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8月, 2014 | ichikoTV - Part 3 ichikoTV

2014 年 8 月 のアーカイブ

この夏だからこそ 考えてみる

2014 年 8 月 13 日 水曜日

夏のイベント情報をご紹介。

しょうけい館 

      [夏の企画展] 義肢に血が通うまで -戦傷病者の社会復帰と労苦-

 

  恩賞制度の一環として戦傷病者に対して各種の人工補装具が支給されていました。  明治10(1877)年の西南戦争でオランダ製の義肢を支給したのが始まりです。  明治27~8(1894~95)年の日清戦争では、昭憲皇后の「敵味方の区別なく人工手  足を」との御沙汰があり、以来「御賜の義肢」として制度化されたのです。明治37  ~8(1904~05)年の日露戦争後、廃兵院や失明軍人のための盲学校などが設立さ れ、社会復帰の施策が拡充されます。  昭和期には、それまでの審美的な「装飾義肢」に加えて実用的な「作業用義肢」の  開発と職業訓練が本格化します。日常生活、各種の職業、用途別に作業用義肢が製  作され、各人の適正と、義肢の特性を踏まえて様々な職業が選択出来ました。  慣れない義肢による職業訓練と社会復帰後の毎日は、あたかも義肢に少しずつ血を 通わせて、体の一部にしていく日々だったのです。

  本企画展では、しょうけい館が所蔵する写真、史料、実物を交えて義肢の歴史をたどり、作業用義肢を装着して第二の人生を歩まれた戦傷病者の労苦を偲びます。

 【会期】9月15日(月)まで

【会場】しょうけい館1階

  休館日:毎週月曜日(祝日は開館)

  開館時間:10:00~17:30(入館は17:00まで)

  【入場料】無料

 

  【証言映像 (シアターにて上映)】

  「厳しい訓練も今となれば」  「小学校を出て先生に」

  「片手のハンデを乗り越えて」「働くために義手を」

  「片腕で取った自動車免許」  「人間の尊厳の回復に尽くした生涯」

 

  【関連イベント:学芸員による展示解説】毎回14:00より30分程度  申込不要

8月17日(日)、8月31日(日)、9月14日(日)

   詳細はこちら

 http://www.shokeikan.go.jp/kikaku/kikaku.html

 

 しょうけい館 ホームページ

 http://www.shokeikan.go.jp/

 

 

  昭和館

     [第51回資料公開コーナー] 焼けあとからたちあがる人びと

 

  昭和20年(1945)8月15日、約3年8ヵ月続いた太平洋戦争が終わりました。  終戦で人びとの毎日の空襲への不安はなくなりましたが、日本の都市の大部分は焼  け野原となり、多くの人が住むところや家族、財産をなくし、くらしも大変苦しく  なっていました。  しかし彼らはたくましくたちあがりました。焼けあとに集まり、生きていくために  ヤミ市がならび、少しずつではありますが、がれきを片付け、家を建て、新しい生 活をはじめました。今回は、焼けあとで人びとが新たに生活を始めた頃の光景を紹介します。9月7日(日)まで昭和館1階ロビー。

 詳細はこちら

 http://www.showakan.go.jp/floor/1f/shiryo/index.html

 昭和館 ホームページ

http://www.showakan.go.jp/

 

 

アトリエ村の俤を訪ねて

2014 年 8 月 12 日 火曜日

今では資料でしか見ることができない豊島区の「アトリエ村」。今もなお、その土地で暮らしている湯澤久子さんを訪ねる。

1930年代に豊島区の西部にあたる旧長崎町を中心、美術家向け借家群が出現しアトリエ村が形成され、やがて現在の有楽町駅・要町駅周辺に、さくらが丘、つつじヶ丘、すずめが丘、ひかりが丘、みどりが丘などの集落ができた。

湯澤久子さん(74)は、昭和20年の空襲で当時住んでいた巣鴨の家が焼かれ、一家はアトリエ村に移り住む。湯澤さんは5歳だった。周囲は緑の多い環境で、ヘビ道とよばれる細くまがりくねった道を通る時は、怖いくらいだったそうだ。竹やぶが多く、すずめがよく飛んでくるため、すずめが丘アトリエ村と呼ばれたそうだ。大きな窓と天窓が印象的な家だった。周囲には画家や小説家など芸術家が多く住んで交流もあったそうだ。

彫金師だった父親の自助さんは、普段は温厚で優しく、怒られた記憶はないが、いざ仕事となると集中し、決して邪魔をしてはならないと思うほど真剣な姿だった。「そんな父の背中が今でも思い出され、懐かしいですね」と。

昭和33年に土地が分譲され、それから家を建てなおしたが、井戸は当時のままで、植物の水やりなどに使っているという。「思い出がいっぱいつまった土地をずっと守って大切にしたいですね」と笑った。

 

体験を伝えていくという事

2014 年 8 月 11 日 月曜日

午後から区民ひろば千早で「はばたけ千早」のメンバーの新作紙芝居の上演を取材。紙芝居を通して、子どもたちに残したいものや伝えたい事を語っていく。新作の『今を生きる』は戦争体験を通して、現代を元気に生きているメンバーから「生きる」というメッセージが伝わってくる。会場内には夏休みということもあって小学生の姿も。また大学生たちもなかなか聞けない話に耳を傾けている。秋には淑徳大学サテライトキャンパスでも講座の企画をたてているのでおってPRします。

はばたけ千早の次回作は「トキワ荘」をテーマとしたものだという。豊島区のかっこたるカルチャーである。またまた楽しみが増えた!

エボラ出血熱

2014 年 8 月 10 日 日曜日

エボラ出血熱の感染が西アフリカで拡大している。致死率の高さに恐怖を感じる。国際協力機構でもギニア、リベリア、シエラレオネに派遣している日本人スタッフを近隣国に一時国外退避させるということだ。現地で保健医療や農業支援に携わっている専門家たちではあるが安全確保を最優先ということだ。

 

台風11号

2014 年 8 月 9 日 土曜日

台風11号の強さ。お盆休みを直撃である。出張予定の人々もキャンセル続き。イベントも中止できなければそのまま・・・花火大会も勿論中止。

自然の猛威の前では人間は非力である。

気づかぬ変化

2014 年 8 月 8 日 金曜日

子ども時代の夏休みを思い出してみる。林間学校での植物採集が楽しかった。山道で見知らぬ草花に出会い、植物博士に訊ねると、ぽんぽんとこたえがかえってくる。未だに忘れぬ夏の草花が多い。

さて、静岡県が、富士山に従来生息していなかった外来植物の本格的な調査を始めた。これまでは、駐車場周辺に外来種が集中していることが確認されたそうだが。こうした環境の少しずつの変化が気づかぬうちに進んでいる。

 

大切なのは免疫力!

2014 年 8 月 7 日 木曜日

    知人から本の紹介メールが届いた。生物を超えた”超生物”の人間。どうやって免疫力を高めて人生をまっとうすべきかを以前、免疫学   者の安部良先生にお話しを聞いた時の話。そしてこの度、その安部良先生のご本の話である。書名の前後に「年齢別の正しい対処で」「免疫力を上げる実践アドバイス」とあるそうで、年をとるということは虚弱体質になるらしい?ようだ。常に「風邪気味なのぉ~」「疲れがとれない」という人は読んで、免疫アップするのも良いだろうな。私も頑張ろう!

『病弱体質は変えられる』 

医学博士 安部良著  すばる舎 

 

街の変貌は刺激的

2014 年 8 月 6 日 水曜日

久しぶりにアキバこと秋葉原へ。やややっ、ずいぶんと街の様子が変貌している事に気づく。暑さでぼぅーっとしていると「萌えて♪話して♪癒されよう!」と書いてあるリフレクソロジー等マッサージのチラシを「宜しくお願いしま~す♪」と手渡される。「はいはい」と言いながら、そうか「萌えて♪か」と思い・・・。しかしマッサージの時間もなく・・・残念。

街と行きかう人々の様子とは、毎日、通っているところはその変化が徐々に受け止めていけるものだが、この久しぶりの街の変貌っていうのは刺激的である。用はなくても街歩きが出来る余裕を持ちたいものだ。健康第一でね!

ある研究者の死

2014 年 8 月 5 日 火曜日

人の人生など、思えばどんなに頑張っても100歳?それも身体も精神もバリバリ元気であればこそ。それは素晴らしいといえる。時々考える。自分の「最期」とはどんなものだろう?と。あれは嫌だ!これは嫌だ!と思っても、人には必ず「最期」が訪れるのだ。しかし・・・

理化学研究所の笹井芳樹副センター長が、8月5日自らの研究室のある先端医療センターで発見された。病院に搬送されたものの、死亡が確認され、死因は自殺とみられている。そばには遺書のようなものが3通あったという。

社会現象にまでなった「STAP問題」。7月に取り下げられたNature誌のSTAP論文共著者の一人でもあった笹井氏は、論文の主著者である小保方晴子氏を指導する立場だったわけだ。しかし・・・ES細胞、神経細胞研究で世界的に名声のある優秀な研究者が、52歳で自ら命を絶たれたとは・・・本当に無念である。自らの命を絶つということはあまりにも辛いことである。厳しい処分であっても他になかったのか?とも思う。

困ったものだ・・・

2014 年 8 月 4 日 月曜日

歌手の桂銀淑詐欺罪で在宅起訴というニュースを見て、また何故?と残念に思った。約2億ウォンの高級車・ポルシェ・パナメーラのリース契約を業者と結び、何と契約直後に車を担保に借金したらしい。再起を願って、新曲にも挑戦するところだったというのに、本当に人の人生とは分からない。歌に罪などないけれど、桂銀淑さんの歌は私のカラオケ十八番。だからこそ~あああ~なんです。