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黒白をつけるということ

編集の世界のことくらいしか知らないが、「ゴーストライター」というものは存在する。汗かいて、どんなに取材に駆けずり回っても、著者は著者名として書店に並べられる。決して、そのライターの名前は出ることはない。何と言っても「ゴースト」であるからだ。

しかし、まさに騒動の渦中にある佐村河内守さんの謝罪記者会見の様子を見て、泥沼化とはこういうことか?と思った。先月、ゴーストライターを務めていたことを公表した新垣隆さんに対しで、佐村河内さんは一部証言を真っ向から否定。それはニュアンスがどうのこうのというものではなく、黒か白かというほどの食い違いを見せた。且つ、「新垣氏らを名誉毀損で訴えます」と語った・・・。いやはや・・・。『こんなことはやめよう』と言ってきたことが、18年間の中でただの1度は言ったの言わないの、且つそれはつい最近のことであると強く主張する。しかし、どこまで続くのだろうか?といわば他人事であっても胃痛がしてきそうな話である。

蜜月・・・これもあったのだろう。お互いがお互いを必要として甘い時間もきっとあったと思う。そうでなければ18年間というのは長い。会見での言葉の数々にも辟易したのだが、人とはヘアスタイルだとか、サングラスなどの小物の使いようでこれほどにも変身してしまうのかとも思った。会見での佐村河内さんは何か、全く別の男の顔であった。人の顔とは実に生きざまを現す縮図であるとも思った。いや、男だけではない。女の顔もそうである。どんなに可愛く生まれたとしても、その後の育ち方、生き方など様々な要素がその人間を直撃またはボディブローのように静かに、さざ波の如く影響していくのだ。年齢でもない人の「顔」が誕生していくのだ。脳の考え癖やら、日々の習慣となっているものは必ず人の顔のどこかに痕跡を残していくものなのだ。

他人事とはいったが・・・もう訴えるだのどうのこうのはやめた方がいいと思う。人生とは長いようで短い。この感覚は20代や30代の時には皆無であったものだ。しかし、不思議と人間は皮膚感覚で感じ取っていく。そのエネルギイは別のベクトルへ向けてはどうだろうか?内容は全く異なるが、裁判を経験した自分としてはエネルギイもさること、かなりの根性が必要である。根性というより「ど根性」と鬼のような?冷静さ。だから、佐村河内さんや新垣さんにいろいろな感じ取る知恵や知識があるのなら、残された人生の時間をそれらを生かして燃焼した方がどんなに良いかと思う。

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