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9月, 2018 | ichikoTV - Part 2 ichikoTV

2018 年 9 月 のアーカイブ

食品サンプル

2018 年 9 月 15 日 土曜日

親しくしているアクセサリーショップの店主がディスプレイで使っていたという食品サンプルを「いるぅ?」というので「ハイ」と何とも無邪気に受け取った。ケーキ各種。しかし日本人のワザってスゴイなぁ~とつくづく思う。勿論、食べられないのだが(笑)見ているだけで楽しくなる。

昔々、新宿で取材先に手土産!と慌てていた日があった。「ここにあるじゃないですか!」と店の人に何度か言ったことがある。実は本物と見間違えるほどの団子がずらりと並んでいた。「申し訳ありません。売り切れです」と言われても「ここに・・・」と言い、ふと気づいた。ああ、今思い出しても恥ずかしい一瞬だったなぁ~。

 

『方丈記』から考える 天災に備える気持ち

2018 年 9 月 12 日 水曜日

人間とは忘れる動物である・・・

だから生きて行けるのかも知れない。

何もかもを記憶していたら発狂してしまうかも知れない。

 

さて、鴨長明『方丈記』。青春時代はここに書かれている「無常観」というものに知りもしないというのに憧れていた。10代特有の感受性というか、厭世観とか無常観とか。何か儚いものに只管、憧れる気持ち。既に遠く・・・最近はガッツがッツと逞しくなってしまった!

 

さて、『方丈記』に戻るが、現代にも通じるものがある。

例えば元暦2年(1185年)7月に都を襲った大地震について書き記されている。

「塵灰たちのぼりて、盛りなる煙のごとし。地の動き、家の破るる音、雷に異ならず。家の内にをれば忽にひしげなんとす。走り出づれば、地割れ裂く。羽なければ、空をも飛ぶべからず。竜ならばや雲にも乗らむ」

 

つまり塵や灰が立ち上って、盛んなる煙のようである。地の動き、家の壊れる音はまるで雷の音と変わらない。家の中にいればすぐにつぶされそうになる。走り出れば、地面が割れ裂ける。羽が無いので空を飛ぶこともできない。竜であれば雲にも乗れよう。しかし人間はどうにもならない・・・である。

しかし!

「すなはちは人みなあぢきなき事を述べて、いささか心の濁りもうすらぐと見えしかど、月日かさなり、年経にし後は、ことばにかけて言ひ出づる人だになし」

地震があった直後は「ああ人の世ははかないもの」などと、神妙なことを言っていたのに、少し月日が重なり時間がたつと地震のことなどけろっと忘れてしまい、言葉に出す者もいなくなるのだ。記憶も風化していくのだろう。つまり、今も昔も人間はそう変わらない。デジタルが浸透していてもエネルギーが供給されなければ、それは「過去」の人々と同じ環境に近づく。しかし、忘れてはいけないのだ、天災はいつでも起こるという事を。あふまの片隅にでいい。そして、災害に遭った地域、そして人々のことを忘れてはならない。特に政府は肝に銘じてほしいと思っている。

いつも「防災グッズ背負っています」と若い女性がテレビに出でいた。水を2リットルプラスα。重いだろうに。だからか?「でも一週間が限度!」と明るく笑った。

そう!一番大切なものは「命」である。健康な肉体とへこたれない精神力。これを持ちたい。

 

 

時代?

2018 年 9 月 12 日 水曜日

FBつまりフェイスブックがこれほどまでに浸透する前のこと。「絶対に吉田さんに向いていますよ」と言われ、一旦始めたことがあった。それが原因とは分からないが・・・あるお誘いのイベントのURLから、どうもウイルス感染した。それも他愛もないウイルスだった。その為にPC修理をして、費用と時間も無駄にしたことがあった。

その後、やはり進取の気性の人というか・・・いろいろ教えてくれた人がいた。「なんでその人の行動をいちいち知りたいのか?」と実に不思議な気分になったことがある。彼にとっては何でもかんでもある女性の行動を知っていることが誇りだったのかも知れない。しかし一種、ストーカーのにおいさえしてしまった。

どうもというか、全く合わないことが分かった。「向いていますよ」と言った人を疑いたくもなる(笑)

また、インスタ映えとか言っている人々の行動も全く分からないし、<私にとっては>なんでいちいち報告してるの? はたまた、バッカじゃないか?という日常の瑣末的なことまで、いちいち書き込んでいる人の神経が全く分からない。

そして、最近、何よりも分からないのがメールに「返信」しない人々の心理である。機会があったら一度心理学の専門家に聞いてみたい。スルーしてしまう人の心理が全く分からない。内容としてはどーでもよくなく、「業務」の一端である。あらましが分かったらせめて「了解しました」または「検討します」。そして「いついつまでに~」と言った期間限定の要素たっぷりの案件である。それをいつまでもスルーしていることが分からない。何故か?最近、実にこういう類が多い。何なのだろうか?と思う。

時代が何か変化してしまったのだろうか・・・浦島太郎状態!(笑)

 

先輩に感謝! 昭和のひとこま

2018 年 9 月 11 日 火曜日

先輩のジャーナリストKさんから封筒が届いた。開けてみると何か雑誌のコビーのようだ。

なんでも「今、終活をしていて、いろいろ整理していた中からでできた」と言う。

・・・といってもなんともインタビュー記事が1ベージで切れているではないか?「アシスタントに任せていた媒体なので・・・」と一言コメントがあるが、全く記憶にない。しかし写真の風景を見ると新聞社の社内である。編集長時代のものだ。こうして社内で雑誌社のインタビューを受けたのか?しかし、記憶とは実に不思議でなくなると「全くない」のだ。

1989年と書いてある。なるほどね!バブルが終わることも想像もできずにがむしゃらに仕事というか、動いていた時代だね。ただただ若い時代の自分がいる。何か説明しているのだろう。両手でカタチを作っている。よく見ると雑然としたデスクの上は散らかり放題である。片づける間もなく・・・なんだろう。

デジタル化ではない昭和ってこうだったんだよね~とつくづく昔のことを思い出してみる。はて?後方にいるのは?そうか!そうか!とまたまた感動してしまう。

良かった悪かったとかえりみて、いろいろ人は言うけれど、猛烈に仕事をしてきた時代の片鱗を送ってきてくれた先輩に感謝!感謝!である。

土地の歴史を知ろう

2018 年 9 月 8 日 土曜日

台風、自信・・・災害というものは予期できない。

「先祖代々この土地に住んでいたから大丈夫」

「こんなことは今までなかった」などと言っていられないのだ。

こんなことがこれからにはますます起こってくると思われる。地史を読んでみると分かる。嘘のようだが「過去」にあったことは今後決しておこらないとは言えないのだ。今回の北海道の地震のも内陸部でのもの。数年後に海溝型の地震に繋がったケースも多い。

よく、「活断層の無いところに・・・」と言う人がいる。日本国土で生活するのはとても無理な話である。まず、興味なければしようもないが、出来れば地史を調べ、そしてせめてハザードマップは調べておきたい。山は崩れ、川は氾濫。それは起こりうることなのだ。

うまく纏まらないが、今後は、地盤の悪いところを開発して売らないでほしい。素人は何にもしらずそこで日々生活を営むのだから。液状化現象などは予測できる場所ではないか!怒りを覚えるほどだ。

 

北海道を地震が襲う

2018 年 9 月 6 日 木曜日

2018年9月6日午前3時08分。北海道を過去最大の地震が襲った。北海道胆振地方を震源とするマグニチュード6.7の地震で、厚真町では最大震度7を観測した。真夜中の地震はどうにもならない・・・。

山肌が抉られてしまっている。もともとここには道路が・・・と言ってもそれは見えない。

最も影響を受けたのは電力である。道内の火力発電所すべてが緊急停止している。「何もできない」とバッテリー切れのスマホをもって駅前で困り果てている人々の姿が映し出される。電気はあって当たり前のものが無いという状態。商品の不足。ガソリンを求めてクルマの長い列。

 

 

フライング! いいではないか~(笑)

2018 年 9 月 6 日 木曜日

秋のゼミナール「池袋のヤミ市 マーケットから駅ビルへ」が始まるのだが、申し込み受け付けは9月25日(火)午前10時からとなっている。担当者から昨日「フライング申し込みがありお断りしました」と連絡あり。多分「おーっ」と申し込まれたのだと思って、何か「よく読んでね~」という気持ちと「有難うございます!」の気持ちが入り混じった!今年もバタバタとワサワサ過ごしているうちら過ぎていくのだろうか?(笑)どうも、サービス精神がますます擡げてきた!

歴史が燃えた日!

2018 年 9 月 2 日 日曜日

9月2日、ブラジル・リオデジャネイロにある同国最古の科学機関ブラジル国立博物館で大規模な火災が発生した。火が建物全体に広がった様子が映し出される二ユースを見た時、本当に唖然!呆然としてしまった。

1818年に設立された博物館は、ミイラや隕石、昆虫や化石を含む2000万点以上の品々を所蔵している。まさに歴史が燃えてしまったということだ。あっけなく・・・。かつてポルトガル王室の住居として使用され、今年6月に200周年を祝ったばかりだったとか。怪我人がでなくてよかったが・・・、出火の原因が不明とはいうが何とも!何とも!残念でならない。

 

戦後のヤミ市 マーケットから駅ビルへ

2018 年 9 月 2 日 日曜日

今年の4月から豊島区で図書館専門研究員ということで委嘱状をいただいたのたが、時間は待ってくれず、刻刻と・・・。いよいよ企画した平成30 年度 豊島区立中央図書館 地域研究ゼミナールが秋から始まる。

タイトルは「池袋の~マーケットから駅ビルへ~」である。池袋だけではないが、戦後のヤミ市というものの力がなんであったのかということを学ぶ。池袋も副都心へと成長したわげである。
第1回では、戦前の池袋、戦災を受けた池袋を地図や写真から確認したうえで、戦後の池袋の復興過程を見つめる。ヤミ市の誕生、そして発展。資料や証言から迫る。
第2回では、ヤミ市によって仮設的な建物で復興を遂げた池袋が、戦災復興都市計画によってどのように変化し、現在につながる巨大な商業都市となっていったのか、特に駅ビルに注目して明らかにする。
池袋のヤミ市の発生と変化、その中で生まれた池袋の都市としてのエネルギーに迫っていく。今回は東京理科大学工学部建築学科助教の石榑督和さんとともに進めて行く。
第1回 「ヤミ市の発生」
10月20日(土) 午後2時~4時

第2回 「ヤミ市から駅ビルへ」
11月3日(祝日・土) 午後2時~4時

【会場】 豊島区立中央図書館5階会議室
【定員】 申込先着40名
【受講料】 500円 ※初回にいただきます。
【申し込み】 9月25日(火)午前10時より
氏名・住所・連絡先(電話番号とメールアド レス)を明記の上、電話、FAX、メール、直接来館のいずれかの方法で下記担当までお申し込みください。
【担当】 豊島区立中央図書館企画調整グループ
電話:03-3983-7861
F A X:03-3983-9904
メール:A0027900@city.toshima.lg.jp

災いというもの

2018 年 9 月 2 日 日曜日

この世の中は自分の頑張りだけではどうしようもないものが存在している。そして、人間の頑張りでは太刀打ちできないものもある。天災である。

この夏の酷暑。今まで経験したことのない気温だった。小学校時代の夏休み、確か、毎日の絵日記とともに気温も記したし思う、35度とか36度、まして40度なんて気温は体験したことがない。当時、親は「涼しい朝のうちに勉強しなさい」と言っていた気がする。エアコンがそれほど一般家庭に設置されていない時代、子どもたちは皆、朝のうちに勉強した・・・のだろう。そして夕立というものが来ると、その気温の変化に驚いたものだ。

最近の夏の酷暑、豪雨、竜巻、そんな気象を見ているとやはり何か変化している気がしてならない。

 

さて、歴史学者の磯田道史さん著『天災から日本史を読みなおす – 先人に学ぶ防災』。分かりやすく書かれている。 東日本大震災後に津波常襲地に移住した著者が伝える、災害から命を守る先人の知恵とあり、あとがきで古人の経験・叡智を生かそうと。つまり、所謂、相当な技術革新とともに「古人の知恵」というものが共存している。すべてではなくともつぶさにひとつひとつに気付いていこう。

 

ネット上で記されている内容紹介は

●豊臣政権を揺るがした二度の大地震、一七〇七年の宝永地震が招いた富士山噴火、佐賀藩を「軍事大国」に変えた台風、森繁久彌が遭遇した大津波。史料に残された「災い」の記録をひもとくと、「もう一つの日本史」が見えてくる。富士山の火山灰はどれほど降るのか、土砂崩れを知らせる「臭い」、そして津波から助かるための鉄則とは。

 

【目次】

まえがき――イタリアの歴史哲学者を襲った大地震

第1章 秀吉と二つの地震

1 天正地震と戦国武将

2 伏見地震が終わらせた秀吉の天下

第2章 宝永地震が招いた津波と富士山噴火

1 一七〇七年の富士山噴火に学ぶ

2 「岡本元朝日記」が伝える実態

3 高知種崎で被災した武士の証言

4 全国を襲った宝永津波

5 南海トラフはいつ動くのか

第3章 土砂崩れ・高潮と日本人

1 土砂崩れから逃れるために

2 高潮から逃れる江戸の知恵

第4章 災害が変えた幕末史

1 「軍事大国」佐賀藩を生んだシーボルト台風

2 文政京都地震の教訓

3 忍者で防災

第5章 津波から生きのびる知恵

1 母が生きのびた徳島の津波

2 地震の前兆をとらえよ

第6章 東日本大震災の教訓

1 南三陸町を歩いてわかったこと

2 大船渡小に学ぶ

3 村を救った、ある村長の記