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夏と言えば?花火ですが・・・

新型コロナウイルス感染拡大の終息を願い、全国一斉に「悪疫退散祈願」の花火が打ち上がる!これは全国の花火業者が立ち上げた「全国一斉悪疫退散祈願 Cheer up!花火プロジェクト」の企画である。それにかかわる花火業者は全国で163を数えるという。とくに「三密」防止のため、打ち上げ場所、打ち上げる花火の種類は発表されていない・・・というところがなかなか良い。

やはり日本の夏の風物詩といえば花火。

これも今までの生活の中では「当たり前」だったが、今年の隅田川花火大会も中止となると・・・辛い。本当に人込みでぐちゃぐちゃにもまれて花火を見た夜は人生の中でも、かなり貴重な思い出だということが分かる。

花火のルーツは古い。紀元前3世紀の古代中国、火薬の基本となる硝石が発見されてからと言われているが、日本で記録に残る花火の第1号は、それから約2000年後の天正17年(1589年)7月に伊達正宗が観賞したのが最初であると言われている。

慶長18年(1613年)の8月に駿府で、徳川家康に英国人のジョン・セリーヌが、同行の中国人の手で花火を見せたという記録もある。現代むのように、ビルが林立しているわけでもない時代の花火はどんな風景だったのかと想像するだけで楽しい。

そして、花火大会の始まりは「両国の川開き」。川開きとは納涼祭つまり、大飢饉、疫病の流行をきっかけに行われた水神祭が起源となっている。江戸時代初期までは渡し船がメーンである。防衛のために幕府により橋をかけることが禁止されていたからである。

そんな中で、1657年3月2日に、江戸市中の半分を燃やし尽くすので大火事となったあの「明暦の大火」が起こる。多くの犠牲者を出した背景には橋がなかったため火災から逃げることができなかったことも要因の一つ。そして、隅田川に橋をかけることとなり、両国橋が完成するのである。まさに両国は、涼を求める江戸市民に人気のスポットとなっていくのである。

そしてそこに花火が打ち上がる!

「享保の大飢饉」の切っ掛けとして。物価の上昇、そして疫病の流行により、江戸市民の生活は悲惨極まりないもの。多くの犠牲者への慰霊と疫病退散を祈願する目的から、8代将軍・徳川吉宗が両国で水神祭を行い、花火を打ち上げたのだ。当初は20発程度の小規模なものだったようだが、どれだけ江戸の人々の心に響いたかと想像すると涙さえ出てしまう。これが花火大会の起源。

現代人では多分・・・想像もできないほどの当時の大飢饉。そして物価上昇。衛生面だって酷い。どんな時代にもその時代の楽しいこともあれば辛いこともあったと思う。

今は、踏ん張ろう!踏ん張ろう!

そして、花火の美しさと逞しさを心に刻みたい。

 

 

 

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