いよいよいろいろな仕事が9月からを目途に動き出している。ぼんやり、そしてぼーっとしたアタマに少し緊張感が走り始めた。
お盆休みはどうするこうする?と感染者数が続々と増える東京人はとくに大変。
誰だっていろいろある。いろんな人が最後は「気持ち」でものを言ってしまうものだが、とにもかくにも冷静に判断しようではないか。
今は「我慢」でなく「辛抱」!
いよいよいろいろな仕事が9月からを目途に動き出している。ぼんやり、そしてぼーっとしたアタマに少し緊張感が走り始めた。
お盆休みはどうするこうする?と感染者数が続々と増える東京人はとくに大変。
誰だっていろいろある。いろんな人が最後は「気持ち」でものを言ってしまうものだが、とにもかくにも冷静に判断しようではないか。
今は「我慢」でなく「辛抱」!
久しぶりにJR「原宿駅」へ。
ややや・・・驚いた。ぼーっとして浦島花子状態(笑)
写真を一枚撮った。どっと人々、ほとんど若者たちが通過していく改札口。そして、券売機の前でスマホを見ている人々、人待ち姿の人々を思い出してみた。
ふっと・・・「恵比寿駅」が大変化した時のことを思い出した。昔々の恵比寿駅の改札口を。のんびりとした駅前だった。「三春駒」とかいう店があったか・・・。
街ってかわるもの。
表参道方面へ歩く。
「8月いっぱいでしめることにした」という友人の店へ。コロナウイルスはあらゆるところで影響を与えている。「気持ちを変えないとね」ともう一人の友人が泣きそうな顔でいうけれど・・・私もいろんなこと思えば泣きたい気持ちだよ。こんなに記憶力良かったか?と思うほど記憶が渦巻いているよ。
2020年8月2日は十三夜の月。
宵の明星も一緒。
そして「土用二の丑」の日。
現在のグレゴリオ暦では8月だが8月は7日から。
つまり・・・「立秋」。
そう、もう秋なんですね。
とにかく水災害から暑気災害へ・・・ですって。
台湾の民主化を進めた李登輝元総裁が7月30日に亡くなった。享年97。日本の植民地統治を経て、国民党による一党独裁から民主体制に移行した台湾現代史を体現。中国は今、独裁へと走り始めている。実に対照的に李登輝の意思は蔡英文総統へと引き継がれていく。
昨日、某記者会見からの帰り道で、友人から携帯に電話がかかる。
「今、大丈夫?」
「うん、外だけど・・・いいよ」と返す。
共通の友人が経営するBARが8月をもって閉めることにしたという。
「まだメール読んでないよね?」と彼女は不安そうに訊く。
言葉に詰まるということはこういうことかと思う。
こんな状況にあって自分にできる事は心配だけだ。
3月になって見えない敵がかなりの力を持っていることを察知した。
しかしそれからは流れるように心配の連鎖である。
一か月の一回。私たちは仕事の話は無しで集まっていた。いわば気の置けない仲間たちの「居場所」だ。仕事の話でなければ「無駄」と感じる人はだんだんと去るものだ。要は・・・話が面白くなければそれで終わり?そんなものだ。世の中での「肩書」とかプライドとか・・・そして美貌とか(笑)つまるところ、なーにも関係なくいられる場所。勿論、宗教問題や政治の話もOKの場。
パソコンを立ち上げ、メールを確認する。
残念な・・・
おいおい、そんな件名では書き表せないだろうに?
彼女なりのこの半年間での決断だったのだろう。
この場所に移ってから15年という。
15年か・・・
短いようで長いね、長いようで短いね。。
そうそう!オーブンの時、あの店の奥にあるジュークボックスと出会うまでの物語があった!
もう一度聞いておかないとならない。
人の立場にたってとかいろいろ何かあるたびに考えて行動してきたけれど、途轍もない化け物が突然現れて、その前にあって人はただただ保身しかない。
自分だってそうだ。
必死だ。
友人たちの悲鳴を聞きながらも何もできないでいるではないか!?
しかし、政府のなんというか場当たり行動というか、日々追うごとに強くなってい気がする。
検討していく・・・ 注視していく
国際的なファッションデザイナー・イベントプロデューサーとして活躍中だった山本寛斎さんが、今月の21日に急性の白血病のため亡くなったというニュースを見た。享年76。ちょっと信じられなかった。
私がまだ記者として超駆け出しの時だった。未だに不思議なのだが名指しで一回だけ取材の依頼を受けたことがあった。バタバタで結局はその話は流れてしまったのだが、なぜ?私?というのが当時の疑問だった。
享年を知り、ああ・・あの時、山本寛斎さんもまだ若かったのか・・・と改めて感じ入った。無茶苦茶に忙しかったのだろうと。
そして、私は、当時は編集という仕事も左右したのか?寛斎さんの衣装をなぜか着まくった。今ではとても無理・・・あの漲る若さで着まくったのだ。今になってみると懐かしいことが多すぎる。
どうぞ安らかに・・・