サイトトップ

失われた密度について | ichikoTV ichikoTV

失われた密度について

先般もご紹介したが、カツ代さんの携帯サイトの「キッチンスタジオたより」のコーナーに定期的にコラムを書いている。昨日、あっこさんが「お風呂の面白い話がきているので、お風呂にまつわるものってある?」てな感じでメールがきまして・・・。「風呂?」と思いながらふーっと頭をゆっくり回転していると、出るわ~出るわ~。まさに昭和時代の話です。明治生まれの祖父母と生活をしていた経験があるとそれはそれは今の時代じゃ分からない話がたーくさんなのです。

たまたま、NPOの活動で10代の大学生とお付き合い等あるが、彼らに対して、昭和時代の話は囲炉裏端できく昔話のにおいさえするのではないか?と思った。へたなこと言ったら「なんですか?吉田さん、それって?」ときかれる筈である。

自分もあと何年生きることが出来るのか全く不明であるが、ダイヤル式の電話がブッシュホンになり、ステータスであった携帯電話が老若男女のモノとなり、一家に一台パソコンが普及するか?と議論しているうちに、ひとり1台の時代が来て、そして過ぎた。今や、ファックスが絶必という家庭もいるがファックスが導入された時はいちいち先方に「ついてますか?」と確認の電話を入れていた時代もある・・・当時は笑えない話である。

しかし、携帯がない時代の待ち合わせ・・・会える?会えない?・・・なんて今考えればあの不便さ、理不尽さがなかなか密度の濃い時間を作ってくれた、そんな気がする。

失われた密度。どうしたら取り戻せるのか?私はつとめて手紙を書くようにしている。よく「書かないとさぁ~漢字を忘れるよねぇ~あははは」と笑い飛ばす人がいるが、そういう事を思う前にどんどん手紙を書くことをすすめたい。葉書にしても便箋にしても独特な空間認識の力がないとなかなかカッコイイ手紙は書けないものなのである。文章も文字も下手でもいい。特に最近の年賀状の宛名の美文字。美文字だらけである。あああ~個性豊かで温かみのある「あっ!あのひとだ!」と思う、あの時代に戻れたらとつくづく思う。

コメントをどうぞ

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)