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2018年9月12日 | ichikoTV ichikoTV

2018 年 9 月 12 日 のアーカイブ

『方丈記』から考える 天災に備える気持ち

2018 年 9 月 12 日 水曜日

人間とは忘れる動物である・・・

だから生きて行けるのかも知れない。

何もかもを記憶していたら発狂してしまうかも知れない。

 

さて、鴨長明『方丈記』。青春時代はここに書かれている「無常観」というものに知りもしないというのに憧れていた。10代特有の感受性というか、厭世観とか無常観とか。何か儚いものに只管、憧れる気持ち。既に遠く・・・最近はガッツがッツと逞しくなってしまった!

 

さて、『方丈記』に戻るが、現代にも通じるものがある。

例えば元暦2年(1185年)7月に都を襲った大地震について書き記されている。

「塵灰たちのぼりて、盛りなる煙のごとし。地の動き、家の破るる音、雷に異ならず。家の内にをれば忽にひしげなんとす。走り出づれば、地割れ裂く。羽なければ、空をも飛ぶべからず。竜ならばや雲にも乗らむ」

 

つまり塵や灰が立ち上って、盛んなる煙のようである。地の動き、家の壊れる音はまるで雷の音と変わらない。家の中にいればすぐにつぶされそうになる。走り出れば、地面が割れ裂ける。羽が無いので空を飛ぶこともできない。竜であれば雲にも乗れよう。しかし人間はどうにもならない・・・である。

しかし!

「すなはちは人みなあぢきなき事を述べて、いささか心の濁りもうすらぐと見えしかど、月日かさなり、年経にし後は、ことばにかけて言ひ出づる人だになし」

地震があった直後は「ああ人の世ははかないもの」などと、神妙なことを言っていたのに、少し月日が重なり時間がたつと地震のことなどけろっと忘れてしまい、言葉に出す者もいなくなるのだ。記憶も風化していくのだろう。つまり、今も昔も人間はそう変わらない。デジタルが浸透していてもエネルギーが供給されなければ、それは「過去」の人々と同じ環境に近づく。しかし、忘れてはいけないのだ、天災はいつでも起こるという事を。あふまの片隅にでいい。そして、災害に遭った地域、そして人々のことを忘れてはならない。特に政府は肝に銘じてほしいと思っている。

いつも「防災グッズ背負っています」と若い女性がテレビに出でいた。水を2リットルプラスα。重いだろうに。だからか?「でも一週間が限度!」と明るく笑った。

そう!一番大切なものは「命」である。健康な肉体とへこたれない精神力。これを持ちたい。

 

 

時代?

2018 年 9 月 12 日 水曜日

FBつまりフェイスブックがこれほどまでに浸透する前のこと。「絶対に吉田さんに向いていますよ」と言われ、一旦始めたことがあった。それが原因とは分からないが・・・あるお誘いのイベントのURLから、どうもウイルス感染した。それも他愛もないウイルスだった。その為にPC修理をして、費用と時間も無駄にしたことがあった。

その後、やはり進取の気性の人というか・・・いろいろ教えてくれた人がいた。「なんでその人の行動をいちいち知りたいのか?」と実に不思議な気分になったことがある。彼にとっては何でもかんでもある女性の行動を知っていることが誇りだったのかも知れない。しかし一種、ストーカーのにおいさえしてしまった。

どうもというか、全く合わないことが分かった。「向いていますよ」と言った人を疑いたくもなる(笑)

また、インスタ映えとか言っている人々の行動も全く分からないし、<私にとっては>なんでいちいち報告してるの? はたまた、バッカじゃないか?という日常の瑣末的なことまで、いちいち書き込んでいる人の神経が全く分からない。

そして、最近、何よりも分からないのがメールに「返信」しない人々の心理である。機会があったら一度心理学の専門家に聞いてみたい。スルーしてしまう人の心理が全く分からない。内容としてはどーでもよくなく、「業務」の一端である。あらましが分かったらせめて「了解しました」または「検討します」。そして「いついつまでに~」と言った期間限定の要素たっぷりの案件である。それをいつまでもスルーしていることが分からない。何故か?最近、実にこういう類が多い。何なのだろうか?と思う。

時代が何か変化してしまったのだろうか・・・浦島太郎状態!(笑)