サイトトップ

ichiko | ichikoTV - Part 40 ichikoTV

‘ichiko’ カテゴリーのアーカイブ

2015年の哀しみ

2015 年 2 月 7 日 土曜日

1月から本当に哀しみにせっした。こうしたことを書かなくてもと思いつつ、最近の会葬御礼の品が今治のタオルが多く、嘗ては、香典返しの商品も日本茶、そしてタオルやシーツなど寝具類などが多かったと思うが、最近はカタログギフトが多いことに気付く。哀しみのあとであっても、故人を偲び、そしてページをめくる。食品、食器、アクセサリー、ファッション雑貨、キッズ、調理器具、レストラン利用・・・と何とも種類が多く、何日も決められずに手元においておく。何冊かになると本当に「はて・・・」ということになる。いつからの潮流?なのか。きっと、ある頃から変化してきたのだろうなぁと。

しかし、2015年は元旦から本当に多くの哀しみにせっした。もう、本当にみんな元気でいてほしい。それだけだ。

 

脳みそフル活動してみたが・・・

2015 年 2 月 5 日 木曜日

最近の天気予報は当たりますよねぇ~雪だるまがあったので、「あららぁ」と思っていたら、矢張り降りました!しかし、東京は積雪何センチ?とかいうので、いろいろな予定も変更して備えたのです!まあ、やはり自然とはいろいろ裏切ります・・・というよりよめない何かがあるのです。自然界には。

でも雪が嬉しくない年頃になったというかなんというか・・・寒いのが嫌になっています~あぁぁぁ~こんなに寒さに弱かったかな?自分でも不思議です。なんでスケートだスキーだとできてのかしらん?

さて、そんな寒さの中ですが、カツ代さんのサイトの「キッチンたより」のプロフィルの更新ということで再度書き直したところ、あっこさんが「いち子さん、かっちゃんとの最初の仕事はいつ、何の仕事?」と何とも難しい質問が来た。いつもほんの少ししか使っていない脳みそフル活動ですよ。「私が仕事した、1982年にはサンケイ 吉田いち子と名前があったよ~」とあっこさんが仰る・・・。

・・・暫し記憶をたどっていくが・・・

そうそう。主婦の再就職セミナーの講師依頼だったかな?今は仕事を持つ主婦なんて当たり前の時代ですが、当時は「~さんの奥さん」「~ちゃんのお母さん」という名称。いつも夫や子どものかげに隠れていたのが主婦。そんな主婦がある時目覚めて!いよいよ社会進出という主婦たちにむけて、サンケイ会館でかっちゃんに自由にしゃべっていただき、セミナーの最後に質疑応答したかな?会場内は爆笑だったな。その時に成功した!と思った。あれが・・・多分、最初の仕事の依頼かと思うんだけど?

今になると「時代」「社会」が懐かしくてしようがない。愛おしい。アタマにきたりした若気のいたりも愛おしいものだ。いろいろな人々に出会い、そして別れ。「どうしているのかしら?」と連絡取れあう時の幸せとう本当の意味が分かってきた。昔、時し永遠にあると思っていたものね。人のココロも変わらないと思っていた時もあるものね。

これからもかっちゃんのサイトを宜しくお願いします。出来る限り抱腹絶倒?のコラムを書いていきたいと思います。

 

 

2015年1月

2015 年 1 月 27 日 火曜日

今年になり、通夜・葬儀が続く。このような年があるのだな・・・という感覚である。寒さも身にしみながら、ご遺族のお気持ちを考えると寒さがこたえてくる。

何かが静かにかわってきている・・・そんな気配

2015 年 1 月 24 日 土曜日

2015年になってから新年会続きである。本夕は宮城悟先生の「国際心相科学協会」の新年会の為、浅草ビューホテルの会場へ。宮城先生の基調講演のあと、久しぶりに皆さんと懇親。以前、宮城先生の本を出版した時の担当者だった元扶桑社の編集長F氏とも合流。浅草あかみさん会の富永さんももうすぐ80歳と挨拶されていたが、相変わらずのお元気。イキイキと輝いている。宮城先生の講演の中で「ドタキャンは運をおとす」とあったが、何か心にささる。多分・・・そうなのだ。何かがかわっていく・・・そんな気配を感じた夜であった。

・・・・20年

2015 年 1 月 17 日 土曜日

1995年1月17日5時46分に発生した阪神・淡路大震災。もう20年という歳月が経ったのかとふと。何年経っても辛い気持ちを抱えられた方々のことを思う。思い出すこと、思い出す人々のこと。お世話になった人のこと。そして亡くなった嘗ての会社の人のこと。

親友

2015 年 1 月 13 日 火曜日

毎年、「あら」「まあ」という感じで、はっきり言えば何気なく読んできた年賀状。「今年こそ会いたいですね」「今年も宜しく」「ますますのご活躍を」などという言葉だけでなく、最近は人生の深みに入ってきてしまったな・・・と思う。

何か?結婚後、関西で暮らす親友が難病にかかり、昨年はなんと「死」と直面した・・・という文字を見て、その日、私は震えた。目の前に片付けなくてはならないことがあった、後で電話をしようと思い、直ぐに手紙を書いて投函した。そして彼女から返事がきた。後遺症なのか?「耳が聞こえが悪くなってきている」と書いてあった。そして「会っても筆談になると思う」とある。中学生からのこと、つらつらと思いだして、どうして?どうして?と涙が流れる。

 

高校の時、待ち合わせの時間に遅刻した彼女と駅前で大ゲンカ。ゴメンゴメンという彼女にプイッと横を向いた。

交換日記ではなく、二人でラブストーリーを交換し合った。「返しが遅い!」とまた彼女とケンカ?高校時代から私は瞬間湯沸かし器?

「お詫びに」と言って編んでくれた白いはずの毛糸のマフラーが何故かグレイ系。それを見て、無言の後、ふたりで笑った!

はたちの成人式の日。二人でお祝い会に行き、確か役所からの記念品は国語辞書だった。

彼女の結婚式。主賓席に座らされて、緊張しながら精一杯スピーチをした。幸せを祈った。

20代。とにかく登山!登山!北岳制覇?自然を満喫して笑い合った。

社会人に。彼女は学校の教師に。私は新聞社へ入社。

住むところと仕事場。関東と関西・・・やはり離れてしまったな。

やはりなかなか会えなかったね・・・

いろんなことがありすぎ。本当にありすぎた。

でもね、何があってもずっと親友だよ。

東京大神宮で新年会

2015 年 1 月 11 日 日曜日

本日は「伊勢会」の新年会が東京大神宮で行われた。しかし、佳きご縁を願ってか、お参りする方の長蛇の列。春らしき光景だ。11時からご正殿でご祈祷。2015年が佳きとしであることを祈る。その後新年会の会場へ。井沢真紀さんの巫女舞、金春流・山井綱雄さんのお仕舞【写真】。素晴らしい!神々しくそして和やかな時間が過ぎていく。風土工学デザイン研究所・理事長の竹林征三先生の『鬼かけっこ物語』のお話も興味深い。日本全国、地域に伝わる物語にはそれぞれ深い意味があるということだ。工学博士と物語というのがピンとこない方も多いだろうが、山、川、海、谷そして風・・・風土そのものが郷土のカルチャーを含有していものだと思う。

夕方から別の集まりの「新年会」会場のある丸の内へ向かう。要は新年会のハシゴである。今年も元気に過ごそう!佳き仲間たちに会える自分は幸せものである。

光になった友へ

2015 年 1 月 7 日 水曜日

朝から友人の告別式に参列。読経のなか、これまでのことをいろいろ思い出していた。まだ20代の自分が見えた。ただただがむしゃらな自分の姿が見える・・・。明るく挨拶を交わし、そしてお互いにそれぞれの仕事へまっしぐらな日々が見えた。

これまで、どんな人と出会い、どんな生き方をしてきたのか、それが葬儀ではみえてくるものなのだろうか?とふと思った。

棺の中の友人は、静かに目を瞑っている。唇に大好きだったビールを少しだけ湿らせる。「さようなら。光となった友よ。今までいろいろいろいろ有難うございます!」と私は話しかけた。

報せ

2015 年 1 月 3 日 土曜日

新年早々に悲しい報せが入った。1月1日に友人が亡くなった。電話の声が聞こえない。何なのか?一瞬信じられず、外出先で立ち止まったまま、茫然としていた。昨年、神楽坂女声合唱団のデイナーショーが終わった翌日に彼女は電話をしてくれた。「今年は行けなくて本当にごめんなさいねぇ。来年は必ず!」と。そして私は「来年、都合の良い時に美味しいお酒を飲みましょうね」と言った・・・。こんなことがあるのか?と。人生って?何?と思うほどに涙がとまらない。友の冥福を心から祈る・・・

冬景色の力強さ

2015 年 1 月 2 日 金曜日

車窓から見える冬景色・・・人は寂しいというが、私は嫌いではない。

列車に乗っている時間の何と幸福なことか・・・。

いつもは恥ずかしいほどのせっかちな自分が、そんな自分を見失ったが如くに寡黙になる。

車窓の風景のひとこまひとこまが一つのドラマになっていく、そんな勘違いをしていしまう。

嫋やかでそして華やかな春、眩しいほどの新緑の鮮やかさ、溢れるほどの色に彩られた秋の山々・・・これほどに静かな冬景色というものは他の季節にはない、そんな力を持っている。

日本に生まれ、日本人として育ったことに感謝!

 

最終の列車を見守る冬木立