツだ!」と。
編集長はなんと床にぶんなげる。
そんな時代だった。
宙をまって床にたたきつけられた原稿用紙を一枚一枚拾い集め乍ら、悔しさでいっぱいになった。
なぜか?階段の踊り場で投げられた原稿用紙をもってがたがたと震えるカラダが一体何なのか?これは果して自分なのか?とたたずんでいた。
自分の目の前にうかぶキラキラした海などあっというまに嵐の海となる。
悔しさで考えがまとまらない日々の中、ただただ意地っ張りの自分はあけてもくれても30行ほどの原稿を気も狂わんばかりに書き続けた。来る日も来る日も。「早く署名記事を書きたい!」その野望で体中は燃えたぎるばかりの日々だった。
ある時、編集長が一言「うまくなったな」と言った。言葉はそれだけ、あっけないほどサラリと。
その瞬間、いやらしいドロドロとした野望のようなものは静かに消えていった。来る日も来る日も空っぽの自信と意地っ張り女が書き続けた30行ほどの原稿の日々は自分のことがよく見えていなかった20代の姿をかえた。いわば、修行だったのだと思う。分をわきまえない、空っぽの自信などあっと言う間にはげてしまうのだ。
本当の自信とは?
日々、ただただ地道に愚直に研鑽をすることだ。
それしかないことが、ようやくわかってきた。
トシとったなぁ~(^^♪
これからもよいトシをとっていこう!
不思議なものである。
空気は湿っぽく、蒸し暑く、天気予報では相変わらず「熱中症にお気をつけてください」と伝えてくれる。
しかしね、必要以上に水を飲むと、どうも調子が悪くなる・・・
それでも季節は秋へと着実進んでいく。
9月7日からいよいよ中秋へ。
今年の中秋の名月はどんな月をみられるのだろうな。
鏡の様に透き通った月に、ガシャガシャした心も映ってしまうのだろうな。
こりゃ、参った!
9月1日。
防災の日か・・・
陰陽五行の伊勢瑞祥先生によると・・・
9月5日に何も起こらないでほしいな。起きたら大変!とか。
いやですねぇ~
いずれにしても、防災のことは常にアタマの中にいれておいたほうが良い。
朝から、集中した企画会議。
せんじつめれば、「勝負」という二文字が頭の中に。
そう!勝負なのだ。
かなりの緊張の連続。
解放されて駅のコンコースを歩き、「勝つ!」と思って焼き栗を買う。
兎に角「勝つ!」のだと。
8月22日、台風9号が関東直撃!というのに某所へ行かなくてはならず。
「キャンセルですよね?」
「いや、あります」
「はぁ・・・」
「山手線は原宿で倒木の為~内回り~暫く動きませ~ん」とアナウンス。
ありゃりゃ・・・
地下鉄を乗りついで乗り継いで行くしかないと路線図とにらめっこ。
総武線もストップ。
しかし交通の麻痺ってどうにもこうにもなりませんな。
電車内の疲労した人々の表情。
「暑い暑い」と言いながらも過行く8月。
この夏はリオのオリンピックで寝不足とちょっと興奮と応援疲れか。
大雨と風が過ぎ去って気が付けば午前零時を回っている。
ホームに佇む人もまばらに。
今年も静かに夏が過ぎていく。
何なのだろう?このどうしようもないもの悲しさは・・・・
夏の終わりって!
ひと夏を鳴いて尽くせし法師蝉