戦後75年という。
毎年毎年くる敗戦の日。
NPO法人「としまの記憶」をつなぐ会を発足して8年になる。今になって考えてみるとただただ慌ただしく・・・しかし意味深い活動をしてきたと思う。
ある夏、戦争体験を語れる語りべの方が「吉田さん、戦争を語れるのは我々の世代が最後だと思うよ。そのあとは体験談を聞いた人間が語り継ぐ時代になる」と言った。
頭では分かってはいるもののまだまだ語っていただける方はいると思っていたのだが・・・
あの言葉は本当に真実だった。
病に倒れ、そのまま入院生活へ。
施設に入られる方。
記憶が全くなくなってしまった方々。
辛いのはそう・・・亡くなってしまったという現実。
思い出すことは多い。
「空襲の中、両手にわが子の手を握りしめ、ひたすら逃げ回った。どこへ逃げ回ったのか記憶はないのよ」と言っておられたご婦人。ある日、たまたま私はバスの窓の向こうにそのご婦人がお店(氷室)の前に立っていた姿を見た。「ああ!」と。そして先般、亡くなられたことを聞いた。お元気なころに「みんなでおしゃべりをしたいわ」と言った言葉が忘れられない。
そして従軍看護婦をされのいた方のお話。「あの日はね・・・兵隊さんに残った少しばかりのお米でおかゆさんを作ったのよ。そして一匙一匙口に運んで・・・。でも力尽きて一言・・・おかあさんと言ってね。そのあとは亡骸を森に運んだ・・・」と涙を滲ませていた壮絶な体験談。兵隊さんの魂は火の粉とともに夜空へとんでいったのか?未だにその言葉が離れず私は涙がとまらないのだ。
この活動を始めてから、ある年から、「動画」に収めた。数年が経過している今。デジタルの凄みを感じ入れる時が来たと思っている。いろいろな体験談がデジタルという力で再現。それはただ見るということだけでなく感じ取って、そして「記憶」は繋げていってほしいと思う。
「としまの記憶」アーカイブ
http://movie.toshima-kioku.jp/