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安全であっても安心できない?それって何?

随分前の話だが、「告発の時代だ!」と声高に騒がれた時代があった。一時、社内には怪文書がでまわり。またマスコミが嗅ぎまわる。「知っていることならなんでも話してください」と。、そんな不気味な時代があった。人の命には限界がある。為政者も忘れ去られる。一旦、過ぎてしまえば、それは何事もなかったようになるものだ。

しかし、油圧機器メーカーKYBと子会社による免震・制振装置の検査データ改ざん問題は実に根深い。検査にかかわった人間が話していたことをたまたま、ある社員が聞いて、それを上司に相談したところから始まった。偶然が必然化、ということではなく、ここで黙ってしまう、隠してしまう事が多い昨今、本当に苦しんだ人々がいたと思う。

免震装置の性能を偽っていた東洋ゴム工業に続き、国内の免震装置への信頼を大きく損なった。KYBは「建物の安全に大きな支障はない」という。しかし、「安全ですが安心はできない」といわれていることと同じである。それに全く信じられないが、検査データが残っていない製品もあるという。人は忘れる動物とはいうが、天災は忘れた頃にやってくる。払拭しなければ・・・と思っている間に人とはとにかく何もかも忘れていく動物なのだ。今がよければそれでいいじゃあないかと考えてしまう。

腐敗したものが露呈する時代に入った、悪事はばれる時代に入ったのだとおもう。今までの価値観や生き方、生き残り方では人生100年はきついだけであう。

 

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