サイトトップ

ichikoTV - Part 263 ichikoTV

黒白をつけるということ

2014 年 3 月 7 日 by ichikoTV

編集の世界のことくらいしか知らないが、「ゴーストライター」というものは存在する。汗かいて、どんなに取材に駆けずり回っても、著者は著者名として書店に並べられる。決して、そのライターの名前は出ることはない。何と言っても「ゴースト」であるからだ。

しかし、まさに騒動の渦中にある佐村河内守さんの謝罪記者会見の様子を見て、泥沼化とはこういうことか?と思った。先月、ゴーストライターを務めていたことを公表した新垣隆さんに対しで、佐村河内さんは一部証言を真っ向から否定。それはニュアンスがどうのこうのというものではなく、黒か白かというほどの食い違いを見せた。且つ、「新垣氏らを名誉毀損で訴えます」と語った・・・。いやはや・・・。『こんなことはやめよう』と言ってきたことが、18年間の中でただの1度は言ったの言わないの、且つそれはつい最近のことであると強く主張する。しかし、どこまで続くのだろうか?といわば他人事であっても胃痛がしてきそうな話である。

蜜月・・・これもあったのだろう。お互いがお互いを必要として甘い時間もきっとあったと思う。そうでなければ18年間というのは長い。会見での言葉の数々にも辟易したのだが、人とはヘアスタイルだとか、サングラスなどの小物の使いようでこれほどにも変身してしまうのかとも思った。会見での佐村河内さんは何か、全く別の男の顔であった。人の顔とは実に生きざまを現す縮図であるとも思った。いや、男だけではない。女の顔もそうである。どんなに可愛く生まれたとしても、その後の育ち方、生き方など様々な要素がその人間を直撃またはボディブローのように静かに、さざ波の如く影響していくのだ。年齢でもない人の「顔」が誕生していくのだ。脳の考え癖やら、日々の習慣となっているものは必ず人の顔のどこかに痕跡を残していくものなのだ。

他人事とはいったが・・・もう訴えるだのどうのこうのはやめた方がいいと思う。人生とは長いようで短い。この感覚は20代や30代の時には皆無であったものだ。しかし、不思議と人間は皮膚感覚で感じ取っていく。そのエネルギイは別のベクトルへ向けてはどうだろうか?内容は全く異なるが、裁判を経験した自分としてはエネルギイもさること、かなりの根性が必要である。根性というより「ど根性」と鬼のような?冷静さ。だから、佐村河内さんや新垣さんにいろいろな感じ取る知恵や知識があるのなら、残された人生の時間をそれらを生かして燃焼した方がどんなに良いかと思う。

今日は啓蟄

2014 年 3 月 6 日 by ichikoTV

一昨日、友人が土筆の画像を携帯に送ってきてくれた。春の訪れを感じる一枚であり、感動した。

教えて?いるわけではないのに梅の花が咲き、そして桜の蕾も薄いピンク色でふくらんできている。我が家の桜はサクランボの樹なので、早めに開花する。そしてゴールデンウイークの頃はたわわにサクランボが実る・・・ようになったのだ。思い出せば、植木市で買ってきた時は自転車の後ろの荷台で運ぶほど小さなものだった。一年一年と時間が経っていくうちに大きく成長していったのだ。

本日3月6日は二十四節気の一つの啓蟄である。冬ごもりしていた虫がはい出してくる頃ということだ。しかし、低気圧の影響で西日本でも四国では雪が降っているようだ。兎に角、強風であるのに空気が冷たい。指先がジンジンとしてくる寒さである。

しかし、着実に暖かい春に向かっている。やはり暑さ寒さも彼岸まで・・・ということか。古人の教えは素晴らしい。

思考が止まったら、ひたすら歩け!

2014 年 3 月 5 日 by ichikoTV

医学博士で「脳の学校」代表でもある加藤俊徳さんの『脳の強化書』の中に、どんなに考えても名案が浮かばず行き詰ってしまうなど、頭が働らかなくなったら只管、歩け!という。思考が行き詰ったら脳の活動を無条件に運動系脳番地にシフトするのが良いということだ。ふんふんと読みながら「なるほど!」と思う。パソコンの前で、よく「う・・・・」と全く思考が停止してしまう時がある。もう、脳が「嫌だぁーっ」と叫んでいる。そしてバタバタと脚を動かしたりしていることがよくある。その点、「ふはーぁ!草臥れた」と思っても、歩き回っていると何か前向きな気持ち、ウキウキした気分になっていくものだ。「とにかく歩く」ことは良いことづくめではないか!

ご縁

2014 年 3 月 4 日 by ichikoTV

先般、発行した友人の遺稿作品「幻の稲荷山王朝 ワカタケル大王と埼玉古墳群の謎」。3月3日に“ひなまつりの日に”ということで、故人の弟さんからメールが届いた。親戚一同全てに配り終えたとのこと。我々メンバーの話も昔、聞いたことがあった・・・そんな件も書かれてあった。弟さんの言葉のひとつひとつに何とも言えぬ亡きお兄さんへの想いが伝わる。人と人とのご縁とは本当に一期一会というのだろうか?社会生活のひとこまで出会って、今、こうして友の遺稿作品をまとめたということ。これは、自分の人生のひとこまでもあろうなと。今は亡き友に対して、いろいろ有難う!と心から言いたい。

2014年アカデミー作品賞受賞作

2014 年 3 月 3 日 by ichikoTV

第86回アカデミー作品賞受賞作が「それでも夜は明ける」に決まった。実話にまさるものはないのかも知れないな。アカデミー賞では作品、監督ほか計9部門にノミネート。作品賞、助演女優賞、脚色賞の3部門を受賞した。人としての尊厳。苛酷な中で失うことの無かったもの。映画は私たちに教えてくれるサムシングがある。

大丈夫でない

2014 年 3 月 2 日 by ichikoTV

例えば相手と顔をあわせての会話なら、このようなストレスは感じないのだろうが・・・。最近、メールではいたたまれないほどのストレスを感じる「言葉」がある。当たり前のように皆が口にする「大丈夫」。これはいろいろなシーンで使える便利な言葉であるが、メールのやり取りで、例えば、「~のリストはありましたか?」「先般、貴方が作成したたリストでよいのではないですか?もし、紛失されたなら当方の手元にあるので再送しますよ。どうしますか?」に対して「大丈夫です」という一言回答メール。結構、小さなことが気にかかる小心者の自分は、かなり困惑する。卑近な事例でももういろいろあってもそのたびに「大丈夫禁止令」を出したくなる。別段「風邪の具合はいかがですか?」「いや、もう大丈夫です」というのはいいのだが・・・要はビジネスシーンで「大丈夫」は少しフランク過ぎる。また、「何か、ご質問は?」に対して「大丈夫です」。「皆さんは申し込みされましたか?」「はい!大丈夫です」。顔をあわせてもこれはマズイよねぇ。大丈夫でない時はなんというのか?など、考えてみる。しかし、これまた、たまたまなのかも知れないが・・・イタリア、中国、アメリカの方々からの美しいしっかりしたメールを読むと感動すらおぼえる。コミュニケーションはあくまでも相手のことも考えよう。

少しでいいから・・・考えようよ

2014 年 3 月 1 日 by ichikoTV

早朝、路上で自転車とぶつかりそうになった。若い女性は片手にスマホを持っている。自転車に乗っている時くらいスマホは見ないで!と思う。腹がたって注意をしようとしても相手はスイスイ行ってしまった。某駅で、階段をふらふら歩いている女性がいる。具合でも悪いのか?と思うと、やはりスマホを見ているではないか。ちょっと踏み外しでもしたら、大事故に繋がる。怪我でもしないと分らないのか?と。電車内でもたいがいの人の目はスマホへ。聞くところによると一日何十時間も見ている人もいるらしい。見ているというより見続けているらしい。睡眠時間も削って何をそんなにと言いたい気持ちが湧いてくる。何でもいいが、少しはものを考える時間と脳を鍛えてほしいものだと。そして人々が多く集まるところでは少しスマホから目を離して、別の言でも出来ないか?多分、別のこと自体が分からなくなっているのかも知れないな。

2014 年 2 月 28 日 by ichikoTV

日本人に生まれて良かった!と思う至福の時。鮨屋で、いろいろな大将と魚の話をきく時か。気の置けない友人と鮨屋で日本酒と鮨を愉しむ。暫くすると外国の方が来店し、カウンターに座り、「マグロと鯖ください」と注文する。美味しそうにつまんで食べる男性を見て「ほぅ!」と思う。今はホウボウも旨い。ホウボウは不思議な魚で沿岸浅所から水深600mまでの砂底や砂泥底に棲息する。オスとメスの見分け方がまた面白い。なんでも、  ほおの部分が厚くふくらんだのが?「オス」で少しコケ気味が「メス」とか。

魅惑の押し花

2014 年 2 月 27 日 by ichikoTV

押し花作家の庄村昌子さん。初めての出会いは知人に誘われて行った「押し花」展。当時、私の頭の中には「ん!押し花ね」というくらいの単純なイメージしかなかった。しかし会場で庄村さんの作品を見た時の衝撃はかなりのものだった。息をのんだ。まさか!と。

目の前には咲き誇る桜。そして猫柳で作られた富士山。もう、声も出ないほどに驚いた。これまでの単純で浅はかな自分の発想に、これはいけないと感じた瞬間だった。信じられなかったが、苺の押し花?押し苺?を購入した。今の季節は土筆、ぜんまいといった春の息吹を感じる作品を部屋に飾っている。娘さんがマネジャーをしているがこの度、ネットショッピングをたちあげたと連絡があった。やはり実物の作品を見るのが一番であるが、先ずはサイトを是非、ご覧ください。

http://www.rakuten.co.jp/shouko/

 

引き裂かれたページ その意味は?

2014 年 2 月 26 日 by ichikoTV

 自分所有の本であればアンダーラインをひいても何しても構わないと思うが、例えば、人に貸した本のページに煎餅の粉など入っていたり、ページがおられたり・・・実に気分は悪いものだ。二度と貸さないぞ!と思うほどである。特に、図書館から借りた本に対しては私はかなり気をつかうものである。

 東京都内の図書館で「アンネの日記」などユダヤ人迫害の関連書籍が相次いで引き裂かれた事件があった。ページの半分以上を扇状に破り取っているケースが多いという。ニュースでその映像を見ると、それは無残なものである。なんでも、犯人が図書館内にある蔵書検索システムを使い、アンネの日記などが陳列されている場所を調べていた疑いがあるらしい。何の意味があるのか?暫く考えてみたが分らない。本当に何故?と聞きたい。ほっとできる大好きな図書館でこうした卑劣ともいえる犯行は決してしてはならない。