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久しぶりに「コヘルトの言葉」に触れて

今年の2月後半からの手帳を見る。イベント関連の予定がほぼ消されている。酷く雑にササーッと斜めの線で消されている。

数々の中止と前が見えない「延期に」という言葉が舞う。

全く個人的には、毎年恒例の3月3日の会食。心おけない友人たちとの愉しみもあったが、2月末には「中止にしよう」と私から言い出し、まだその時は友人たちは驚いていたのだ。今考えれば正しかったのか?そうではなかったのか?なんとも言えない。今・・・あの日から友人との会食など設定も出来ない状態ではないか!

分刻みとは言わないが時間刻みほど詰まった予定表は今はない。その「空欄」を見て考える。これまでとは違う世界に入っていくんだよって。

ふと・・・「コヘルトの言葉」を思い出す。あの身震いするほどのバブル時期に人々は一瞬でも狂ったようにその「泡」を味わいそして初めての世界の味を食荒らし、愉悦を貪った。味わっている時、その後の崩壊も知らずに。

今、見えないウイルスという強敵の前で、何も出来ない。ただ罹患しないように行動を著しく止めて、じっとしている。本当に人々は押し黙ってしまっている。

 

こんなに青い空。そして眩しい新緑。それを感じながらも、それがいつもの「空」ではなく、「新緑」ではないことに気づくのだ。2020年の心の鏡に映るのは。

そう・・・久しぶりに「コヘルトの言葉」に触れる。あの狂ったバブルの日々に、そわそわした怖れを感じた時、私は確か、この言葉に触れた。一方で助けを求めてしまった。あの時、どんなに気負っても、どれだけコトバにより救われたか・・・

 

エルサレムの王、ダビデの子、コヘレトの言葉。

コヘレトは言う。なんという空しさ

なんという空しさ、すべては空しい。

太陽の下、人は労苦するが

すべての労苦も何になろう。

一代過ぎればまた一代が起こり

永遠に耐えるのは大地。

日は昇り、日は沈み

あえぎ戻り、また昇る。

風は南に向かい北へ巡り、めぐり巡って吹き

風はただ巡りつつ、吹き続ける。

川はみな海に注ぐが海は満ちることなく

どの川も、繰り返しその道程を流れる。

何もかも、もの憂い。語り尽くすこともできず

目は見飽きることなく

耳は聞いても満たされない。

かつてあったことは、これからもあり

かつて起こったことは、これからも起こる。太陽の下、新しいものは何ひとつない。

見よ、これこそ新しい、と言ってみても

それもまた、永遠の昔からあり

この時代の前にもあった。

昔のことに心を留めるものはない。これから先にあることもその後の世にはだれも心に留めはしまい。

 

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