4月というのに寒い日が続いている。確かに今年は桜も咲いている時が長く、かなりお花見も楽しめたのだが・・・
サクランボの実の様子を見ているとやはり寒すぎているんだなあと感じる。少しは赤みは帯びているがまだあおい。
そんな時でもめざといのがオナガ。春にはキュリリリ~と甘い声もだすと言うが、いやいや、朝から「ゲーッゲーッ」「キッキッキッゲーッ」と決して美しいなきごえではなく、ただただ騒がしい。「まだ食べごろじゃないぜーっ!」と文句でもいっているような声で啼いている。
あらら~どうもお気の毒様でした!
4月というのに寒い日が続いている。確かに今年は桜も咲いている時が長く、かなりお花見も楽しめたのだが・・・
サクランボの実の様子を見ているとやはり寒すぎているんだなあと感じる。少しは赤みは帯びているがまだあおい。
そんな時でもめざといのがオナガ。春にはキュリリリ~と甘い声もだすと言うが、いやいや、朝から「ゲーッゲーッ」「キッキッキッゲーッ」と決して美しいなきごえではなく、ただただ騒がしい。「まだ食べごろじゃないぜーっ!」と文句でもいっているような声で啼いている。
あらら~どうもお気の毒様でした!
先般、歌会の審査員をされている三枝昴之さんの「歌と両陛下」のお話しを聞いた。
贈られしひまわりの種は生え揃ひ葉を広げゆく初夏の光に 御製
これは、阪神大震災の時、被災地に咲いたという奇跡ともいうべきひまわりの種が育ち、そして大きく葉が開いているというお歌である。
そして
今しぱし生きなむと思ふ寂光に園の薔薇のみな美しく 御歌
美智子さまのお歌である。これを聞いた時に、私は涙がとまらなくなった・・・
エピソードが一つ。
「駅」をお題にと三枝さんが何度となく伝えた時、天皇陛下が首をたてに振られなかったと。何度も・・・そして「沖縄に駅はありません」と一言仰ったという。三枝さんは「あっ・・・」と思ったそうだ。日本国のことを本当に心の底から考えられている天皇陛下だ・・・そう感じたという。
もうすぐ「平成」が幕を閉じる。「昭和」から「平成」になる時のことを思い出す。日々何かに追われ、ただただ慌ただしい空気感があった時代であった。
今、「令和」へと!
語るなく重きを負ひし君が肩に早春の日差し静かにそそぐ 御歌
美智子さまが天皇陛下の傍らで見守る優しい眼差しがうかぶ。
数多くの天災に遭った平成ではあった。しかし、常に平和のための眼差しで日本を見つめられた天皇陛下と美智子さまに感謝である。
豊島区ではトキワ荘のあった南長崎地域のマンガによる街づくりを始めている。なんとトキワ荘の復元をする!のだ。
まさに「マンガの聖地としま」の発信拠点となるマンガ・アニメミュージアムが2020年3月にオープンする。
としまスクエアで講演と感謝状授与と説明会。大型バスもとめられる駐車場も完備される。館内は勿論エレベータも。あののどかな地域が活気づいてくるのだろう。
マンガ好きの私は早速寄付したが、そんな思いから、そんなこんなで多くの企業は多くの人々の寄付が集まったという。
詳しくは下記
https://www.city.toshima.lg.jp/424/1608050916.html
土井善晴と日本文化を感じる講演会ということで対談『斉須政雄✕土井善晴』を取材する。会場は満席で熱気に溢れていた。老若男女に大人気のフレンチレストラン「コート・ドール」のファンも多い。食についてもう一度いろいろ考えてみるのもいいなと思った。素朴で朴訥とした斉須シェフのはにかむような笑みが素敵だ。
息がつまるほどと表現すればよいのだろうか?同じ地球で生まれ育ったとしても何が違うかって・・・価値観といいわれるものなのかしらん?ちょっとやそっとじゃかえられるものではない。
ほーっと溜息ついて・・・窓の向こうに何と!ハナミズキ。美しい!
政治の話から始まって、生活の諸々のことに関してまあ人間とは実に勝手きままなことを言う、いや言い続ける、挙句のはいには「嫌だ」という一言で済ませる。政治家にしても「私は嫌いだ」というなら次の候補者を想定もしないよく言えたものだと思う。
現時点の政治家たちの時々起こる信じられないような「発言」と「行動」。ずっとどういう環境にいたら、あのような発言が出来るのか?と考え続けていた。やはり人間は脆いもので勝手に「自分」の位置情報を決めがちなのだ。客観的に自分を見られなくなってきてしまう生き物なのである。
マスコミの追いかけについてだって、もっと自分の得意なテーマで追いかけてほしいとただただ願う。最近、ホントに、みんなが「勝手すぎる」。
あたふたとしているうちに、ゴールデンウイーク前か?
日々のmailの数はすごいものである。最低100か?パソコンがあるから何とか乗り切っているが。
気が付くとなんと絵葉書のあることか!要は、筆まめな自分も殆ど、葉書を出さないようだ。しかし、何とかしなくてはとファイルなどされているものを見ると強く思う。
「どーするの?」と厖大な絵葉書を見て思う。それぞれの四季別に分けられているもの、それ以外のものとよくぞ分類されているが、今後、「どーするの?」とまたまた言葉が出てしまう。
それほど書かなくなったのかと。
夜は料理研究家・土井善晴さんの講演の取材。会場内は満席。ほぼ女性が多い。
土井さんの「一汁一菜」の話は何故か、小さい頃の思い出に即効、繋がった。誰であったか?明治生まれの祖父か?祖母か?最初にこの言葉を聞いた時に感じたこと、それは小さいながらの衝撃だったことを思い出す。
考えてみれば、現代の生活では「ハレ」と「ケ」の区別がない。いや、殆どが「ハレ」であろう。多分「ケ」というものが分からない人々が多いことだろうと思えた。これは、良いか悪いかではなく、時代がそうなのだ。
人はたいがいが「食べる」事で始まる。食べることが全てである動物たちとは違うが。人は「料理」をして、そして「食べる」。その行為が人たる所以である。
当たり前かも知れないが、その深い深いところをそっと見てみよう。のぞく、そんな感覚で良い。さてさて、私にとっては「一汁一菜」というのは何だろう?
・・・哲学だと思えた。
火は何もかも飲み込む。
パリのノートルダム寺院が大規模な火災が発生したという二ユースが流れ、唖然とした。
1163年に建設が始まったこの寺院。ゴシック建築の最高傑作とされる。
国連教育科学文化機関の世界文化遺産にも指定されている。
建物の骨組みと2つの主要な鐘楼の倒壊は免れたとはいうものの一体、出火原因は何なのか?なんでも大聖堂では現在改修作業が行われ、足場は組まれていたというが・・・言葉もないほどショックである。