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食べるということ

「正しい食事」という本のタイトルから食生活の事を改めて考えてみた。「食」といえば、これまでにもいろいろなブームのようなものがあった。とくに・・・と言えば、たいがいのテーマがダイエットに繋がっているものなのだが、コンニャク、バナナ、ゆでたまご、リンゴと、もういろいろありすぎて混乱してくる。しかしよくよく考えてみると何とも偏っているなと。

偏っているといえば、本当にご本人の前では、口には出せぬが猛烈な偏食の方を知っている。「えーっ!」というほどの偏食の上、ほぼ毎日、酒を飲み、かなりのヘビースモーカーである・・・にも拘わらず。至って元気である。しかし、一報で、一生懸命に野菜を多くとり、また薬膳料理など丁寧な食事を続けられたが、割と若くして亡くなった方も2人ほど、また「オリーブオイルしかない!」となんでもかんでもオリーブオイルといって亡くなった方を知っている。人は必ず死んでしまうものなのだが・・・少しでも美味しく食べて長生きはしなくては!と最近は特に思えるのだ。

さて、動画編集をしている中で「二度と芋は食わぬ!!」と戦争体験をされた、特に男性の方々の口からは出る。彼らのいう「芋」はサツマイモではあるが、〝おいも〟スイーツなど様々な商品に囲まれている私たちには全く想像も出来ない「芋」であることが、いろいろ調べると分かる。「色は紫と灰色を混ぜたような色だった」「筋ばかりしかなかった」など、?マークがアタマを占める。「食わぬ」と言うほど、超まずい。それでも戦争中は食わねばならない。本当に当時の食の貧しさと辛さを仰る。。灰色で筋ばかりの芋は決して美味しくはなかろうと思う。そのようなものでも必死に必死に食べて、生きてこられた。そんな時代があったのだ。だから「今は天国ですよ」と皆さんは言うのだ。「今はね、このお腹に」と言ってポンとたたいて笑う。しかし、現代はなんだかんだいっても飽食の時代である。

健康番組の氾濫。あれは駄目これも駄目・・・駄目づくし。情報の氾濫の中で、どんな情報を得たら良いのか?さえ混乱する時がある。そんな時は耳をすましてみるのだ。ダメダメばかりでは話もつまる。これがいい!と言えば、翌日のスーパーからその野菜だなんだかんだがあっという間に売り切れる。じゃあ!どうしたらいいの?とまでいいたい時がある。よく考えれば分かることなのかもしれないけれど・・・

小学生の時の担任の先生が戦争体験を話してくれたことがあった。もう何も食べるものがなく、配給制度の中では、いつもいつもお腹が空いていた。古い古い記憶の中を辿っているので曖昧な点も多々あるのだが、その先生が確か、妹さんとふたりに、あるご婦人が真っ白な握り飯をくださった。手のひらにのせられた真っ白な握り飯。そしてそれをほおばった時の〝美味しさ〟の話だったと思う。勿論、小学生の時、実はあまり食に興味もなかった当時の私にとっては「ふ~ん」くらいの事だったが、今、戦前戦中戦後、復興期等の人々の「記憶の遺産」として、動画を撮り続けていると、その時の担任の先生の様子、そして真っ白な握り飯の味やにおいなど優しい温もりと感覚が伝わってくる。

やはり、現代の日常は「食」が氾濫しているのだ。「超デカ盛りランチ」とか、今はあまり人気がないのかも?「大食い競争」などは好きではない。寧ろ、最近は所謂「健康番組」の内容にも確実に興味が薄れてきた。でも、ふっと「毎日、私、ハンバーガーとポテトでもいい」「気が付けばカップラーメン」などと言っていた昔の勤務先の後輩の顔も浮かぶ。少しばかりの心配がそんな思いにさせる。彼女や彼らは元気にしているのだろうか?

真っ白な握り飯は糖質も多かろう。塩分は控えめにと言われれば味噌汁も厳しい。漬物もこれも塩分過多だろう。甘く煮た豆も。しかし、日本人の味覚にあった、昔ながらの食事について考えて見れば、これってかなりいいと思えるのだ。お浸し、糠漬け、汁物も具沢山にして、豆腐や湯葉、新鮮な刺身、魚の粕漬もろもろ。仕事で汗をかくこともあるだろう。そうすれば十分な塩分だって必要。歩き回って歩き回って「腹減った!」時には真っ白な糖質たっぷりの握り飯もよかろう?と思ってしまう。

健康で「味」が分かって「におい」も感じて、ああ!美味しい!と思える事が一番かなって。適切、適度・・そして適当!

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